青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

石田で、昭和の価値観を想う。

2021年06月29日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(日替わり定食700円@魚の駅生地)

個人的なことで申し訳ないのですけど、基本的に自分一人で行動している時は、そんなに旅先のグルメを味わうような事ってなくて。いっつもカメラの方に夢中になって昼食の時間を逃しては、沿線にあるコンビニや大手の牛丼屋や適当に道すがらのラーメン店で済ますようなことが多かった。今回の富山行は取り立ててそう凝ったテーマがある訳でもないのんびりマインド。経田の駅を撮影した後、ふと朝からロクなものを食べていない事に気が付いて、生地漁港のメシ屋なんかに行ってしまった。日替わり定食は、富山湾で揚がった大ぶりの地アジ。半身を刺身、半身を塩焼き、つみれ汁がついて700円。ごはんお替り自由。脂の乗った大ぶりの地アジ、こんな美味しいアジは久しく食べたことがない。100点満点。美味しゅうございました。

あいの風吹き抜ける、石田の駅で一休み。駅舎から続く土間のスペース、構内踏切とそれぞれのホームに上がって行く階段、そして小さなホームの上屋。このしつらえが、富山電鐵ルーツの駅の標準スタイル。石田の駅は、黒部方面のホームにかかる上屋の部分が、他の駅より少し長め。行き先案内板の「電鉄黒部」が上書きされたようになっているのは、黒部が「電鉄桜井」時代の表記だったものを使っているからでしょう。長らく新しいものも入れられてないと思われる、鉄鉱石のようになった赤錆びたバラスト。梅雨の間際の強めの日差し、軽くハレーションした海辺の駅の光景に目を細めて。

黒部警察署と、防犯協会から送られた少年に対するお気持ちの表明。それはそう。それはそう・・・だけど、令和の御世から見てしまうと、徹底的に昭和のステレオタイプな価値観の押し付けなのかなと。自分も昭和の子供だったけど、休みの日に部屋で電車の本とか時刻表とか見てるでしょう。そうすると、親とかじいちゃんとかが部屋に来て、「子供なんだから外行って友達と遊んで来い!」とか言うんですよね。こっちにしてみりゃ好きで本読んでるんだし、別に外行って何が遊びたいわけでもないし、なんで?って思いはあって。あれが子供心に凄くイヤだったんだよなあ。

しかし今思えば「子供なんだから外行って友達と遊んで来い!」ってのは、言ってる方には何の悪気もなかったろうけど、典型的な「昭和的なモノ言い」の一つでしたよねえ。ここらへんの意識は、昭和から令和の間の40年間くらいでだいぶ変わったと思う。まあ、何かと最近は森羅万象全ての事を「多様性」で片付けて、理解したような気になんなきゃいけない令和の世の中も息苦しいのだけど・・・とかく日本は全体主義的なので、極端から極端に振れやすく、それを社会規範として他人を抑え込む道具にしがち。「多様性を認めろ!」って他人に強要するの、それ多様性でも何でもないからね。そんなことをつらつらと考えているうちに、「立山あーとれいん」の14767Fが滑り込んで来た。

閑話休題。あ、ホームに置かれた消火器に書いてある「火災時にはご自由にご使用ください」ってのはいいですね。火が出たらどうぞ好きなようにぶっ放しちゃって!みたいな(笑)。

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海辺の街の初夏模様。

2021年06月27日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(潮香の街の初夏でした@経田駅)

黒部線エリアから若干海側に出て、経田の駅にやって来ました。電鉄石田と経田の二つの駅は、地鉄の中でもそこはかとなく潮の香りがするというか、海を意識するような駅。昼近くになって、高めに上がって来た梅雨の晴れ間の太陽が燦々と降り注いでいる駅前広場。深と静まり返った駅舎の威風堂々とした姿。ここも地鉄の中ではベストテンに入りそうな魅力のある駅です。・・・って、じゃあベストテンってどこなんよ?って聞かれたら時と場合によって変わるんだけどね(笑)。

経田の特徴でもある駅舎前の臨時(?)改札口。駅員配置があった頃は、列車ごとに改札口に駅員が立って、行き交う乗降客を捌いていたものと思われます。海が近いこともあり、ひょっとしたら夏場は海水浴に行く親子連れなんかも降りて行ったかもしれないね。白く光るコンクリートの照り返しに目を閉じれば、麦わら帽子と浮き輪の親子が手を繋いで降りて行くような、そんな郷愁の風景が瞼に。

駅の周囲をぶらりとしていると、市街地には珍しい遮断機のない四種踏切。その踏切の向こうにこれまた立派な門構えの歯医者さんがあった。江戸時代より伝わる「富山の薬売り」にあるように、基本的にこの越中の国は医学医療の発達した地域という印象がある。地鉄の駅の看板広告もやたらと病院が目立ちますしね。

黒部方面から東急が走って来て、二人の乗客を乗せて走り去って行った後。石積みの片面ホームと、ホームの青い上屋が再びの静寂に包まれました。鉄粉で赤錆びたアスファルトから立ち昇る、少し蒸れた梅雨の空気が重たい経田の駅。くすんだベンガラの瓦屋根が、より一層蒸し暑さを引き立てて来るような、海辺の街の初夏模様です。

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最後に残った、地鉄の矜持。

2021年06月25日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(寂寞の水鏡映して@浦山~栃屋間)

