青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆関西見聞録その10 永遠の200m

2015年08月31日 22時07分29秒 | 阪堺電軌

(意外と不慣れ?な大阪市営地下鉄@東梅田駅)

さて、阪急の梅田駅でコーヒーブレイクを済ませ、改札を出て梅田の地下街(通称ウメチカ)に入りました。今日はここから大阪のいわゆる「ミナミ」の方へ行く予定でおるのですが、そもそもミナミの方に行くのって地下鉄の何線に乗ればいいんだっけ?とりあえず住之江競艇に通った過去から、御堂筋線と四つ橋線はミナミの方に行くのは知ってましたが…意外に大阪市営地下鉄の知識がない事に気づかされる(笑)。


えー、行きたかったのは天王寺なんですけど、御堂筋線ってなんばへ行く地下鉄だと思ってたので迷いながら東梅田の駅まで歩いて行ってしまいました。が、駅の料金表を見たら御堂筋線、天王寺通りますやん…まあここまで来て引き返すのも何なんで谷町線に乗ってしまいましたが、とかく東・西・梅田と地下鉄3駅が分離し、阪急阪神のターミナルがあって、JRの大阪駅がある梅田界隈を読み解くのはなかなか難しいものがあります。


谷町線だからって別に太っ腹な乗客が乗っている訳でもなく、大阪のおっちゃんおばちゃんを乗せて割とギュウギュウ気味で天王寺に到着。大阪の地下鉄って御堂筋線以外のイメージがないので驚いたのだが、結構な乗車率である。天王寺と言えば最近は再開発が進みまして、そのシンボルってーのが高さ300mの「あべのハルカス」。現在日本一の高さを誇る高層ビルですが、その下に駅が。

 

日本一のノッポビルの真下に、大阪ミナミから泉州堺を結ぶチンチン電車、阪堺電気軌道・天王寺駅前電停があります。関西遠征2日目は、阪堺電気をメインにして乗り鉄を楽しもうと言う趣向。阪堺電気の全線1日乗車券「てくてくキップ」は600円で販売しておりますが、全線200円均一なんで4回乗ればお釣りがくる仕様。あべの筋の2車線道路に挟まれて狭苦しいことこの上ない天王寺駅前電停、待っていたのはパンダ顔のモ700型710。

 

神ノ木駅付近で南海をオーバークロスする阪堺電車。天王寺から南海本線の住吉公園を結ぶのが上町線ですが、天王寺を出てあべの筋を阿倍野まで走った後、松虫から専用軌道へ。東天下茶屋を過ぎ、併用軌道に入って北畠、姫松、帝塚山三丁目・四丁目と大阪市の住吉区の住宅街を南に向けて走って行きます。帝塚山四丁目から専用軌道に入り、築堤に登って大きく右カーブ。南海本線の上を跨ぎ越すところに神ノ木電停があり、築堤を降りると住吉。ここで恵美須町から来た阪堺線と合流します。

  

住吉電停にて合流する上町線と阪堺線。上町線は天王寺駅前~住吉公園、阪堺線が恵美須町~浜寺公園を結んでおりますが、現在は天王寺駅前から来た上町線の電車は阪堺線に乗り入れて我孫子道か堺市内方面・浜寺公園まで直行する運行形態になっており、これがメインルート。阪堺線の電車は恵美須町から新今宮を通り、ここ住吉を経て車庫のある我孫子道までを結びます(堺市内方面は我孫子道で後続の天王寺駅前発に乗り換え)。天王寺から来る電車も、恵美須町から来る電車も、走って行くのは我孫子道・堺市内・浜寺公園方面。じゃあ、写真で言うところの左下、住吉公園方面はどうなっておるのか、と言うと…


これは、上記の写真の立ち位置から住吉公園方面を向いて撮った写真なのだが、複線の線路こそ確保されているものの架線柱は傾き、そもそも路盤も草ぼうぼうでとても管理されているようには見えない。ちなみに左右の足場みたいなものが住吉公園から来た電車が止まる住吉電停なのだが、パッと見で何かの作業スペースには見えても、電車に乗る場所には思えないw

 

南海電車の住吉公園駅の高架下にある、阪堺電車の住吉公園駅。いや、表記通り「驛」とした方が趣がありますかね。そもそもこの時代に右からの横書き文字と言うのが何とも時代を感じる。母屋の庇を支える鎖の重みが重厚さに拍車をかけているようですな。宝くじ売り場がちょっと無粋ではありますけど…


