青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

恐喝未遂

2018年10月30日 23時23分36秒 | 西武鉄道

(イエローカード2枚@小川駅)

先日受けた会社の人間ドックの結果が戻って来たのですが、相変わらず怖いことばかり書いてあるので脅迫状みたいであった。思えば三年前、不摂生が祟って入院の憂き目にあったのですが、どうも最近警戒心が薄れているというか緩み気味。再検査条項もあったりして既往症含めてイエローカード2枚いただいてしまいました。若いうちは医者に多少言われようがどうでもいいやって感じで聞き流せたんだけど、この歳にもなって来ると色々な事にビビる。何もなければいいんだけど。これからまた体の中を色々調べなきゃなんないので、病院通いが増えてしまいそうだ。

という訳で今日の写真は先日乗車した西武国分寺線。本線筋と違ってこっちは西武らしく黄色い電車ばかりで落ち着きます。国分寺線系統は2000系の田窓のふっるい初期型車両も突っ込まれていて良き良き。日中の本川越行きだけじゃなく、夕方は西武園への直通電車もあったりして昔に比べると便利になりましたね。
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西魚津臘月

2018年10月27日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(中秋の名月@西魚津駅)

寺田で日没を迎え、一泊二日の富山旅もそろそろエピローグ。時間はたっぷりあるので、バルブでもして帰ろうかと立ち寄ったのは西魚津の駅。ここも旧富山電鐵時代からの古い古い右書き名前の駅舎が残っています。空には中秋の名月に薄い雲がかかりおぼろ。臘月と言うのは春の彼岸の月を言うらしいが、これは秋の彼岸の朧月。駅前の大木が月明かりの空に枝を伸ばす感じを表現したくて露光時間を長く。ちょっと自動販売機の明かりが騒がしいけど、これでも一生懸命覆い焼きしたんやで(笑)。


魚津市街の一番西側にあるから西魚津駅は、魚津市内の観光スポットである魚津水族館とミラージュランドの最寄り駅。歩いて10分くらいかかるそうですが、コミュニティバスが駅の近くから出ていたりもする。駅自体は魚津市内の古い住宅街にあって、あまり観光地然とした仕掛けはありません。

 

夜の停車場、出入り口の部分だけが蛍光灯にともされて煌々と明るい。水族館の看板も昼に見れば普通なのだろうが、何だか夜に見ると妖しい世界への誘いのようでもあり。看板をくぐったその先に何を見るか。そう言えば魚津は蜃気楼の街でもあった。

 

列車待ちのベンチに人もなく、静まり返るホームの裏手にある築堤を、時折あいの風とやま鉄道の列車が結構なスピードでかっ飛んで行く。富山方面行きのホームのベンチに座ってぼんやりするひととき。緩く流れる夜空の雲に秋の気配は色濃く、仄かに見える立山連峰の前山が、月明かりに照らされてその稜線を見せています。


西魚津の小夜更けて、静かに静かに停車場に滑り込む14760系。昼間の太陽光線の下で眺める雷鳥カラーもいいけれども、夜の水銀灯の下で眺めるそれは昼間以上に美しいと思う。大好きな14760をバルブで愉しんだところで、そろそろ富山を離れる事にしましょうか。


闇に続く二条の線路が、西魚津駅の出発信号機に紅く輝いています。たった二日の富山物語が、ここまで長いものになってしまったのも、ひとえにこの地鉄ワールドが魅力的であったことに他ならない。また季節を変えて、違う顔を見に来たいと思う。そうなると、真冬の雪の時期が良いだろうか。瞼に浮かぶ銀嶺立山、寺田の駅あたりから眺めたら、それもひとしおの光景でしょうね。

またの再訪を胸に約して、夜の国道8号を北へ向かいます。
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寺田再生

2018年10月25日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(猫の住む駅@寺田駅)

宇奈月温泉までの撮影を終えると、既に時間は午後も半ば。午後になって明らかに北アルプスの方から雲が出て来て天気が悪くなってきた。どこで何を…という考えもなく、何となく寺田の駅へ。すっかりフルリノベーションされた駅舎、以前からいたのか定かではないのですが、駅住みの野良猫がいるらしく駅舎の周りをウロウロとしています。駅のリノベに合わせて、駅前にパークアンドライド用の駐車場が出来て便利になりましたね。


平成24年頃の旧寺田駅。右書きの駅名の文字含めて昔のものを躯体だけ残してそのまま新しく作り直したのが分かります。錆びたトタン屋根、古びた板塀、歪んだ窓枠、味わいのある看板。それはそれで風情がありましたが、そりゃ普段からの利用者にとっては新しい方がいいに決まっている訳で。昭和6年の開業当時の意匠を最大限に尊重した、素敵なリノベーションです。


