青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

寛ぎの時は流れて。

2023年06月28日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(上信各駅・恒例行事@吉井駅)

上信電鉄。地方のローカル私鉄らしく現状全線がワンマン運転の路線ですが、かなりの駅がまだ有人駅になっていて、列車が到着する前後で出改札をしっかりと行っています。そして上信の恒例行事が、出発して行く列車へ向けての駅務職員の一礼。乗客に向けてか、乗務員に向けてかは定かではありませんが、どこの駅でもこの光景が見られるので、おそらく社としての決め事なのでしょう。出発して行くのは、富岡市に工場を持つ子供向け文具メーカーの株式会社桃源堂のラッピングトレイン701形。

高崎市の西端に位置する吉井駅。旧多胡郡の中心地に当たる地区で、高崎から出た電車が初めて辿り着く街らしい街、という感じの雰囲気があります。小さな平屋建ての駅舎にかかる駅名標には「日本三古碑の一つ多胡碑のある町」と書かれている。「多胡碑(たごひ)」というものは、奈良時代の和銅年間にこの場所に多胡郡が生まれた事を記した石碑で、世界でも有数の古文書の一種。それぞれ地域における当時の出来事を記して同時期に建てられた根小屋の「金井沢碑」、山名の「山ノ上碑」と合わせて「上野三碑(こうずけさんひ)」と呼ばれています。

吉井の駅前は一応は小さな商店街になっていますが、店の数も人の通りも少なく・・・そして、駅前にハイヤーの詰所があるのってなかなかポイント高いですよね。鉄道模型における典型的な地方私鉄の駅前風景という感じで。上信ハイヤーは上信電鉄の系列の子会社ですが、吉井駅前からは上野三碑を巡る巡回バスなんかも運行しています。

上信電鉄の有人駅は、ほぼ列車別改札を行っているので、列車が接近する時間にならないと基本的にホームに上がる事は出来ません。少し薄暗い待合室で駅の空気を吸ってみる。あ、ここにもありますね上毛かるた。「昔を語る 多胡の古碑」ですか。そして改札口で卵から育てられているメダカ・・・駅員さんの趣味なのかな。何とも緩やかな空気が流れる、吉井の駅の待合室です。

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1301のReal Face。

2023年06月26日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(昼下がり、静かなる富岡の街@西富岡駅)

この日のデハクハコンビ、一応運用から察するに夕方までは稼働してくれるようで、何往復かの走行シーンを撮影する機会がありました。実は、GWにわざわざ高崎まで来たのに、到着した瞬間にデハデハコンビに高崎入庫されるという何ともツイてない車両運用にぶち当たってしまいまして・・・是非ともリベンジ!と思い再訪の機会を伺っていたのですが、あれやこれやしているうちにデハデハが組成を解除されてしまったという悲しい結末に。デハ251の独特の上信らしいリバイバルデザイン、撮りたかったんですが・・・という訳で、せめてもの慰めにデハ252を前パン位置で。クハ1301の優しい顔つきに比べて、パンタグラフ、貫通路、渡り板と動力車らしい盛りだくさんのイカツさがあります。

梅雨の走り、紫陽花の駅に一人降り立つ学生さん。上信電鉄も、主要な乗客は沿線の学校に通う高校生。

去って行くデハクハコンビを見送る。元々クハ1301は、制御電動車のクモハ1001・中間電動車のモハ1201・そして制御車のクハ1301を1編成として昭和51年(1976年)に新潟鐵工所で製造された1000系の片割れ。落成当時は3連固定の編成だったのですが、意外にも伸び悩む通勤需要に3連は過剰となり、朝夕のラッシュ中心の限定運用となっていました。そのため、上信電鉄は2連への改造を決意。中間電動車だったモハ1201にクハ1301の運転台&顔を移植し、余剰となったクハ1301には現在の切妻&固定三枚窓の独特な顔と運転台を新設。コンビ相手を両運車の250系デハ252に変えて現在に至ります。

