青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

黒獅子旗を目指して。

2024年07月27日 13時00分00秒 | 日常

(久しぶりだよ東京ドーム@第95回都市対抗野球)

6月半ばに津軽に行った後は、週末ごとに子供や嫁が熱を出すし(手足口病、お気を付けくださいね。大人がかかるとかなり大変です)、元々今年は空梅雨模様だったけど、梅雨明けからとにかく殺人的に暑いし、そしてこんな暑い中を押してまで別に撮りに行きたいものもないし・・・ということですっかりカメラを握る活動はお休みモードに入ってしまった。んで、最近何が楽しいって言うと都市対抗野球ですねえ。お仕事上の付き合いで、いわゆる「動員」というもののお誘いを受けましてねえ。世界に目を向ければ、「動員」なんて言葉がリアルな前線送りに繋がっている国というのもある今日この頃ですが、東アジアの片隅の動員は、暑い中を都営三田線に乗って東京ドームに駆け付けるだけなのだから楽なものだ。つーか、自宅最寄りから水道橋が一本で繋がっているという恩恵を初めて受けたように感じる。ドームなんて来ること自体が久し振りだもんなあ。

外は35℃を超える灼熱の猛暑、ただ入ってしまえば空調の効いていて涼しい東京ドーム。お呼ばれのチケットでそこそこ見やすい席をいただき、これまたお弁当や応援グッズまでいただいて、生ビールを片手に特に勝ち負けのストレスのない、「党派性」の少ない野球を見るというのもいいものだ。昨今のプロ野球は「ダイナミックプライシング」なんて横文字で覆い隠して、需要の高い土日のチケットの金額を圧倒的に引き上げている球団も多く、いきおい球場から足は遠のいてしまった。この時期は同時並行で各都道府県での夏の甲子園予選も花盛りでしょうけど、この暑さの中では選手も見る方も大変だろうし、都市対抗野球は高校or大学野球を経由している選手がプレーするフィールドなので、そもそものレベルが高い。プロ野球のファームと同水準・・・と言われると微妙だが、高卒間もない選手が入り込まない分、ワンプレーワンプレーの堅確さやゲッツーの完成度などよく訓練されていて、ピッチャーも150km/hを超える球速を投げる選手もいたりする。ドラフト会議で毎年即戦力の社会人がいることを考えても、それはそうなのだが。

そして、「都市対抗」という言葉の通りに、企業名よりも優先してそのチームの属する「都市」が優先されるこの大会。ヤマハなら浜松市だし、東邦ガスなら名古屋市、西濃運輸なら大垣市。かつての新日鐵などの鉄鋼関係、電電公社と国鉄、製紙会社などの公社系か重厚長大産業が多数を占めていたいわゆる「ノンプロ」の世界も、操業工場の統合に伴い広域化しており、川崎製鉄水島と日本鋼管福山が合併したJFE西日本、三菱重工横浜と日立製作所が合併した三菱重工Eastなどなど、かつての強豪名門チームもだいぶ名前が変わっているのに気が付く。新日鐵広畑が日本製鉄瀬戸内だし、九州三菱自動車がKMGホールディングスだもんねえ・・・全然分からんわ。

企業の看板を背負った応援団によるユニークかつ華やかな応援合戦が繰り広げられる、スタンドとフィールドのぶつかり合い。これも醍醐味の一つですね。
一週間に二回も東京ドームに行くとは思わなんだ。

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津軽の芸術、高みから。

2024年07月21日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(青森が生んだ才能@田舎館村・田んぼアート)