そして、その阪堺電車の住吉公園駅は、平日は朝の7時台に2本、8時台に3本(計5本)、土休日は7時台に1本、8時台に3本(計4本)が発着するのみの、極端な変則ダイヤとなっております。平日で言えば始発が7:48、最終が8:24。正味の営業時間は約40分の都会の秘境駅。以前は天王寺駅前~住吉公園、恵美須町~堺市内・浜寺公園方面とお互いの線区ごと運行は分かれていたそうなのだが、利用客の多い上町線を住吉から堺市内~浜寺公園方面へ直通させる事によって利便性を向上させた結果、上町線の終点である住吉公園の電停はいらない子になってしまいました。


上町線が手前の住吉で堺方面へ向かってしまえば、住吉公園は水の流れを止められて干上がった川のようになってしまうのは自明の理。そんな極端なダイヤにして、乗客の利便性は…とも思うのですが、何のこたあない。歩いて70m、急げば1分もかからない位置に阪堺線の住吉鳥居前電停があり、阪堺的にはこちらから乗ってくださいと言う事になっている。住吉公園駅の利用者的には、始発でないので着席確率が下がってしまった事に若干の不満はあるらしいですが。

 

阪堺線住吉鳥居前電停。名前の通り、正月には関西屈指の参拝客を誇る「すみよっさん」こと住吉大社の鳥居の前にありまして、阪堺電車は鳥居と参道を横目に見ながら走って行きます。住吉大社ってのは関西では京都の伏見稲荷としのぎを削る参拝客の多さを誇る神社ですから、正月の阪堺電車はあふれる参拝客を捌くために車庫に残っている車両を全部叩き出して特別ダイヤで運行するのだそうな。


運行形態の変化によりいらない子となってしまった住吉公園の駅も、正月輸送の際は天王寺方面からの折り返し電車を2両留置出来る事から多客を捌くに重宝がられる存在ではあるようです。が、普段の状態はこんな感じで、とても生きている駅のようには見えず…一年に忙しいのが正月だけというこんな変則ダイヤの駅を残している余裕はないのでしょう。私が訪れた2週間後に、下記のプレスリリースが発表されることになります。


うーむ…現状を見て来たばっかりですので、これは仕方がないと言うしか。廃止の時期を1月31日にしているのは、住吉大社の初詣輸送を考慮しての事でしょう。思えばこの日の朝に阪急とか撮らないでそのままこっち来てれば、ひょっとしたら住吉公園発の電車に乗れたかもしれないなあと思うと少し惜しい。たった200mの区間ではありますが、上町線の末端区間は未来永劫に未乗のまま終わる事になりそうです。
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マルーン色のコーヒーブレイク

2015年08月29日 16時36分16秒 | 阪急電鉄

(「神戸」三宮駅駅名票@阪急神戸線)

神戸電鉄訪問を終え、三ノ宮のカプセルホテルに入り込んだのが23時前。さっさと寝ようと思ってカプセルにこもり電気を消したのだが、意外にも体は疲れてても神経が冴えてしまって眠れないもんですね。ってかカプセルはやはり静粛性と言う点では劣るので、他のお客さんの声なり足音なりが結構気になるものです。


夜中じゅうウツラウツラみたいな中途半端な状態なので、夜が明けたらとっととカプセルホテルを出てしまった。この日は大阪方面に向かう予定ですが、行きがけの駄賃と言う事で阪急電車も少し撮ってみようかと思ってたんよね。早朝の阪急三宮駅。JRは「三ノ宮」、地下鉄は「三宮」、阪急は「神戸三宮」と同じ場所にあってもその表現は三者三様です。阪急は、車内放送や案内表示でも「神戸三宮」「大阪梅田」「京都河原町」と駅名を分かりやすいように大きい地名を被せているというのが特徴的。

 

「阪急電車にご乗車ありがとうございます この電車は普通 大阪梅田行きです 西宮北口まで先に参ります…」阪急伝統の深い緑のモケットのシートに座り、高架駅の神戸三宮を離れると、しばらくJRと並走。王子公園の手前でJRと別れると六甲、そして御影に到着。ここで下車。六甲山系は花崗岩で出来た山で、切り出された花崗岩は古くから多くの建築物に利用されてきました。ここ神戸市東灘区の御影から切り出された花崗岩が「御影石」と言う事になります。


駅から歩いて10分弱、中学校の南側にある踏切が神戸本線でも有名な撮影地と言う事で立ち寄ってみた。正式名称を「有馬道踏切」と言うそうな。三宮方向から緩く上って来るSカーブで8両編成の車両がカチッと決まる構図は確かに!って感じがしますね。立ち位置如何では標識類を交わすことも出来るみたいですが、そうすると踏切を通行するクルマにちょっと邪魔になりそうだったので踏切の脇っちょから。アウェイですんで控えめにね(笑)。案外車通り多かったし。