その昔、上信電鉄に訪れた際に撮影したひとコマ。中線に入っているのがモハ1201改造のクモハ1201。そして左側に止まっているのが現クハ1301。1201のお顔は元クハ1301の顔と考えるとなんだか不思議な気もしますが、2連化に際してクモハ1001と顔を揃えるためにはしょうがなかったんでしょうね。クハ1301は当時は沿線のこんにゃく会社である「ヨコオデイリーフーズ」のラッピングを纏っていました。マンナンライフの陰に隠れて世間的には知名度の薄いヨコオデイリーフーズですが、経営する甘楽町の「こんにゃくパーク」は結構大ヒットコンテンツになってて、休日は観光バスが何台も乗り付けるような人気の観光スポットになっています。

ちなみに貴重な自社発注車のクモハ1001と1201のコンビ、長らく高崎本社脇の側線で特段の動きもないまま放置プレイ中です。最近の上信、とにかく1000系と6000系の動きが悪いんですよね。辛うじて6000系は行路の少ない運用に入ったりするようですが・・・

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山のあなたの空遠く。

2023年06月24日 08時00分00秒 | 上信電鉄

(広い構内、貨物の面影@下仁田駅遠望)

西上州の鏑川沿いの段丘上の平地を走って来た上信電鉄は千平から山峡に入り、白山神社の山裾を小さなトンネルで抜けると、下仁田の小盆地に入って終着駅・下仁田に至る。ここから先に鉄道を通すのは難しいな、という感じで駅の向こうには山が迫り、そしてその向こうには妙義荒船に続く奇岩錚々たる山並みが続いている。下仁田駅の構内を見渡す四種踏切から駅を眺めると、いつも「山のあなたの空遠く・・・」なんてカール・ブッセの詩なんぞを諳んじてみたくなるのだが、明治の時代に、上野鉄道が下仁田まで鉄路を敷いた時代には、この先の内山峠を越えて佐久に至る計画があり。さすがに碓氷峠を超える高さの山並みを貫き鉄路を穿つような工事は夢物語ではあったのですが。上信電鉄という社名に、「山のあなた」にあったはずの夢だけを残して現在に至ります。

下仁田の街。全国に名前の知れ渡った、下仁田ねぎとコンニャクの街。その発展は古く、農産物や石灰石を中心とした鉱物、そして富岡製糸場のために盛んとなった養蚕など多種多様な第一次産業で栄えた街でもあります。街のあちらこちらに「古くから栄えた街」の名残りが見受けられ、駅のすぐ近くを少し歩くだけでもレンガ造りの立派な農業倉庫があったり、昔懐かしのホーロー看板があったりといわゆる「絵になる」街並みが続いています。

今は保線用のバラストの積み込み場所となった旧貨物ホームより。青倉石灰という会社が、この貨物ホームから平成の中頃まで石灰石の積み出しを行っていました。上信電鉄のご本尊様的な存在であったドイツ・シーメンス社製の古典電機デキ1・デキ2が、無蓋車に白く積まれた石灰石の貨車を牽いて、週2~3回の運行をしていたそうな。古い鉄道雑誌なんか見るとその当時の写真が載っていたのだが、黒塗りの小さな凸型デキが平日の昼間にのんびりと貨車を入れ替える風景が見られたらしくて、まあその当時はおそらく誰も気にしちゃいなかったんだろうけど、豊かな鉄道情景だったんだろうなあと思いますよね。

「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」。上州かるたの一枚ですね。よく覚えておいてください。テストに出ますよ。ってか、上信電鉄の昔っからの古めの駅って、必ず待合室に上州かるたが飾ってありますよね。鉄道写真で訪れるだけでなく、街歩きや食べ歩きなんかも楽しそうな雰囲気がある下仁田の街。駅前の老舗旅館「常盤館」なんかに泊まって、コロムビアの下仁田ねぎのすき焼きでも食べながらじっくりと味わってみたい街ではあります。

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ああ、上信栄光の70’s。

2023年06月21日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(躑躅の額縁@千平駅)

