(自社発注車の誉れ@千平~下仁田間)
千平の辺りを行ったり来たりしながら撮影を続けていたら、高崎方面から6000形がやって来た。車両の近代化推進のため、1981年(昭和56年)に1編成のみが新潟鐵工所で製造され、投入された車両です。大きな一枚窓に、トラックを思わせる独特のフロントグリルは、上信電鉄のイメージリーダーと言っても過言ではない車両ですよね。今は群馬日野自動車のラッピング広告車になっていますが、「HINO」なんて書かれてっから余計にトラック感が増すよね・・・(笑)。
千平の里山を、下仁田に向けて下って行く6000形。ラッピング広告を纏って長いんですが、デビュー当時はブルーとオレンジのサイドラインを上下に配していてとてもスタイリッシュだった。私鉄マニアのバイブルとも言える「日本の私鉄(保育社)17 北関東・東北・北海道編」の表紙を飾っているのがこの車両で、それだけ耳目を集める画期的な車両だったんですよね。「昭和50年代地方私鉄の自社発注車」と言えば富山地鉄14760形がフラッグシップだと思うんだけど、1編成とは言えこの上信6000形も、外見の斬新なデザインと車内にはセミクロスシートを備え、デビュー当時は急行電車として下仁田~高崎を36分で結ぶなどエポックメイキングな車両でした。
そんな貴重な貴重な地方私鉄の自社発注車。折角運用に入ったならば、しばらくはこの編成を追い掛けることとしよう。どうもこの日は運用の巡りが悪く、高崎~下仁田を一往復半するだけで昼過ぎには下仁田で滞泊留置となってしまう模様。千平から転戦した神農原の田園地帯。遠くの山並みに千切れ雲浮かび、太陽が燦々と照り付ける西上州。好きと好まざるとにかかわらず、この風景の中で強制的に夏を摂取しながら6000形を待つ。
四季折々、背後の山並みや田園風景が色々な姿を見せてくれる宇藝神社の大鳥居。あまた長きに亘り上信電鉄を見守り続けて来たであろうその大鳥居のたもとは、この鉄道の中でも一番好きなスポット。ここで6000形を丁寧に迎え撃つ事に致しましょう。梅雨明け十日の空は青く澄み渡り、青々とした稲田を渡る甘い熱風。全てが揃ってまっこと正しきニッポンの夏、西上州の夏。その中を颯爽と走り抜ける独特なデザインの自社発注車。頭の上からチリチリと真夏の太陽に焼かれながらゲットした一枚は、これぞ上信電鉄、という夏の一枚。いかがなもんでしょうか。