青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

深山のいで湯に、山里の暮らしを想う。

2022年11月28日 17時00分00秒 | バス

(山里に復活のいで湯@浜平温泉しおじの湯)

奥多野線の終点・しおじの湯。正式には、「浜平温泉しおじの湯」。奥山の鄙びたいで湯を思い起こすのですけど、建物は随分と新しく立派である。以前、ここよりもう少し奥に「浜平鉱泉」という鉱泉場があって、奥多野館という一軒宿が営業をしておったのだそうですが、同館の廃業により浜平鉱泉の名前は地図から消えてしまいました。この「しおじの湯」は、そんな小さな山の湯を復興させるべく作られた日帰り温泉施設で、浜平鉱泉のあった場所で新しい源泉(湯の沢源泉)を探し当て、そこから1km程度引き湯をしているのだそうで。

帰りのバスは3時間半後。となれば、のんびりお湯に浸かって行く事以外に選択肢はない訳で、ちょうどいい湯加減の由緒ある鉱泉に身を沈める。電車とバスの長旅で固まってしまった体がほぐれて行く。露天風呂から眺める西上州の山の紅葉も見事。こんな山奥なのに案外と湯浴み客は引きも切らず、まあこの週末がこの辺りの山の紅葉の一番の見頃だったのかなと。お湯は薄く濁りのあるメタケイ酸による規定泉ということで、成分は薄いのかなと思いきや意外に成分濃厚な浴感。肌触りはすべすべというよりはひっかかるものがあり、湯口は赤く色付いて、少しの金気分と薄く酸味のある独特な風味の鉱泉でした。

一時間程度風呂に入ってもまだまだ時間があるので、併設の食堂「しおじや」で昼食。上野村の名物である「イノブタ」を使ったメンチカツ定食。揚げ物に思わずビールを合わせてしまった。今日はハンドル握ってねえからな。乗り鉄&バス旅はこれが出来るのが良い。揚げたてのカリっとしたメンチカツとビールがまずい訳ないのだが、正直申し上げて牛肉とか豚肉じゃなくイノブタだ!とガッツリアピールしてくるほどの何かはそんなに感じなかった(笑)。いや、メンチカツとしては普通に美味かったっすけど。

温泉に入り、食事もして、横になって少しウトウトしたり。それでも帰りのバスの時間には余ってしまうので、少し散策しながら「上野村ふれあい館」まで戻ってみようかと思う。GoogleMapで調べたら3kmちょいくらいだったので、一時間もあれば行けるでしょう。しおじの湯から歩きだした場所にある青看板には、左に行くと御巣鷹の尾根とある。ここも相当に山深い場所ではあるが、御巣鷹の尾根はこの場所からさらに15kmほど奥に行った想像を絶する険しい山間部。流石に墜落現場まで行くのは大変なので、心の中で慰霊のお山に手を合わせる。

湯上りの体を冷たい山の風に当てながら、午後になって少し雲が出て来た西上州の山間地を歩く。それにしてもこの辺りの紅葉の美しいこと、まさに見頃である。神流川の瀬や淵に寄り添うように、錦織りなす色付く木々を愛でながら歩いていると、時折ポツンと川に沿って家があったりする。ここに住まう人たちの苦労はいかばかりか。自分で訪れておいて言うのもなんだが、人跡稀なる交通不便な僻地にて「こんな不便な山奥に住んで、この家の人達はどうやって生計を立てているのだろう」という感情を持ってしまう事がたまにある。都会人の傲慢なのだろうね。きっと。

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あの夏の記憶、鎮魂の村へ。

2022年11月26日 10時00分00秒 | バス

(山里に道は続く@日本中央バス・奥多野線車内)

万場での小休止の後出発したバス。さらに神流川の谷を、関東山地の果てまで進むかの如く奥へ奥へと詰めて行く。国道をただ走るだけではなく、集落の中を通る旧道へ何度も出たり入ったりを繰り返しながら、山里の暮らしを結んで行きます。道中、「魚尾(よのお)郵便局前」という難読地名を見付けた。魚尾で「よのお」はなかなか読みづらい。いくら小さなポンチョと言えど、対向車が来たらどうするんだ、という狭い集落の路地のバス停を、一個一個丹念に通過して行くバス。始発の新町駅からの料金は、既に1,500円を超えた。