鏑川に沿って走る上信線のデハクハコンビは、富岡の街を過ぎて麦畑の平野を西へ西へ。神農原から南蛇井に向かって上信越道の高架をくぐり、目の前に妙義荒船の前山が迫る。富岡盆地の平野部が尽きる頃、電車は下仁田の一つ前の小さい駅に停車して・・・思わず反射的に飛び降りた千平の駅。駅を囲む家の生け垣に、遅咲きの躑躅が満開。電車を降りた私の目に飛び込んで来たのは、躑躅の額縁。

高崎の駅から小一時間、私だけを山裾の小さな駅に残して、デハクハコンビは終点の下仁田に向けて走り出して行った。クハ1301の変形三枚窓と切妻のペッタンコなお顔、そして大きな深海魚のようなまん丸ライトが愛らしい。もう紫陽花の季節だというのに、未だに躑躅が咲いていた山峡の駅、千平。いつ来ても箱庭のようなつつましい設えで迎えてくれる。個人的にも好きな駅の一つ。

ここ千平から下仁田にかけては、富岡盆地と下仁田盆地を分かつ山が鏑川に迫り、鏑川は「不通(とおらず)渓谷」や「はねこし峡」と呼ばれる深い谷を刻んで流れて行きます。図らずも車窓風景としたら比較的単調な上信線の沿線の中では、この千平から下仁田にかけてが一番アクセントが効いた区間と言えます。駅間距離的には一番長い区間なのですが、思い切って鏑川沿いを下仁田まで歩いて行く事に。

千平の駅でお別れしたデハクハコンビ、返しの列車を赤津信号場近くのストレートでお出迎え。赤津信号場は、駅間距離の長い千平~下仁田間に設けられた交換設備で、沿線が高崎市のベッドタウンとして開発された昭和50年代に上信電鉄の輸送力増強が急務とされた時代に作られたもの。同時に佐野・新屋の両信号場も開設されていて、交換設備の増強による本数増とスピードアップ、そして車両の更新が群馬県の補助によって行われたのだそうで。当時は急行も準急も走らせていたというのだから、その頃の上信電鉄の鼻息の荒さたるや・・・と言ったところでしょうか。

デハ252とクハ1301のコンビも、そんな上信電鉄に非常に勢いのあった昭和50年代前半の自社発注車両なのですが、あれから半世紀弱が過ぎて、ご多分に漏れず沿線の高齢化と人口減は地方私鉄の目下の課題。西上州の山並み迫る隘路を、非常にゆっくりした速度で走って行きました。

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西上州、湿っぽい空気の中を。

2023年06月19日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(西上州を下る@上州福島駅)

朝の通勤通学が終わった時間帯の列車、しかも下仁田行きの下り電車なので、車内は閑散。高崎を出て烏川を渡り、高崎商科大学前と山名、吉井辺りまでで大半の乗客は下車して行ってしまった。上州福島で上下列車の交換待ち。外の空気を吸いにホームに降りると、趣のある木造の駅舎の向こうに「マンナンライフ」の工場の看板が見える。こんにゃくと、こんにゃく粉を使った食品加工産業は、製糸業が衰退して以降の西上州の主力産業。食品としてのこんにゃくよりも、最近はゼリーや主成分のグルコマンナンを使ったダイエット食品の需要の方が多いのかな。ともあれ、マンナンライフと言えば「蒟蒻畑」。あの独特の食感とフルーティーな味わいにファンも多いとか。

なんとなくだけど、地方私鉄の少し小ぶりな電車に乗る時は、連結された部分の座席に座るのが好きだ。ロングシートに腰掛けて、横窓から揺れ動く連結面を見つめる。デハとクハ、手に手を取っての西上州の旅路、梅雨空の雲間から差し込む一瞬の日射しに浮かぶ陰陽。下仁田行きなんですが、連結面の幕は【高崎-上州富岡】の区間運転幕でした。

僅かな客が上州富岡で降りると、あとは自分と下仁田まで帰るおばあちゃんが乗車しているだけの2両編成の車内。少しだけ冷房が入っているような入っていないような微妙な空調。大してスピードも出していないのに、とにかく左に右にガタピシと揺れる車内に、蒸し暑い西上州の梅雨の空気だけが漂っています。

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