最近は珍しくなくなりましたが、稲の穂の色の濃淡を使って描く田んぼの芸術「田んぼアート」。弘南線と黒石へ向かう国道102号線がちょうど交わる辺り、田舎館の道の駅とウインズ津軽、そして村の考古学資料館が交わるエリアに、田舎館の田んぼアートと、弘南線の田んぼアート駅があります。田んぼアートなので、上から見ないと何が何だかさっぱり分からないのですが、火の見櫓のような「弥生の里展望所」があって、300円を払うと上空からのアートの何たるかを見ることが出来ます。この日は午後に入って早くもガスり始めた田舎館村、岩木山の影すら見えなくなってしまってイマイチ冴えない眺め。西側に描かれたのは青森が生んだ版画家・棟方志功の肖像画。これは稲ではなくて石で作られています。石の色の濃淡を合わせるだけでも大変だと思うのだが、誰が作ったのであろうか。

「田んぼアート」の旬の時期は、7月から8月の終わり、青々と稲が伸び、そして稲の穂が色づき始めるまでのこと。6月の終わりはまだ季節的には早かったかもしれない。今年の田んぼアートのテーマは、地元出身の作家さんが描いた「じいさんばあさん若返る」というファンタジー系のアニメをモチーフにしたものらしい。作品としては2019年からあるものらしいが、すいません、そっち方面はあまり詳しくないんでよく分かりませんのです。田舎館村は、八甲田山系から流れて来る浅瀬石川の扇状地~平地に開かれ、比較的地味の肥えた豊かな土壌に恵まれています。リンゴを基本とした果樹栽培とコメ作りが中心の農業地域ですが、村内にあるオリンパスの子会社である青森オリンパスは、同社の屋台骨のひとつでもある内視鏡関連事業の中核工場。カメラがスマホに取って代わられる中で、オリンパスや富士フイルムなどのメーカーはその技術を医学やバイオの分野に展開していて、カメラメーカーの進む新しい形を示しています。

田んぼアートの横を走り抜けて行く弘南線の黒石行き電車。ちょっと車窓からでは、何が描かれているのかを識別するのは難しそうだ。

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ともに、あなたと。嬉しい明日へ。

2024年07月17日 22時00分00秒 | 弘南鉄道

(梅雨空の土手町から@中央弘前駅)

土手町の片隅から見下ろす中央弘前の駅。「弘前れんが倉庫美術館」の装飾を施された大鰐線の列車が止まっている。弘前れんが倉庫美術館は、駅の真裏にある吉野町レンガ倉庫を改修し、美術館として活用をした施設。なぜか屋根が金ピカに塗られており、高い場所からだとその色味が目立ちます。土曜日の日中、弘前の旧市街の人通りは少なく、閑散としています。平成の初期くらいまでは、この土手町や白銀町界隈が弘前随一の繁華街で、津軽の商業の中心地域だったのですが、現在は弘前市街の東側・・・国道7号線の弘前バイパス沿いに大手資本の量販店やファストフード、そしてレストランなどが立ち並んでいわゆる「地方都市のロードサイド文化」を形成しており、弘前市内のクルマを持ったファミリー層などはこちらへ向かってしまうようです。

土手町のメインストリート、土手町通り。弘前城や弘前市の西部市街地、そして西目屋村や岩木山方面へ向かう市内の主要な交通路で、秋田方面から弘前の城下町へ入って来る羽州街道の一部でもあります。弘前城の津軽藩のお殿様も、この道を使って江戸まで参勤交代に行ったそうでご苦労様な事である。そして、土手町のランドマークと言えば、「中三弘前店」ですね。五所川原を発祥の地とし、「NAKASAN」のブランドで青森、秋田、盛岡、弘前と北東北に店舗網を形成した大型百貨店でしたが、イトーヨーカドーやイオン系の大型ショッピングモールとの競争に苦しみ、東日本大震災の煽りを受けて2021年(平成23年)に民事再生法を適用。海外の再生ファンドの投資を得て再生計画が策定されていますが、度重なる店舗の処分と撤退により、現在「中三」の看板を掲げて百貨店事業を行っているのはこの弘前店のみとなってしまいました。