すっかり雲の抜けた奥多野の風景。神流川に沿って続く山は、さらに紅葉の鮮やかさを増してまさに錦秋と言った趣。今年の秋は天気が安定していて、どこも紅葉が鮮やかだったように思う。まあ関東周辺しか行ってないけどさ。強力な台風がそこまで来なかったから、葉が傷まなかったというのはあるかもしれない。それにしてもこの奥多野線、関東山地の奥へ奥へ分け入って行くバス路線なのだけど、行けども行けども山は尽きず、そして山の向こうにまだ集落があって、人の暮らしも尽きる事なく山の彼方へ続いている印象を受ける。関東山地の深遠を見る思いがする。

神流町からさらに進んで、バスは上野村に入った。上野村に入ったところでハイカーと思しき妙齢の女性が1名乗車し、上野村役場前で下車。上野村は多野郡最奥地の自治体で、上野村の向こうはもう長野県の佐久穂町や南相木村となる。そして上野村と言えば忘れもしない1985年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故の舞台となった村。お盆を前に満員の乗客を乗せた大阪行きの日航機が、この上野村の最南部の山中、御巣鷹の尾根に墜落。記憶から決して消えない昭和の衝撃的な大事件であった。1985年8月12日って確か月曜日でしたよね。臨時ニュースで「大阪行きの飛行機が行方不明」という一報を見たのが、確か「クイズ100人に聞きました」を見ていた時だったので・・・

あれから37年。あの夏の出来事は、群馬の一つの山村に過ぎなかった上野村が、図らずも一躍世界にその名を広めてしまった大事故であった。今でも事故当日には遺族による慰霊の登山が行われていると聞くが、流石に遺族たちの高齢化や、時間の経過による記憶の風化はあるのだろう。最近はそう大きく報道で触れられる事も少なくなったように思う。村の中でも、慰霊のための施設はいくつか作られてはいるようなのだけど、あまりそこを強調している感じもなくて、見る限りは静かな秋の山村の風景が広がっているだけであった。クルマで来ていたら「慰霊の園」くらいには立ち寄る時間はあったんだろうけど。

上野村の集落を丁寧に回った後、バスは大きく転回して上野村ふれあい館に到着した。ここは村の物産館と観光を兼ねる施設で、裏の神流川では釣りなんかも楽しめたりするようだ。この施設は上野村の公共交通の結節点にもなっていて、北側に接している富岡市と下仁田町方面から村の乗り合いタクシーがこの物産館まで運行されている。富岡市の富岡総合病院から下仁田駅前を経由し、湯の沢トンネルを通ってここ上野村ふれあい館まで一日4往復。時間は1時間程度なので、上野村に行きたければ上信電鉄で下仁田から来た方が新町からアクセスするよりは時間はかからないかもしれない。最初、帰りはこのタクシーを使って下仁田に出ようと思ったんだけど、乗り継ぎの時間が合わなかったね。

上野村ふれあい館を出ると、いよいよ周囲は完全に人里を離れ、渓流と紅葉の山の道をひたすらに詰めて行く作業となる。新町駅から数えて129個目の停留所である「白井入口」のバス停を通過すると、いよいよ「ご乗車お疲れさまでした」との表示とともに、終点「しおじの湯」に到着する旨のアナウンスがコールされた。新町駅から130個目。流石にこちらの腰もケツも結構な限界だ(笑)。そして、新町駅からの運賃は通常であれば2,080円。1,500円のフリーパスを買っておくべきと申し上げたのはこのためなのだが、ある意味ここまで乗ってしまうと、元が取れ過ぎて逆に申し訳なくなってくる。勿論沿線自治体の補助とかが出てるんだろうけど・・・

結局最後まで乗車していたのは、実需というよりは乗りバス目的のマニア2名のみ。そして、バスはそんな2名を終点のバス停に降ろすと、記念撮影の暇も与えずに爆速で走り去ってしまった。まあ、マニアのそういうのとかあんまり好きじゃないのかもしれないし、新町駅から70kmの道程を長いこと運転してさっさと休憩したかったのかもしれないし、そこは色々とご事情はあろう(笑)。主役のバスが去って行った130個目のバス停は、燃えるような紅葉に包まれて、秋を独り占めしていました。

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神流の流れ、秋深し。

2022年11月24日 17時00分00秒 | バス

(奥多野線の最奥へ・しおじの湯行き@鬼石郵便局前)

旧・鬼石町の中心街を申し訳程度にブラブラしてから停留所に戻ると、ほどなくして後続の奥多野線バスがやって来た。「上野村・しおじの湯」行き。これが正真正銘、奥多野線の終点まで行くバスである。新町駅8:30発・しおじの湯11:23着なので、所要時間は2時間53分。流石に黙ってバスに3時間も揺られ続けるのもしんどいので、とりあえず区間便で鬼石まで来ておいて良かったという気もする。しおじの湯行きバスの先客は2人。私を加えた3人が終点へ向かうバスの乗客だったのですが、先客のうち1人は鬼石市街のバス停ですぐ下車してしまいました。