阪急神戸線の梅田方は大抵の車両が前パン。昨日に引き続き前パン祭りです。モーター音も高らかにSカーブを走り抜ける神戸本線のエース7000系特急大阪梅田行き。貫通路に大きく振られた車体番号、赤い特急の方向幕。阪急はどの車両も塗装に関しては頑固一徹伝統のマルーン一色ですが、これぞトラディショナルというものでしょう。

  

基本的に同じ構図で撮るのみなので、やって来る車両をババババンと撮ってしまうだけなのですが、8000系と一口に言っても前面形状とかデザインとか事細かに違ってたりするので、ちょっとした間違い探しのよう。シングルアームに換装されてたり、車体番号の位置が違っていたり、前照灯がLEDに交換されていたり…自分にはそこまでこだわりはないけど、阪急マニアはここら辺の違いを掘り下げてあーだこーだ言うのが楽しいんでしょうねえw


エース7000系もリニューアル車になるとツラからして全然違ったりするのね。それにしても前照灯がLEDってのは正直写真映りが悪い。もう最近どこの会社も行き先表示をLEDにしてるから文字が映らないのも困りものだけど、前照灯までLEDにするこたないんじゃないかね。


阪急の車両と言えばグループ子会社であったアルナ工機で製造されるのが通例でありましたが、アルナ工機の鉄道車両製造からの撤退(軌道車輛のみ存続)に伴って日立製作所で製造されるようになったのがこの9000系。基本的には8000系の額縁デザインを踏襲しておりますが、ちょっと下がり眉の困り顔になってしまいました(笑)。このアルナ→日立と言う製造会社の遷移は、同じようにアルナを車両新製の主力会社としていた東武鉄道にも当てはまりますね。


現在の神宝線系統の最新車両である1000系。リラックマトレイン。9000系以降の日立車は、日立製作所の通勤型鉄道車両の基本製造技術である「A-train」として作成されています。Aトレってなんなんすか、って細かい説明はしないのだけども、アルミ板を細かい溶接で張り合わせて作っていた従来のアルミ車両と違い、箱型二重構造の鋼材を使う事によって溶接回数などを極端に減らし、劣化を防ぎ保守管理を容易にした車両って事です。関東でも西武のスマイルトレインとか東武の50000シリーズとかに導入されてますね。

 

有馬道踏切で小一時間ほど阪急撮りを楽しんだので、御影駅から大阪方面に移動。岡本から特急に乗り換えて西宮北口、十三を出ると神戸宝塚京都の3複線で淀川を渡り、大阪梅田のターミナルに到着します。普段使っている人にしてみたらどうってことない日常の風景かも知れないけど、10面9線の圧倒的なるターミナル感は関東もんにはすげえの一言でしかない。1号線から9号線までズラリと並ぶ出発信号機。広角16mmでもその全貌は抑える事は出来ません。東側から1~3号線が京都本線系統、4~6号線が宝塚本線系統、7~9号線が神戸本線系統のホームとなっております。


ひっきりなしに発着が行われるホームを歩き、その壮大さにいちいち驚きながら京都本線のホームに行くと、おおなんと憧れの阪急6300系が!京都本線筋の優等から引退し、現在は短編成化され嵐山線の折り返し運用の身になっている形式ですが、唯一6連化された編成が「京とれいん」として土休日ダイヤのみ大阪梅田と京都河原町を結ぶ観光快速特急として活躍しています。自分の阪急電車のイメージは、京都本線のクイーンとして運用されていたこの6300系なんだよなあ。車端のみの2ドア、尾灯の回りの銀帯飾り、オリーブモケットの転換クロスは「優等専用車」と言うプレミア感がありましたよね。


今度は京都本線用ホームの1号線から梅田駅の全景を撮ろうと試みるも…何だか広すぎて良く分からない写真になってしまった(笑)。そもそも全景と言われてもこっから9号線までは遠くて見えません。この広い広いホームの真上には、平成24年にリニューアルオープンした地上13階地下2階の阪急百貨店が聳え立っておりまして、さすが民鉄王・小林一三が仕上げた日本一の私鉄ターミナル駅である。


そんな阪急電車の大阪梅田駅を改札脇にある喫茶店「cafe LILAS」から眺める。店としては普通の喫茶店だが、窓際の席から梅田のターミナルの全容を見渡しながら飲むアイスコーヒーは至高。ここいっぺん来てみたかったんだよなあ。朝食代わりに頼んだホットドッグもウインナーがパリパリしていて美味。時間があれば1~2時間くらいは平気でここで時間潰せそうだわ(笑)。
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お盆関西見聞録その9 準大手の苦悩

2015年08月26日 22時21分10秒 | 神戸電鉄

(有馬 川床 夏の夜@有馬温泉)