竹下登-梶山清六という自民党でもローカル色の強いラインが「地方創生」の名のもとに大きな資金をばらまいた昭和末期から平成初期。その後バブルは崩壊を迎え景気後退局面に入る中でも、地方都市には団塊世代が労働人口として残り、その子供たちは地元の学校に通い続けていた。そういう意味では、平成ヒトケタは地方の都市もまだまだそれなりには元気だったのだろう。平成7年(1995年)、既存の建物を増改築する形でリニューアルオープンした中三弘前店。その頃の大鰐線の輸送実績を見ると、ピークは過ぎたとはいえ、まだ年間で200万人を超える乗客を運んでいたということに驚く。現在の輸送実績が年間40万人を下回るペースで推移しているので、現在の5倍である。東北新幹線もまだまだ盛岡止まり、東京は夜行列車で行く場所だった弘前の街。親に連れられ大鰐線に乗って、土手町の中三でショッピングを楽しんだ世代も、もうそろそろアラフィフだろうか。そして、この街に残っているのだろうか。リニューアルオープンの際に設置された、意欲的な螺旋を配した空中回廊とアトリウム。この日は食品の福引会場に使われていましたが、こんな洒落た空間、もっと有用に使って欲しいものだよなあ・・・(笑)。

弘前の街、旧市街に建つ街を支えた百貨店。中三の地下の食料品街、フードコートの片隅に名物が待っている。黄色地に茶色の「中みそ」の文字。「中三」の味噌ラーメンだから、中みそ。キャベツともやしと豚ひき肉を炒め、結構ニンニクがバシッと効いた甘めの味噌スープと合わせている。味噌ラーメンだから太麺なのかと思いきや意外にも細めの縮れ麺で、モチモチとした啜り心地にシャッキリと食感を残した野菜の火入れがいい。津軽って地方は、どこで食べてもラーメンが安定して美味しいなあと思う。煮干しラーメンも美味しいし、普通の街の中華屋の何の気ないラーメンも美味しいし。ラーメンに関しては、津軽っ子の舌が肥えているというのもあるのかもしれない。この「中みそ」の美味しさは、ラーメン通を唸らせるような通ぶった美味しさじゃなくて、街の人たちのお腹を温かく満たす分け隔てのない優しさに満ちているような気がする。サッと来て、パッと出て来て食べられる、いつでも変わらず迎えてくれる安心感が与えてくれる、これも一つの「ふるさとの味」なのだろう。

縄文式土器を象ったらしい大きなオブジェが目立つ中三弘前店。ここの「中みそ」と、弘前バスターミナルにあるイトーヨーカドーの「ポッポの山盛りフライドポテト」は、弘前の学生たちの放課後のソウルフードらしい。ちなみに、今年の2月に弘前のイトーヨーカドーは撤退を決定していて、これも旧市街側(弘前城側)の商圏のシュリンクかなあ・・・と思わなくもない。まあ、ヨーカドーは東北関東甲信越と片っ端から店舗閉めまくってるし、青森県内も青森・五所川原・八戸・弘前と全部撤退なんで、弘前の街というよりはヨーカドー自身の問題だと思う。ただ、弘前バスターミナルのテナントとして弘南バスが長いことオーナーさんだったから、ヨーカドーに出られちゃうとテナント料入って来なくて大変なんじゃないかなあ。そうそう、ヨーカドーの退店と言えば、長電も大店のテナントだった長電権堂ビルからヨーカドーが出られちゃって大変だったんですよね。今は減築して綿半になっちゃってるけど。

そんな弘前城周辺の旧市街で、なんとかかんとか牙城を守る中三弘前店。地下の食料品コーナーは結構地元の食材やメーカー品をいっぱい扱ってて、こーいうところブラブラすんの大好きなんですよ。煮干し中華の津軽ラーメンとか「源たれ」のゴールド甘口(関東だとあんまり売ってない)を手に入れてほくほくしてしまった。でもね、閉店が18:30はちと早過ぎるかなあ・・・理由が節電ってのも切ない。こーいう地方の百貨店文化大好きだから、頑張って欲しいんだけどねえ。