鬼石市街を出ると、バスは狭まる神流川の谷に沿いながら、徐々に坂道にかかってポンチョのエンジンが唸りを上げます。この先にある下久保ダムの堤体が見えて来ました。利根川水系の神流川最大のダムで、堤体の高さは約130m。この堤体の上へ出るために、国道は右へ左へカーブしながら高度を稼いでいきます。この辺りまで来ると、周辺の山々も紅葉が盛りへ向かっているようで、色付く木々が見えて来ます。乗客は自分ともう一人、明らかに乗りバスに来たという風体の若い兄ちゃんだけが残された車内、おそらく終点までご一緒するのかな、といった雰囲気。

下久保ダム。一応「神流湖」という名前が付いているらしい。朝は少し曇っていた神流川流域ですが、ここに来て薄日が差すようになって来ました。湖畔のイチョウの黄葉が美しい。ダム湖の水ってどうしてこんな感じで青く映るんでしょうね。一説によると、水の分子は赤い光の波長を吸収するので、特に水深が深いとより赤の波長が吸収され、結果的に青とか緑色系の色だけが残る・・・という事らしいのだが。

神流湖の秋景色。ドライブであればちょっと路肩にクルマを寄せて、カメラで少し撮り歩いてみたくなる湖畔の風景ですが、路線バスなので車窓から風景を眺めるのみ。フリーパスを購入しているとはいえ、一本落としたら一時間半くらいは待ち時間が出てしまうローカル路線ではなかなか下車はしにくいですね。湖畔の国道は湖の形に添ってくねくねと屈曲し、バスは岬の突端をトンネルでくぐりながら、さらに神流川の谷を往く。湖畔の美しい風景を愛でる訳にもいかない運転士氏は、アクセルワークとバスのハンドリングにも慎重さを求められる区間だろうなあ。

旧鬼石町から多野郡神流町に入ると、やがて車窓に湖は尽きて、神流川の流れがありのままの姿を取り戻します。そしてダム湖の人工的な風景とは打って変わって、いかにも日本らしい山里の風景が戻って来ました。神流町の大寄という集落。Google Mapで見ると、高台に見下ろすようにお寺さんがあって、おそらくそこの御神木であるらしい大イチョウが集落を見守っている。神流川を渡る赤い橋。小春日和の日差しの下、重々しい黒瓦屋根の家が立ち並ぶさまは、誠に正しい日本の秋景色を見る思い。

鬼石から走る事45分、バスは神流町の中心部である万場に到着。総走行時間3時間の長距離バス路線なので、ここで10分少々のトイレ休憩を挟みます。私を含めた車内の3名がバスを出て、トイレに行ったり腰を伸ばしたり。流石に朝から電車とバスに乗り続けてケツが痛い(笑)。バス停のベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲みながら、日野ポンチョのボディを愛でる。この小さなバスが新町と上野村の70kmを毎日往復しているのだからエライものだ。座席数で言えば10人も乗ったら一杯になるような小さなバスなのだが、輸送量と燃費を考えるとこのくらいの小型車で運行するのが一番経済的なんだろうな。

鬼石と比べて、また少し山深くなった神流町は、里に比べると紅葉もだいぶ進んでいた。この辺りまで来ると、既に大手企業のチェーン店などの物流ルートからは外れているのか、未だに地元民が開く商店が街の生活を支えているようだ。バス停の前の個人経営の食料品店の軒先に、白菜と柿が積まれている。これから冬を迎えるに当たって、保存食である白菜漬けのシーズンなのだろう。最近、白菜なんか冬場でも1/4カットで買うのがせいぜいだが、そうそう、昔の八百屋は冬が近づくと、こうやってでっかい白菜を二つ並べて荒縄でくくったような豪快な売り方をしていたものだ。売り方一つでも郷愁を感じる事があるのだな、と心のウロコがポロリと落ちた。

そろそろ出発の時間である。ぼんやりしていたら置いて行かれてしまう。観光バスではない、当たり前だがれっきとした路線バス。添乗員さんがバスに戻らないヤツを呼びに来たり、発車前の点呼などはないのだ。休憩所から戻ってきた運転士氏が、短くひと言「発車します」と言ってドアを閉めた。再び、関東山地の山の中へ。神流川の谷をさらに奥へ詰めてゆくバスの旅が続きます。

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昔日の石の街から。

2022年11月22日 17時00分00秒 | バス

(公立藤岡総合病院@日本中央バス奥多野線)