長々とお送りして参りました夏の遠征神戸電鉄編…最後に残ったのは有馬口から有馬温泉までの1区間。昼に乗換駅の有馬口は2回も通ったんだけど、あえて乗らず。何となく最後は有馬温泉にしたかったと言うのと、やっぱせっかく有馬温泉まで行くんだったらシメに温泉入ってさっぱりして終わりたいよね…って気持ちもあったんで。平日にもかかわらず、お盆を前に賑わう有馬温泉。温泉街の中心部を流れる有馬川の河原は貴船宜しく川床のようになっていまして、温泉客がツマミに生ビールで楽しんでいる羨ましい姿が(笑)。蒸し暑かった一日でしたが、有馬まで来ると山の風に川の風が吹いていて心地よい温泉街の夜。


粟生線の訪問を終え、改めて鈴蘭台まで戻り有馬温泉方面へ。有馬口では三田方面行きに有馬温泉行きが1分で接続するダイヤになっていて、写真を撮る暇もなく乗り換えを済ませると、電車はとっぷり暮れた闇の中を轟々と走るのみ。最後に少し長めのトンネルを抜けると、車窓には温泉街を囲む旅館の明かりが目に入り、電車はそのまま有馬温泉の駅に到着しました。

 

朝9時前から回り始めた神鉄電車の旅、ここ有馬温泉駅で全線完乗です。とりあえずお疲れさまっした。有馬温泉駅は頭端式1面2線のホーム、早朝深夜以外は15分おきと本線系統と同じ間隔で電車が走っています。何となく有馬口乗り換えが多いから末端の盲腸線っぽいですけど、そもそも神戸電鉄は神戸と有馬温泉を結ぶ目的で開業した神戸有馬電鉄を祖とする鉄道会社で、神戸電鉄の由緒ある本線ルートは湊川~有馬温泉間の有馬線なんですね。で、有馬口から三田までが後発で開業した三田線となります。


夜の有馬温泉駅前。戦時中までは、国鉄三田駅と有馬温泉を結ぶ国鉄有馬線が現在の神鉄三田線よりやや東側の有馬川沿いを通って有馬温泉と三田を結んでいたそうですが、戦況苛烈を極める中温泉街への鉄道は国策により「不要不急」とされ、その時には神鉄も既に三田~有馬口を開通させていたことから撤去対象となり、そのまま復活する事はありませんでした。ホントの話で、駄洒落じゃありません。


有馬温泉と言えば、「東の草津・西の有馬」と謡われる日本有数の温泉地であり、日本三古湯の一つ。駅前の交差点から眺める光景ひとつ取っても由緒正しい歴史を感じる温泉街の雰囲気で。ここへ鉄道を敷設しようという機運が高まったのも大いに頷けるところ。左側の山の上には「有馬兵衛の向陽閣へ~♪」のCMでおなじみの温泉旅館・向陽閣が見えてテンションが上がります(笑)。

有馬温泉 兵衛向陽閣 TVCM 1987 <伝統が醸し出す、やすらぎとくつろぎ。>

いや、あのローカルCMって結構インパクトあったからさあ。温泉CMで言うと「東のハトヤ、西の向陽閣」くらいのメジャーさはあったと思うよ。温泉入ってねーちゃんが「あ~、最高!」ってヤツよ。有名CMだから残ってるだろと探してみたら、宿のHPにCMライブラリーがあったよ!ちなみに自分がピンズドなのはこのあたりの時代のCMでんがな。さすが浪速のモーツァルト、キダタロー先生のツカミの効いたキャッチーなミュージックですなあ。


有馬温泉は有名な温泉地だけあって、宿泊するにはそこそこお高い。時間も時間だし、店じまい寸前の土産物屋を冷やかしたりしながら共同浴場「金の湯」へ。共同浴場とは言え非常にきれいな建物、普通温泉地の共同浴場ってーのは地元民の共有財産として非常に値段が安くされてたり、ヘタすりゃタダなんてところもあったりするのですが、この金の湯の設定価格は強気の650円。有馬温泉にはもう一つの共同浴場「銀の湯」がありますが、そちらはは現在改装中との事。夜になって少々涼しくなってきたとはいえ、夏にはちょっとハードな赤茶色の塩辛い熱めの湯をかけ流しで。鉄臭強め。


火照った体を冷ましながら湯の街の坂道をブラブラと下り、有馬温泉の駅前まで戻って来た。夜の街歩きを楽しんでいた湯客もそろそろ宿へ戻る時間、既に乗客の消え始めた駅の改札口に揺れる夏飾り。宿の灯がほの漏れる有馬温泉の駅、折り返しの準備の済んだ1100系の3連。