田んぼの畔に咲いたシロツメクサが風に揺れる、浦山の田園地帯。今や地鉄唯一の特急アルペン。看板も外された苦境の観光特急に、乗客の姿はほぼ見えず・・・ところどころ開いた窓が、コロナ禍の中の地方鉄道の苦境をより色濃く映し出しているような。宇奈月温泉9:00発。寺田でスイッチバックして立山へ、一日一本の片道運行。4月からの新ダイヤ、観光需要がほぼ見込めない中での改正ですし、いっそのこと全部特急運休しても良かったんだろうけどね。この片道運行を僅かに残したのが、地方私鉄ながら長年特急列車を運行して来た会社としての矜持でもあろうし、最後の希望の灯まで消してはなるまいという地鉄からの強いメッセージと言う気がする。

来年度には、宇奈月から欅平を通って黒部ダムに抜けるいわゆる「関西電力ルート」が開通するんですよね。立山からも宇奈月からもアルペンルートにアクセスが可能となれば、富山から立山→室堂→黒部ダム→欅平→宇奈月→富山という回遊ルートが形成されるので、その中で地鉄が果たす役割って大きくなるはずなんだよなあ。例えば東京から黒部宇奈月温泉へ向かい、宇奈月温泉で一泊。翌朝早くから黒部峡谷鉄道で欅平、関電ルートで黒部ダム。ダム観光から黒部湖→室堂→立山→富山から夕方新幹線で帰京なんてコースもいいし、ショートコースで黒部ダムから大町に抜けて安曇野観光から帰京でもいいし、選択肢も多くなりそう。少なくともその頃までに、国内レベルではある程度の活気を取り戻してもらいたいと思ってしまうのだけど。

梅雨晴れや 空気を運ぶ 寂しきに。

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自分の中の「良き」と「良き」。

2021年06月23日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(端正な佇まい@東三日市駅)

議事堂を思わせる、広い緩斜面の外階段の上に載った東三日市の駅。寺院やお堂のようにも見える。黒部の街の目抜き通りから一本入った場所にあって、駅前には黒部市民会館の大きな建物と、その周囲には小さな商店がこまごまと続いております。駅近くの食堂やお肉屋さんから、そろそろ開店の仕込みを始めようかなと、店主の声と奥さんの笑い声。そしてガチャガチャとした物音が聞こえる、そんな雰囲気の朝。

商店の宣伝が入った駅近隣の地図看板。駅へ続く道の踏切が閉まり、紫陽花の垣根の脇から、60形の宇奈月行きが顔を出した。先日検査を受けたばかりの14761F。床下の塗装もまだ真新しくピカピカではあるのだが、なぜか片目だけ14720準拠になっている尾灯だけは直されないまま。

東三日市の駅で、市内へ通学する学生を吐き出す60形。モルタル・レンガ・トタン・瓦屋根と色々な部材で構成された開業当時からのレトロモダンな駅舎と、地鉄の最後の自社発注車である60形を力強い前パン側で組み合わせてみる。自分の中での良き×良き、という感じの一枚で、どうって事はない構図なんだけども個人的な満足感の物凄い高い一枚です。というか、こういうのを撮りに何度も何度も富山まで来てるってのはあるんだなあ。

スンとした風吹き抜ける待合室で缶コーヒーを飲みながら、ああでもないこうでもないとカメラを転がす。SNSでハートのマークを貰うために、速報性だけが価値の大して好きでもないネタを追い掛け回したり、人気のある被写体ばかりに走りがちな昨今。素直に自分が好きだなあって思える被写体を、衒うことなくカシャッとやれる幸せを感じます。

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学べや励め、黒部の子。

2021年06月21日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(生徒を迎える新列車@浦山駅)

春の地鉄の話題は、ほぼ特急が運行休止となった新ダイヤや、系列のタクシー会社の廃業、そして史上最大規模の赤字決算など暗い話題ばかり。そんな中で、平日朝に新たに設定されたのが、浦山始発の電鉄富山行き普通列車。黒部市内の朝の通学需要をカバーするためのものと思われますが、電鉄黒部発の列車をわざわざ延長しての運転開始は、小さなことながら「鉄道の価値」の見直しに繋がる動きとなってくれればと願わずにいられません。

朝7時過ぎに、電鉄黒部から回送されてくる18列車。この日はカボチャ京阪が担当でした。普段折り返し列車のない駅でしたので、ホームのどっち側に付けるか分からなかったのですが、普通に宇奈月方面の1番線を通過してから、駅の宇奈月側で転線して電鉄富山方面の2番線ホームに入って来ます。回送列車の到着を知らせる構内踏切の音がチャイム代わりなのか、浦山駅に三々五々に集まって来る学生たち。中学生もいれば、高校生もいるという感じですが、こんな賑やかな浦山の駅は見た事なくて・・・

浦山を発車した18レ、栃屋でも20人ほどの学生さんを回収。狭いホームにきちんと横並びになっている制服姿が、なんだか電線に止まってチュンチュン囀っているスズメのようで、微笑ましく可愛らしい。列をなす若人に、大ベテランのカボチャ京阪から、「お待たせ、生徒諸君」という声が聞こえて来そうだ。こんな光景を見ると、厳しい話が多い中で、定期の学生とは言え乗客の姿がある事は何物にも変え難いなあと。そんな思いが募ってしまう。

カボチャ京阪の車内は、黒部郷の学生でいっぱいになりました。整然と並ぶ小窓と、転換クロスシートに映り込む学生の姿は、なんだか廊下から眺めた教室のようでもあり。個人的には、学校をサボってフラフラと出掛けて行った府中の街で、授業中の高校の教室を垣根越しに眺めたあの日の事を思い出してしまうのだ。

地鉄は僕らの足、そして、私たちの学び舎。

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