新町駅から走り出したバスは、まずは高崎線から南方面に走り、藤岡市内を目指します。藤岡市内の中心駅である群馬藤岡の駅に向かうのかと思いきや、市内に入ってからは真っすぐ駅には向かわず、総合病院や市役所にお立ち寄り。手元のスマホで地図と現在位置を照らし合わせながらルートを確認しておるのですけど、何だかんだと寄り道しては結構遠回りをしている。そもそも、バスなどの公共交通機関はクルマを運転できない学生や高齢者などの交通弱者のためのものであるので、こういうルートを通る事は珍しい事ではない。テレ東の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を見てると、バスは鉄道の駅前ではなく、地域基幹病院(医療アクセス)とイオンモール(食品購入)と市役所(住民サービス)の新たな「医・食・住」を結節点として再構成されている地域も多いですよね。夏に行った丹後半島も、地元バス(丹後海陸交通)が、半島最大の病院である「与謝の海病院」を中心に路線網が整備されていたのを思い出します。

藤岡市内をグルグルと回り、三回も八高線の踏切を渡ってやっと群馬藤岡駅。ここで若干名の車内人口の入れ替わり。藤岡市の中心駅ではありますが、既に交通の主軸はクルマでありますから、駅の設えも慎ましやかなもの。それでも、トンガリ屋根の瓦葺でオシャレな駅ではあります。八高線の高崎口は、藤岡の先の児玉までは区間列車も頻繁に運転されていて、この辺りは高崎市内への通勤通学圏と言えます。

群馬藤岡の駅前で暫しの時間調整の後、走り出したバスは県道13号線を南へ。車窓は郊外の田園地帯という雰囲気になり、県道が本庄・児玉方面からやって来た国道462号線に合流すると、進行方向左側には神流川の流れを見るようになります。この川が群馬・埼玉の県境で、川向こうが埼玉県児玉郡神川町。バス停は小さな集落ごとに等間隔に設置されているようですが、群馬藤岡の駅を出てからはほぼ全バス停を通過するような状態。それでも律儀に運転士氏はバス停の案内放送を切り替え、次の停留所をお知らせする放送を入れる。ほぼ鬼石に向かって全通過のドライブ状態だったのだが、八塩温泉にほど近い街道沿いのバス停から、相当歳の行った腰の曲がったばあちゃんが乗車して来た。おや、こんなばあちゃんがどこまで行くんだろうと思ったら、二つ先のスーパーの前のバス停で降りて行った。そういうニーズもある。

このバスの終点、鬼石郵便局前。最終的に、終点まで乗っていたのは私と、他に群馬藤岡駅前から乗って来た乗客一名のみ。一応旧鬼石町の中心街らしく、なんかバスターミナルでもあるのかな、と思ったのだが、終点は単なる郵便局の前の停留所だった。バスは僅かな乗客を降ろすと、とっとと神流町方面に向かって走り去って行ったのだが、少し先に広場と転回場所があるようだ。新町駅前からここ鬼石までちょうど1時間。新町~藤岡が30分、藤岡~鬼石が30分という感じだった。

鬼石郵便局の脇にあるバス停と小さな待合所。次のバスが来るまで約30分。バス停の前は「鬼面山」の銘柄を持つ由緒ある造り酒屋であった。鬼石の街は、八塩温泉郷や神流川の刻む三波石峡を中心にした観光地で、昔は東武バスが本庄から鬼石までかなりの本数のバスを運行していた。今はそのバスルートは系列の朝日自動車に引き継がれ、本庄駅~神川総合支所行きのバスとして運行が続けられています。

次のバスが来るまで、鬼石の街をブラリ。まあ、日本の地方はどこもこうなんだろうけど、「昔はそれなりに栄えていたんだろうなあ」という雰囲気。軒を連ねる古びた商店街、すし屋、金物屋、お茶屋、薬屋、肉屋などなど、並んではいるもののどの店が生きていてどの店が役目を終えているのかの整理がついていない。何となくだけど、関東山地に分け入る街はみんなこんな雰囲気がある。こないだ歩いた小川町の雰囲気をもう少しレトロ側に寄せて、勢いを無くしたみたいな感じ。

街の規模にしては酒屋や割烹が多く、おそらく古くから庭石として評価の高かった三波石の産出だったり、埼玉群馬の奥座敷としての八塩温泉郷だったり、それなりの産業と観光があって、地元の人はそれを生業として暮らしていたのだろう。酒屋の看板に書かれた「清酒 三波石」の文字。清酒の銘柄にまでなった地場の特産品。今の世の中に庭石にどのくらいの需要があるのか分かりませんけども、生活様式の変化やそもそも庭のある一軒家なんてあまり現実的でないのが首都圏の住宅事情です。石材業の需要の衰退があった事は想像に難くなく、それがこの街の現実と、昔日の繁栄を物語っているような気がしますねえ・・・

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関東で一番長い、路線バスの旅。

2022年11月20日 10時00分00秒 | バス

(JR休日おでかけパス@鉄道開業150周年Ver.)