  

今日は三ノ宮に泊まる事になっているので、新開地には向かわず谷上で途中下車。北神急行を使って向かう事とします。三宮方面へ向かう谷上以遠の大半の客が同じルートを使うのではなかろうか…三ノ宮方面から地下鉄が到着すると、ぞろぞろと帰宅客が神鉄に乗り換えて行く。北神急行自体は神鉄も約3割の株主となっている阪急阪神ホールディングス内の会社で、純粋にはライバル会社ではない。おそらく神戸中心部への輸送力増強を迫られた神鉄が、ラッシュ時に粟生線&有馬線が流れ込む新開地~鈴蘭台の容量はいっぱいいっぱい、しかも同区間は厳しい山間部を通過するため改良もままならんと言う中で建設したバイパス路線なんでしょうね。


とは言え六甲山系の真下に約7,300mのトンネルを単独で掘る資金はないので、親会社の阪急とかその他の会社に出資を募って設立したと。惜しむらくは北神急行は神戸市営地下鉄と規格を合わせてしまったので狭軌の神鉄とは軌間が合わない事か…いずれにしろ新神戸までは神戸市営地下鉄が建設されることが決まっていたので、三田方面への乗り入れか、三ノ宮への直通か、悩んだ上で三ノ宮直通を選んだのでしょう。たぶん。まあそりゃそうするよな。ここで神戸電鉄を見送り、北神急行のワープゾーンに入るのでありました。


谷上から走り始めた北神急行は、六甲山系の下を突っ走り、あっけなく新神戸に着いてしまった。なんせ谷上から1駅だもんな新神戸。約14時間ぶりの新神戸だよ。宿は三ノ宮の方が近いんだけど、神戸地下鉄の初乗りが勿体ないから新神戸から歩きます。この日の夜はカプセルホテルです。どこまでも倹約(笑)。まあ、寝れればいいって事で。

神戸電鉄は大手私鉄と言うほどの規模でもなく、地方私鉄と言うには近代化されていて、その微妙な立ち位置から昔は「準大手私鉄」なんて呼ばれ方をしていました。高度成長期に急速に進んだ都市開発によって大手私鉄への道を進むかと思いきや、輸送力増強への投資は、いつしか人口減少社会となって急速に落ち込んで行く乗客の前に過剰資産となりつつあります。まさに日本のこれからの交通インフラにおける課題みたいなものを顕著に表している神戸電鉄、大手のように他業態に打って出て多角化するほどの資本力はなく、さりとて地方私鉄ほどはバッサリと合理化に割り切れない悩みと言うか…難しいよねえ。
それと、沿線の住宅開発と鉄道のアンマッチみたいなところが正直目立ちまして、そこらへんもったいないなあと。駅から見る丘の上には住宅街が広がっているのに、駅前の道路は細くてバスはおろか車も入って来れないような駅も多い。神戸市とか住都公団が主導で開発したんだろうけど、市営地下鉄ばかりに目が向いて、神鉄はあんまり関与しなかったんだろうか。もうちっと周辺の住宅街と鉄道の有機的な結合に力を入れた方がいいのかなと思うのですが、そこらへんに上手い事神姫バスが目を付けちゃったんだよなあ。神鉄関係なくそのまま三ノ宮に客を持ってっちゃう現状は、今となってはどうにもならんのでしょうけど。


鈴蘭台駅に滑り込む粟生線準急。何だかネガティブな事ばかり書いてしまったが、趣味的には大都市圏の山岳鉄道と言うシチュエーションは面白い。3両編成でここまで高低差の出る50パーミルを平然と走り抜けて行く姿、まさに神鉄の車両は山と戦うツワモノたちの集団である。天上の街と下界を結ぶ懸け橋として走り続ける神戸電鉄、「遅いし!高いし!」と言う地元の声を吹っ切る活躍を期待するものであります。
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お盆関西見聞録その8 バスに飲まれる鉄道

2015年08月24日 22時50分40秒 | 神戸電鉄

(この側線は何のため…?@市場駅)

夕方の粟生駅を出た鈴蘭台行きの普通電車に陣取り、流れて行く粟生線の車窓風景。さすがに朝から蒸し暑い中で動きっぱなしと言う事もあり、ほどほどに疲れて来た…通り過ぎた市場駅、駅は1面1線の片側ホームなのだが、駅の反対側に謎の側線が。保線用の車両置き場か何かかと思っていたが、これは車両の搬出・搬入のためのスペースなのだそうな。現在JR線との接続駅である粟生にも三田にもJRとのレール上の接続はないため、大規模修繕や新造車両はいちいちここまで陸送して、夜中に鈴蘭台の車両工場まで搬入するんだとか。


