(街の心象風景@上田電鉄千曲川橋梁)
新しい護岸と、架け替えられた赤い橋。上田電鉄別所線・千曲川橋梁。別所線のシンボルとして、そして上田温泉電軌の時代から約100年に亘り郷土の心象風景としてありつづけた赤い橋が、台風19号による洪水被害で落橋したのは2年前の秋の話。2019年の10月15日の事でした。台風被害を伝えるNHKの緊急報道番組。長野市内の千曲川決壊による新幹線水没と並行する形で、夜明けの上田市街上空から捉えられた千曲川の濁流に抉られた護岸と泡立つ水の中に落ちた赤いトラスの姿を、私も鮮明に覚えています。
千曲川橋梁は5連のトラスで形成されていますが、被害を受けたのは一番別所温泉寄りのトラス。千曲川左岸の堤防が洪水で削り取られ、土台を失って濁流に没しました。不幸中の幸いだったのは、完全にトラス部分が流失せず、片側が水の中に落ちたまま原型を留めた事でしょうか。落ちたトラスは復旧工事の過程で分解され、組み直して改めて再生されたそうです。削られた堤防道路と共に、ピカピカに塗装されて復旧した5個目のトラス。しかし現場に行ってみて分かったのは、この辺りの千曲川は、堤防の真下にアパートや民家が立ち並んでいるんですよね・・・普通に上田市中心部に近い人口密集地なので、それこそ堤防が決壊していたら相当の被害が出ていたのではないかと空恐ろしくなりました。
上田丸子電鉄の時代から、他の路線と同様に幾度となく存廃問題の浮上した別所線。そのたび地元を中心とした存続運動によって鉄路を繋いできました。しかしながら、今回は大規模災害による設備の損壊という新たな形での路線存亡の危機が発生。財政基盤の脆弱な地方鉄道において、設備復旧にかかる費用負担は大きな障壁たりえるもので、過去にも自然災害によって廃線になった地方鉄道は少なくありません。この千曲川橋梁の復旧に際しては、昨今自然災害の頻発する中で法整備された「特定大規模災害等鉄道施設災害復旧事業費補助金(長いな)」を活用し、上田市がこの橋の所有者となる形で国と自治体が折半で費用を捻出。総事業費8億円の公共投資という形で復旧が行われました。少子高齢化・過疎化に加えてコロナ禍というトリプルパンチの中では、公共交通は自分的にはある程度公的資金で支えるのが筋と思っていますけど、この橋の復旧事業に対してはふるさと納税で上田市に対し8千万円、また上田電鉄への直接の寄付で2千万円弱が集まった事は書き添えておきたいかなと。
午後になって晴れ上がった東信地方。青空と赤い鉄橋を川面に映し、別所温泉へ向かう電車。地方私鉄と言うにはパリッとしたステンレスの車両は元池多摩線系統の東急1000系。上田電鉄の鉄道事業については、昭和30年代から同社を傘下に置く東急グループの存在が大きく、車両についても、運行システムについても、強力な東急本社の支援を受けて動いて来ました。これは東急電鉄の創業者である五島慶太が上田市近郊の青木村出身であり、上田丸子電鉄にはひとかたならぬ思いがあったことがその理由であるらしい。上田駅の周辺にも東急系列のホテルがいくつかありますし、西武の軽井沢に対して東急の上田って感じで、全国的な知名度は違うけれども企業城下町的な色彩がありますよね。その橋頭堡としての上田電鉄。今回、この橋の復旧工事を請け負ったのも東急建設だそうです。グループ会社だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、ある意味東急グループが五島慶太翁の遺志を尊重する限り、大東急を興したじっちゃんの名にかけて、上田電鉄は生き続けるのかもしれません。
個人的にも、上田は東急グループの中でも別格かな・・・?という印象があるんですよね。今では全国にシェアを広げる元東急のステンレス車両ですが、7200系や1000系などその嚆矢となるのはいつも上田電鉄向けで、何かにつけ最優遇の待遇を受けている印象があります。沿線住民や別所温泉の旅館組合などの地元の突き上げも勿論ですが、長年の地元への投資でバックにいる東急の顔色は無視出来ない上田市、そこで動いた行政がカネを引っ張って、復旧仕事は東急グループに投げるという構図。鉄道の経緯と歴史を丁寧に読み解くと、なんとなーく色々なヒト・モノ・カネの結びつきが見えて来るような気がします。