(日替わり定食700円@魚の駅生地)
個人的なことで申し訳ないのですけど、基本的に自分一人で行動している時は、そんなに旅先のグルメを味わうような事ってなくて。いっつもカメラの方に夢中になって昼食の時間を逃しては、沿線にあるコンビニや大手の牛丼屋や適当に道すがらのラーメン店で済ますようなことが多かった。今回の富山行は取り立ててそう凝ったテーマがある訳でもないのんびりマインド。経田の駅を撮影した後、ふと朝からロクなものを食べていない事に気が付いて、生地漁港のメシ屋なんかに行ってしまった。日替わり定食は、富山湾で揚がった大ぶりの地アジ。半身を刺身、半身を塩焼き、つみれ汁がついて700円。ごはんお替り自由。脂の乗った大ぶりの地アジ、こんな美味しいアジは久しく食べたことがない。100点満点。美味しゅうございました。
あいの風吹き抜ける、石田の駅で一休み。駅舎から続く土間のスペース、構内踏切とそれぞれのホームに上がって行く階段、そして小さなホームの上屋。このしつらえが、富山電鐵ルーツの駅の標準スタイル。石田の駅は、黒部方面のホームにかかる上屋の部分が、他の駅より少し長め。行き先案内板の「電鉄黒部」が上書きされたようになっているのは、黒部が「電鉄桜井」時代の表記だったものを使っているからでしょう。長らく新しいものも入れられてないと思われる、鉄鉱石のようになった赤錆びたバラスト。梅雨の間際の強めの日差し、軽くハレーションした海辺の駅の光景に目を細めて。
黒部警察署と、防犯協会から送られた少年に対するお気持ちの表明。それはそう。それはそう・・・だけど、令和の御世から見てしまうと、徹底的に昭和のステレオタイプな価値観の押し付けなのかなと。自分も昭和の子供だったけど、休みの日に部屋で電車の本とか時刻表とか見てるでしょう。そうすると、親とかじいちゃんとかが部屋に来て、「子供なんだから外行って友達と遊んで来い!」とか言うんですよね。こっちにしてみりゃ好きで本読んでるんだし、別に外行って何が遊びたいわけでもないし、なんで?って思いはあって。あれが子供心に凄くイヤだったんだよなあ。
しかし今思えば「子供なんだから外行って友達と遊んで来い!」ってのは、言ってる方には何の悪気もなかったろうけど、典型的な「昭和的なモノ言い」の一つでしたよねえ。ここらへんの意識は、昭和から令和の間の40年間くらいでだいぶ変わったと思う。まあ、何かと最近は森羅万象全ての事を「多様性」で片付けて、理解したような気になんなきゃいけない令和の世の中も息苦しいのだけど・・・とかく日本は全体主義的なので、極端から極端に振れやすく、それを社会規範として他人を抑え込む道具にしがち。「多様性を認めろ!」って他人に強要するの、それ多様性でも何でもないからね。そんなことをつらつらと考えているうちに、「立山あーとれいん」の14767Fが滑り込んで来た。
閑話休題。あ、ホームに置かれた消火器に書いてある「火災時にはご自由にご使用ください」ってのはいいですね。火が出たらどうぞ好きなようにぶっ放しちゃって!みたいな(笑)。