時刻は既に夕方の6時近くになっていましたが、まだまだ外は明るい。関西と言うのは東京と比べれば西の国だってー事を実感する(当たり前w)。と言う事でもうちょっと撮れそうなので藍那駅で降りてみます。藍那駅は、神戸市北区と西区の間に横たわる山間部にあり、何だかうら淋しい。隣の西鈴蘭台駅の乗降客数に比べれば、1日の乗降客数はたったの100人程度と圧倒的に少なく、とても神戸市内にあるとは思えない駅です。


とりあえずレンズをF2.8のいっちばん明るいのに変えて、撮れる時間まで撮ってみようと思います。正直粟生線の沿線写真と言う意味では少し食い足りなかった。やっぱ半日で撮り歩くにはもうちっと運転本数がないとツライ。藍那駅を通過する5000系の準急新開地行き。夕暮れ迫る裏六甲の峠道を、ヘッドライトを灯して駆け抜けて行く。


同じ場所から振り返って3000系の普通小野行き。粟生線の夕方ラッシュアワー、サラリーマン風情の乗客が目立ちます。粟生線は利用者の一番多い鈴蘭台から西鈴蘭台が単線となっているのがネックでして、鈴蘭台-西鈴蘭台=藍那-川池信号場=押部谷-粟生と細かく単線複線が入り混じる構造となっています。鈴蘭台から西鈴蘭台までが単線なのは、住宅密集地で拡幅の用地が確保出来ないのと、鈴蘭台~鈴蘭台西口間にあるトンネルが広げられないかららしい。


平日では夕方のみに運転される1100系の普通押部谷行き。押部谷は複線区間の終点かつ2面3線の駅なので、そこまでなら列車の本数も押し込みが効くって事でしょうね。押部谷行きの後は、藍那・木津・木幡・栄の4駅を通過する快速列車が追い掛けて、押部谷で普通の乗客を拾い上げるダイヤになっています。


だいぶ暗くなって来た藍那の駅で交換する1100系&1300系。夕方のラッシュ時であればこうして本数も多く、そこそこの乗客も目立つ粟生線。しかしながら、粟生線の苦境は続いている。そもそもが沿線に集客できるような行楽地を持たず、純粋に神戸中心部への一方通行の流動しか持たなかった粟生線。沿線にニュータウン開発が続いた昭和40~50年代は良かったが、今に至り団塊の世代の退職による通勤需要減、そして少子化による通学需要減、高速道路を含めた周辺道路の整備によるマイカーへの遷移、そしてこれが一番の問題になろうかと思うのだが、代替の交通網の整備による乗客離れに苦しめられています。



粟生線沿線からの乗客の逸走を見てみると、押部谷地区からは南下して神戸市営地下鉄の西神中央駅方面へ出る住民が増加している事(神戸市営地下鉄のパークアンドライド推進)、そして一番のライバルである神姫バスが押部谷・栄駅前を通り三ノ宮に直行する路線バス、恵比須・緑ヶ丘駅周辺のニュータウンから三ノ宮へ直行する急行バス、三木駅前から西神中央駅に向かうバスを走らせている事にあろうかと思われる。この神姫バスの神戸電鉄に対する攻撃は凄まじいものがあって、平日の朝7時台でその攻撃っぷりを検証してみよう。

<平日の朝7時台>
●押部谷駅・栄駅~三ノ宮間
神鉄5本(670円)に対しバス10本(620円)
●恵比須駅・緑ヶ丘駅~三ノ宮間
神鉄4本(740円)に対しバス5本(670円)
●三木駅~三ノ宮間
神鉄4本(760円)に対し急行バス3本(690円)

単線区間が多く増発の難しい粟生線、新開地での乗り換えを余儀なくされる粟生線を尻目に、まるで脇っ腹から美味しいところを吸い上げるように神姫バスが阪神高速の新神戸トンネルを使って三ノ宮へ直行するのである。特に三木営業所から恵比寿・緑ヶ丘・押部谷・栄を経由するルート(恵比須快速線)は4列シートの高速仕様のバスを投入しており、神鉄の牙城であった三木市西部のニュータウンの中まで入って行ってこまめに乗客を回収した後、藍那ICから高速に入って三ノ宮に直行すると言うツワモノ。待っている事しか出来ない鉄道と、拾いに行ける自動車の違いといったところか。所要時間についてはほぼ互角ながら、競合路線は微妙にバスの方が安い価格設定にしていると言うのも、マジで神鉄潰しに来てる神姫バスの恐ろしさを感じてしまう…