この秋は、クルマでなくて電車で出掛ける事が多いというお話の続き。そんな私の旅の助けが、この「JR休日お出かけパス」だったのですが、11月の上旬に「山の方の紅葉もボチボチ色付いた頃かいなあ」という事で三回目の利用をして来ました。今年の秋の「休おで」は、鉄道開業150周年Ver.で微妙にスペシャルなデザインになっています。まあ印字が多少違うだけで値段も効力も何も変わんないんだけどさ(笑)。

始発の電車で横浜に出て、上野東京ラインでひたすら北を目指す旅。横浜から東京までは、それこそ早い時間の新幹線に乗る人が多いのか、朝5時台の電車でも立ち客の出る混雑ぶり。コロナ第8波とか言われても、全国で旅行支援策が行われている昨今、人の流れは既に止められないのだろうか。東京駅で殆どの乗客が下車し、ガラガラになったボックス席を占領してウトウト。いい気分で微睡んでいたら、乗ってた車両が途中の籠原で切り離しの刑。後ろの車両に移動させられる。これが鉄道業界にあるハラスメントの一つ、「カゴハラ」である。

そんなこんなで電車は神流川を渡り、群馬県に入って一つ目の駅である新町駅に着いた。「休おで」のフリーエリアは一つ前の神保原までなので、乗り越し料金190円をお支払い。そこそこの年数生きているけど、新町駅で降りたのは初めてだなあ。高崎に行く際に通過する駅という認識でしかない。平屋建ての駅舎と、駅前のバス・タクシーの車寄せとロータリー。駅裏のビジネスホテルがいい感じに昭和臭い、どうって事のない北関東の駅という雰囲気の新町駅前ですが、今日はここに何をしに来たのか・・・と言うと、ここから出るバスに乗りに来たのです。ええ、基本的に鉄道を取り扱っているこのブログがバスを扱うというのは非常に珍しいのですが、たまには変化球もあって良いでしょう(笑)。

これから乗るバスは、新町駅から出る「奥多野線」。群馬県の日本中央バスというバス会社が運行するこの路線、群馬県はここ高崎市の新町駅前を出て、藤岡市・旧鬼石町・神流町を経て上野村に至るルートを走るのですが、終点の上野村・しおじの湯までの距離は72km。所要時間は便によって若干の違いがあるものの、3時間弱を要するという関東ナンバーワンの超長距離バス路線なのであります。つい先日Twitterでこんなバス路線があるという情報を聞き及び、俄然行ってみたくなったんですよねえ。バスマニアには有名な路線らしいですけど、そっちは門外漢だったからさ。

駅前で待機していた運転士氏と小さなバスが、時刻表通りにバス乗り場に転回して来ました。日野自動車の「ポンチョ」と言われる車種で、一般的な都会の路線バスのサイズと比べるとちょいと小ぶり。いわゆるコミュニティバスサイズ。70km以上走るコミュバスとかあんま聞いたことねーけど、まあ山間部で狭隘部分が多いのと、今はそこまで客もいないという事なんでしょうね。昔は観光バスサイズのクルマが上野村まで走ってたなんて話も聞くので・・・

さてさて、70km以上も走る路線バスとなると、気になるのがバスの運賃。なのですが、この奥多野線に限り沿線の観光振興を見込んでフリーきっぷが発売されています。1日券が大人1,500円で乗り放題。ぶっちゃけ終点まで乗ると2,000円以上かかるんで、乗りバス目的ならマストで手に入れておきたいチケット。運転士氏から直接買うスタイルなので、出発前にお声掛けして買い求めておくことをお勧めします。

まずは新町駅前8:00発の鬼石郵便局前行きに乗車。奥多野線は、途中の鬼石や神流町の万場などまでの区間便もありますので、あえて終点まで行く便には乗りませんでした。一気に終点まで乗り通してもいいのだけど、折角ならば途中下車もしてみたいのでね。という訳で、私と他二名の乗客を乗せたバスは、新町駅前を出発。高崎線の線路を渡り、一路藤岡市方面へ向かいます。ちょいと固めの乗り心地、ケツがいつまで持つか心配になりそうな、乗りバス旅の始まりです。

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