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何よりも、走り続ける意味ありて。

2024年07月15日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(お岩木朧ろ@義塾高校前駅)

朝は何とかその姿を確認できた岩木山も、日が昇るにつれてその姿は梅雨らしいガスっぽい空気に覆われて霞み、モヤり、朧ろになってゆく。リンゴ畑の中の義塾高校前駅、弘前方面からやって来た電車には土曜日ながら何人かの学生の降車客がありました。部活なのかな。東奥義塾中学校・高校は沿線最大の中高一貫校で、合わせて1,000人程度の生徒数が在学しており、大鰐線の最大の顧客ともなっています。ただし、最近は同校も少子化による生徒数の減少が目立っており、また生徒の利便性を鑑みて学校側がスクールバスを走らせたりしていて、沿線から鉄道を使った学生の流動は漸減傾向。東奥義塾のスクールバスは、弘前中心部や近郷市街地だけでなく、遠くは五所川原駅前や黒石駅、浪岡駅前などからも走るのだから大したものである。特に黒石市方面とか、弘南線+大鰐線両方の利用流動に関わって来そうだ。まあ、弘前駅から中央弘前駅までの乗換を考えると、電車で通うのはあまり現実的なルートではないのかもしれないが。

弘南線には「弘前東高校前・柏農高校前・尾上高校前」と三つの学校駅があり、かたや大鰐線には「弘高下・弘前学院大前・聖愛中高前・義塾高校前」と四つの学校駅があることからも、通学需要というのは、弘南鉄道全体に課された重要なタスクと言えます。そもそも、弘前という街は現在でも青森県の国立大学(弘前大学)が置かれている文教都市で、それは弘前藩の時代から藩校が置かれたことからも分かります(ちなみにその藩校が現在の東奥義塾)。市内の高校数なども、周辺の市町村に比べると明らかに多く、その多くは弘前城周辺の旧市街や市南部の大鰐線沿いに集中しているのも特徴です。勿論、現在の通学事情は弘前駅からのバスだったり、親の送迎などが主力なのでしょうが、雨の日も風の日も雪の日も、沿線の学校群に生徒たちを安全安心に送り届けるための公共交通機関として、弘南線と大鰐線の存在を無視するわけには行きません。単純に「収支が悪いから」と一律に廃止やバス転換に進めないのは、この辺りの「公共性の強さ」が要因の一つなのでしょう。というか、赤字で廃線にしてたら日本中の地方のローカル私鉄が廃線になってしまいますよね。もちろん、通学のような一時に大量の流動が発生する需要に対応することについては、2024年問題に端を発したバスのドライバー不足も影響することは論を待たないと思いますが。

紫陽花が色づき始めた弘前学院大前駅。草生した線路をゆるゆると、中央弘前行きの電車がやって来る。どうしても、収益面の厳しい地方のローカル私鉄を見ると、遠くの人々から「乗って残そう」だとか、「クラウドファンディングしましょう」だとか、どっかで聞いたような対処療法的な話が出て来る。そもそも、地元の人が乗ってないから苦しいわけでして、地元の人が大して乗っていないものを「乗って残そう」なんて話に意味があるのか?というねえ。そして「乗って残そう」以外の知恵が出せないローカル線は、過去の事例を見ても存続はなかなか厳しいのでは?という思いはある。結局は、残るも残らないも「利用者は少なく収支は赤字だが、地域の公共交通として存続を希望する」という地元の明確な意思と、地元自治体から金額の大小にかかわらず「支援の旗」が明確に上がっているかどうかだよな。ただ、財政の厳しい地方の市町村単位の支援は、どうしても「あっちが出せ」「こっちは出さん」と行政同士の利害の対立を招いてまとまらない場合もあるので、そこは県や国が率先して調整に出てかないといけないのかなと。設備産業である鉄道会社は、日々の軌道修繕や車両の保守、大鰐線であれば石川高架橋を始めとする大型の土木構造物の保守問題、今後想定される車両更新だったり、一企業ではどうにもならない規模の金額が必要となる時期が絶対に来ます。そこの費用と便益を考えて今から準備するか、それとも「民事不介入」を決め込んでサドンデスを待つかも行政手腕でしょう。先日、高松の「ことでん」に対し「鉄道事業再構築実施計画」に基づいて香川県と地元自治体から5年間で約97億円の支援が実施されることが発表されていますが、規模の違いこそあれ、本気でどうにかしたいのなら、それだけの長期の支援と金額がかかるのが鉄道事業ではあります。