普通電車の14720系立山行きと、電鉄富山行きの特急立山号の交換。なぜか立山線のホームは右側通行。昨日も今日も立山線・地鉄本線ともにカン付きの車両はカボチャ京阪ばかりで、14760系のカン付きはほとんど見られなかったなあ。地鉄の運用ってどう流れてるか分からないんだけど、DDLやAPEX以外はほぼ共通運用だし運用距離も長いから傾向がつかみにくい。


寺田駅の西側から地鉄本線ホームを遠望。手前左側にある年代物の建物は、これも開業当時から建てられている寺田変電所。立山線と本線の間でハの字型に大きく開いたホームの上に、待合室と今は使われなくなった信号詰所があります。寺田の駅は周囲にこれと言った建造物はなく、特に西側は大きく開けていて冬の晴れた日にはホームから剣岳がよく見える。


駅舎側から4番(立山行)→3番(立山線富山行)→1番(本線富山行)→2番(宇奈月行)と変則的に附番された駅のホーム。立山線ホームが右側通行になっているので、上りは奇数・下りは偶数という基準で揃えた結果並び順がゴチャゴチャ。間違いのないようにホームのモルタルに白ペンキで大きく番線が振ってあるのはご愛敬である。


本当なら、夕日の当たる寺田の駅で雷鳥カラーの14760系の交換シーンとか期待してたんだけど、空はどん曇りだし来るのは京阪カボチャばっかだしで気勢が上がらない(笑)。真冬の晴れた日に、この駅から神々しいほどの剣岳を拝んでみたいというのは願望の一つ。ちょっとの未練を残して、デルタの駅を後にするのでありました。
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2021年に、また。

2018年10月24日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(輝ける卒業式@小田急海老名フェスタ)

またまた富山の話はひと息。ってーか富山行ってから既に一ヶ月くらい経ってんだけどまだ話終わんないのかね、とも思わなくもない。まあ他に書くネタがないから小出しにして話を引っ張ってるのは内緒。そしてどんだけの人が読んでくれているのか、もうみんな飽きて「あ、富山の話か」ってそっ閉じしてないか。という訳で(どういう訳だ)先週ラストランを終えたLSEが、先週末の小田急ファミリーフェスタ(@海老名検車区)で卒業式がてらの最終展示を行いましたよというお話。


いつもは他のロマンスカーとか、年によっちゃメトロの車両とかが並んでたりしてた海老名フェスタ。しかし今年の車両展示はLSEオンリー。いつも小田急の海老名公開って失礼ながら車両展示のスケールがショボイのでどうにかならないのかなあと思うのだけど、今回に限っては客のニーズがほぼLSEの車両展示に集中していたのでこれで良かったのかもしれない。午後の光線を狙って敢えて閉場の1時間前に行ったんだけど、素晴らしい青空の下で閉場間際まで多くのファンへ別れの姿を披露していました。


小田急本社が中心となって始まった海老名駅西口の再開発事業、建設中のマンションをバックに。LSEがデビューした38年前、海老名の駅の周りなんかちょぼっとの商店以外は田んぼしかなかった。生粋の地元民であるヨメに言わせれば、小さい頃は海老名なんてニチイ(現イオン海老名)しかなかったそうで、何かあったら本厚木のミロードか町田の小田急デパートに行っていたと。東口のビナウォーク、西口のららぽーと海老名の開業で、今や海老名は本厚木を大きく逆転した商業都市となりました。

  

長年に亘ってLSEの足元を支えた連接台車。FS508Aはデハ側に付く動力台車でした。西日を浴びて飴色に輝く車体、最後の晴れ姿を飾るに相応しく、ピカピカに磨き上げられていましたね。床下に並んだ抵抗器の美しさ。LSEの引退によって、小田急からの抵抗制御の車両が引退することになります。


これは土曜日の「さがみ」幕でのカットなのですが、翌日の日曜日は「あしがら」幕での展示だったそうで。2000年直前に消えてしまった愛称なので、さすがにあしがら幕は写真に収めた事がないなあ。「さがみ」と「あしがら」ならあしがら幕の方がレア度が高いな。去年一昨年まで、土休日朝の本厚木発のさがみにLSEが入る運用がありましたからねえ。


今回の海老名フェスタはLSE引退を記念してのグッズや、開発当時からの資料を展示した特設コーナー、完全受注の1/20スケールの模型展示など、まさにLSE一色。特設コーナーの壁面に設置されたファンからの寄せ書きコーナーには、書く場所の見当たらないほどのメッセージがびっしり。特にLSEと同世代であった、昭和50年代前半生まれのファンからのメッセージが熱い。当時の最新鋭ロマンスカーがLSEだった僕たち。