粟生線内で一番の優等列車である快速。とは言え線内で通過するのは4駅だけ。いっその事、粟生線も乗車人数の少ない中間駅については停車本数を削減して、全時間帯を快速を中心にした所要時間短縮くらい考えてもいいのかもしれないね。カーブと勾配の多い線形では表定速度を上げる事も出来ないから、時短のためには止まらない駅を増やすしかない。鈴蘭台・鈴蘭台西口・西鈴蘭台・押部谷・緑ヶ丘・志染・三木・小野・粟生くらいか。通過駅利用者には泣いてもらう事になるけど、それくらいドラスティックにやらんとこの状況は改善されんかもねえ。
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お盆関西見聞録その7 粟生行き吐息

2015年08月22日 00時20分09秒 | 神戸電鉄

(「あっ……(察し)」@神戸電鉄粟生線車内)

鈴蘭台で粟生線の急行に乗り換えたアタクシ。鈴蘭台の時点では吊り革もだいぶ塞がるくらいのそれなりの乗車率を見せており「何だよ、結構乗ってるじゃん!」なんて拍子抜けしてしまったのだが、鈴蘭台から2つ目の西鈴蘭台駅で大半の乗客が下車してしまった(笑)。それ以降は粟生方面に進むにつれて、残った乗客もぽつりぽつりと降りて行き、しまいには車内はガラガラに…雨が降るかと思って家から持って来たアタクシのビニール傘が余計に侘しいこの光景を見て察しないのはウソってもんでしょう。粟生線、マジ厳しい。

  

鈴蘭台から急勾配を上り、鈴蘭台西口と西鈴蘭台で大半の乗客を降ろしてしまった粟生線急行。西鈴蘭台の先、藍那からは単線となり、電車は藍那トンネルで小さなサミットを抜け、木津の手前の川池信号場までは裏六甲の寂しい山中を走る。藍那と木津の両駅については急行は通過してしまうので、ひとまず次の急行停車駅である木幡で降りてみた。急行が停まるからどんなもんかと思っていたが、さっきの藍那とか木津とかと駅前フリーハンデは大して変わんねーじゃねーかw

 

ともあれ木幡の駅前には1軒の寂れた商店以外何にもない。駅の横に幼稚園があり、園児は毎日神鉄電車を見ながら過ごせるのが羨ましいけど…(笑)。寂れた商店の前にあった自販機がチェリオってのもらしいなあ。思わずチェリオを買ってしまったよ。何年振りだ!とチェリオ飲み飲み準急新開地行き5000系5013編成。神鉄初のVVVF車で、急勾配の運転支援用に速度を一定に保つ(ボタンを押した時の速度で固定される)定速運転スイッチが付いとります。

 

駅手前のカーブを曲がって木幡の駅に進入してくる3000系3007編成の普通小野行き。おお、この編成は3000系の割に塗装がきれいだ(笑)。マスコン周りに関しても5000系に比べると一時代前って感じがしますね。ブレーキはこれまた昭和40年代の車両っぽい電磁直通ブレーキ。神鉄は現在合理化のため全線ワンマン運転を行っているので、運転台にはワンマン運転用に増設された機械が目立ちますね。車体側面ドア上部に付いている出っ張りって何なんだろ?と思ったら、戸閉用のセンサーなんだとか。木幡駅から乗り込んだ小野行きは、栄・押部谷と神戸市北区の北縁をなぞるように走ります。

 

押部谷から単線になり、緑ヶ丘から三木市に入って広野ゴルフ場前・志染。この志染の駅の北側には開発された住宅街が広がっており、日中の粟生線の電車の大半が折り返して行きますが、この電車は小野行き。もうちょっと乗って三木市街の中心に近い、三木上の丸駅で下車してみます。この駅、「上の丸」の名の通りに、美嚢川のほとりに建つ三木城跡(上の丸)にあります。三木城は、播磨の戦国大名別所氏の居城で、羽柴秀吉に兵糧攻めで滅ぼされた歴史を持っているそうな。おそらく開業当時からそのまんまの木造小屋のような駅舎は、神鉄の中でも一番レトロなのではないだろうか。


三木上の丸~三木間に架かる美嚢川橋梁。右側が三木上の丸駅方面になるのだが、この鉄橋は三木上の丸方面から左旋回して三木駅方面に下り込むような造りになっているのが珍しい。いきおい川面に立つ橋台の高さも右と左では異なり、その上に立つレールと架線柱もちょっとねじれながら緩やかにスパイラルを描くように続いているんだよね。

 