スーパーが併設された弘前学院大前駅から、電車に乗って街へ出て行く住民たち。単純に「赤字を容認する」ということではないけれど、バスを含めた公共交通体系を維持するための支出を、「クルマがあるからいいよ!いらないよ電車なんて!」という人たちを含め、社会生活の「必要経費」として最低限は負担して行くという地域の合意形成。もちろん、すべてを「鉄道ありき」でそのまま残す訳には行かないのでしょうが、収益状況によって単純に存廃の見極めを行うことはせず、周辺自治体と都道府県が二人三脚で公共交通への支援を応分に負担するという「割り切り」。そしてそのための利害調整を促進する国の関与。北陸地方なんかでは、並行三セクを中心に危険水域に至る前にこの手の取り組みが積極的に行われているのですが、そろそろ定着してもいいんじゃないかなあ。

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運命(さだめ)を握る高架橋。

2024年07月13日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(駆け上がれ、希望を繋ぐ高架橋@石川高架橋)

大鰐線一番の見せ場であり、土木建造物である石川高架橋。大鰐を出た列車は、暫く奥羽本線の東側を走りますが、ここで平川沿いの平地から奥羽本線を跨ぎ越して白神山地と岩木山の作り出すリンゴ畑の台地へと登って行きます。橋長は約270m、アルファベットの「A」の形をした橋台が印象的。総称は「石川高架橋」ですが、構造としては石川第一陸橋・JR跨線部・石川第二陸橋の三つに分かれていて、開業から70年超に亘って大鰐線の線路を支え続けています。柵も保守用の通路もなく、コンクリートモルタルの細い橋台でまな板のようなまっ平な路盤を支える構造は、鉄道の高架橋としては非常に華奢に見えるのですが、これは冬場の積雪を考えてのこと。高架橋に積もった雪を橋の下に落とすためには、線路以外の構造物は極力設置しないほうが都合がいいのだそうで。そんな石川高架橋の除雪シーンについては、前回の冬の津軽の訪問時に運よく見ることが出来たのですが、古豪のラッセル車がウエスティングハウス製の古典電機に押されて見事なシュプールを描く姿は感動しましたねえ・・・あのシーンは、日本の鉄道百景に入れてもいいと思うんだよな。

季節は変わって初夏。石川高架橋、歴戦の古強者といった感のある巨大構造物ですが、それだけに経年による劣化はいかんともしがたい部分があって、この日も中央弘前側の桁では足場が組まれて補修作業が行われていました。JRの奥羽本線を跨ぎ越すため、この橋の安全性に関してはJRからもかなりの注文が付いていると聞きます。東日本大震災の例を待たず、地震国である我が国日本。青森県の津軽地方はそう地震の多い地域ではありませんが、耐震基準を大幅に満たさなかったり、重大な損傷が見つかったりで、この石川高架橋が「対処的な補修でなく、全面架け替えの必要性がある」と判断された時が・・・大鰐線の命運が決まる時なのではないかと思うのですよねえ。

梅雨晴れの光に、コルゲートとディスクブレーキがキラリ。
大空に優美な曲線を描いて、バッドステンレスとパイオニアサードが渡って行きます。

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