かく言う私も、その世代のロマンスカーキッズ。一足お先に看板の中の存在となってしまったHiSEとRSEより、LSEが長生きするとは正直思わなんだなあ…としみじみしてしまう。一般的には鉄道車両の寿命って40年くらいなんて言いますけど、そう考えるとよく走ったよ。連接車はどうしても台枠に弱さが出ちゃって故障しやすいしね。

2021年に、またここで。
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宇奈月光明

2018年10月23日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(黒部鉄道山小屋風@愛本駅)

ハンドル訓練(?)のデキ工臨を見送って、再び黒部線界隈の撮影へ。黒部川の谷が宇奈月に向かってこの辺りから狭まって来るのが愛本の駅。昔には「愛本刎橋」という木造のアーチ橋が黒部川に架かっていて、山梨の猿橋、山口の錦帯橋とともに「日本三奇橋」と言われていたのだとか。愛本駅は、屋根の折り込みがなかなか複雑な山小屋風の駅舎です。黒部鉄道由来の駅は割とどこも水色のトタン屋根を葺くのが特徴ね。


愛本の駅を京阪カボチャの「特急うなづき6号」が通過して行く。駅の裏にあるのは関西電力の愛本発電所の付属施設である変電所。最上流に聳え立つ黒部ダムから始まって、黒部峡谷の作り出す位置エネルギーは余すところなく発電に利用されており、この辺りから山に向かっては沿線に電力関係の施設が増えて来ます。愛本発電所は黒部川本流では最下流にある水力発電所で、宇奈月発電所で発電に供された水が再利用されているそうな。



音沢付近で。ススキ群落の中を、特急くろべが宇奈月温泉へ向かってラストスパート。音沢は宇奈月温泉に向かって最後の駅で、宇奈月温泉地区が開発されるまでは黒部川流域の最奥にある集落でした。ここから終点の宇奈月温泉までは約4kmに亘って駅がなく、地鉄の中では立山線の本宮~立山間に次ぐ長さ。車窓にはいよいよ山が迫って来ます。


宇奈月温泉手前の隧道を抜けて来る14760系。ちなみにカメラを向けているワタクシの後ろで、カモシカがのんびり草を食んでいた(笑)。


同じ位置から後ろを振り返って。山が迫る宇奈月の温泉街を後に。ちなみに宇奈月温泉は宇奈月の地に湧いているわけではなく、上流の黒薙に湧く温泉を引き湯した上で開発された新興の温泉地です。なので、お湯自体は黒薙温泉と基本的には同じ。黒薙温泉は宇奈月で黒部峡谷鉄道に乗り換えれば行けますね。黒部川の河原の露天風呂が非常に有名な温泉で、これからの紅葉時期はさぞかし素晴らしい湯浴みが楽しめることでしょう。


先程の14760系が折り返してきました。温泉場にある終着駅から街へ向かって降りて行く構図は、何となく長電の湯田中辺りとかそのへんの雰囲気と被る。たまーに地鉄の各駅停車は沿線のゆるキャラのヘッドマークをぶら下げているのだけど、これは滑川市のゆるキャラである「キラリン」だそうだ。当然ながら富山湾の特産物であるホタルイカをモチーフにしたキャラクター。ホタルイカの沖漬けって美味いよね(笑)。


宇奈月の温泉街を登って行く、アルプスエキスプレスの特急うなづき3号。温泉街の建物がゴチャゴチャしてすっきりしない構図ですが、「宇奈月グランドホテル」の看板が入るのが良き。「グランドホテル」という語感には昭和を感じますねえ。


朱色とゴールドのヘッドマークに高級感が。土休日に電鉄富山から来る特急うなづきはこの3号のみですから貴重な列車。現在の春秋ダイヤの特急うなづき(電鉄富山~宇奈月温泉)は平日1往復で、土休日が富山行きのみ2本の1往復半。エリア特急くろべに枠を割り振ったとは言え、昭和の時代の時刻表を見ると朝~夕の毎時30分に電鉄富山を特急が発車するダイヤになっているのだから、隔世の感がありますなあ…。


但し、この宇奈月にも追い風が吹いていて、黒部峡谷鉄道の欅平から先、黒部ダムまでを結ぶ関電専用のトンネル施設を、2021年をメドに一般開放するというニュースリリースがありました。現在は関電が募集する見学会の際にしか通る事の出来なかった通称「黒部ルート」を整備し、年間最大1万人が訪れる観光ルートとして開放するそうです。これが出来ると富山→宇奈月→欅平→黒部ダム→室堂→立山→富山という新たな周遊ルートが生まれる訳で、地鉄にもかなりな光明の予感はあります。欅平から先の上部軌道こと関西電力の黒部専用鉄道部分が乗れるとか胸熱以外の何物でもないでしょ。高熱隧道ですよ。
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