緩やかにスパイラルカーブの鉄橋を降りて行く1100系。横から見ると床下機器のみっちりとしたつまり具合はオール電動車のような風格を持っていますが、真ん中は冷房用の補助電源を持たされただけのサハ車だったりする。粟生線内でも50パーミルの勾配は随所に見られ、特に三木から先の小野市街にかけては丘陵地をアップダウンする案外と厳しい線形が続いていたりもする。そんなパワフルな1100系と三木駅で交換した「しんちゃん・てつくんミュージアム」6003編成が薄曇りの美嚢川を渡って行きます。鉄橋でインカーブの構図たあ珍しい。

  

三木市は人口約8万人、播磨平野東部の歴史ある城下町で、金物の生産が有名だそうな。美嚢川の橋を渡り、市の旧市街を三木駅まで歩いてみましたが旧市街は素敵に寂れており、商工会議所の掛け声も空しくボロボロでサビサビの踏切警報器が哀愁を誘う。こういう所にお金が掛けられなくなっている事に、毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。神鉄の三木駅は旧市街に馴染みまくった風合いのモルタル塗りの駅で、旧き佳き郊外電車の駅としての風情はありますが、何と駅員がおりません!市の中心駅に駅員がいないんですか(驚)。重ねて毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。

 

もとより三木市には、神鉄粟生線ともう一つJR加古川線の厄神駅までを結ぶ三木鉄道(旧国鉄三木線)と言う第三セクターがありました。営業距離僅か7km弱の零細三セクで、沿線自治体の支援を受けつつ細々と営業しておりましたが、財政再建のため同鉄道の廃止を公約に掲げ当選した現在の三木市長に息の根を止められ廃線となった経緯があります。神鉄粟生線も減り続ける乗客にいよいよ限界として、線路設備関係を地元自治体へ譲渡し、大幅に経費や固定資産税を圧縮した上で運行を継続する「公有民営化」の話も議題に上っているようですが、基本的に財政緊縮派の三木市が「経営は私企業たる神鉄の責任」として難色を示し進んでいない。三木駅の時刻表を見れば10時台から14時台まで下りは毎時1本のみで、神鉄サイドの「乗る人いないんでね」と言う開き直りすら感じさせるすがすがしい減量ダイヤ。粟生線の訪問を午後に回したのも、この日中が難儀すぎるダイヤのせいなんだよね。


播州平野の東側に連なる丘陵地に、粟生線の線路は細々と続いている。三木を過ぎ、いよいよもって乗客の流動は途絶え、大村・市場・樫山と国道175号線に沿って北西に向かって行くのだが、この辺りの国道175号線は改良拡幅された4車線道路で、大型トラックや乗用車がビュンビュンと飛ばして行く様が車窓からも見て取れます。

 

僅かな乗客を乗せた電車は、神鉄の小野駅到着。乗って来た電車は小野止まりなので、ここで後続の粟生行きを待つ事になります。15時台からようやっと毎時4本のうち2本が小野止まりになり、2本が粟生行きとなりますが、先に進むにつれ本数が減って行くダイヤは極端な言い方をすると札沼線で新十津川に向かっているような気分になって来る(笑)。平成3年頃は日中でも毎時三木行き2本・粟生行き2本を確保していたダイヤだったそうだ。乗客が半分になっちゃったから本数も半分にしましたよってか。

 

それでもホームには部活帰りの高校生が粟生行きの電車を待っており、電車の到着を待って一斉に乗り込んで行った。小野駅周辺には小野高校、小野工業高校と2つの県立校があり、大事なお客様となっている様子。いつでもどこでもローカル輸送の主要なユーザーは高校生だよなあ。一斉に乗って来られるとギャーギャーワーワーとウザイけど、ヤツらがいなかったらアタクシが好きなローカル私鉄なんてどこもとっくの昔になくなっているのかもしれない(笑)。

  

電車は小野を出ると、田園の真ん中にある葉多を過ぎ、加古川を渡って大きく右カーブ。左からJR加古川線の線路が近づくと、鈴蘭台から29.2kmの粟生線の旅が終わります。乗り換えの加古川線ホームに向かって行く高校生たちの白いソックスが眩しい。駅名票を一枚写真にパチリ、ア行2つの「AO」ってローマ字だと日本一短い駅名なんじゃないかね。あと山陰本線に「飯井(II)」があるな。長崎本線の「小江(OE)」とか。他にもあるかもしれんから誰か調べてよw


神鉄の粟生駅は、JRの加古川線のホームを間借りした形になっており、駅舎は神鉄・JR・北条鉄道の3社共同。駅周辺の風景はパッと見るだけでも神戸六甲の雰囲気とは違い、柔らかい稜線の山並みに田園が広がる播州の風景ですな。時間があればここから先、さらに北条鉄道に乗ってみるのもオツな話なんですが…そこまでの時間はないので、折り返しの鈴蘭台行きに乗って戻ると致しましょう。
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