青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

その存在に比類なし。

2025年02月12日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(黒装束、冬の西日に輝かせ@館田~新里間)

午前中は雪国らしい寒々とした曇天だったが、午後になってだいぶ陽射しが戻ってきた津軽平野。冬の陽射しは、午後三時を過ぎて早くも赤味を帯びながら傾き始めた。田んぼアートで見かけたラッセル、おそらくは弘前までの一往復でしょうから、ある程度先回りすれば捕捉できそう・・・ということで、朝に展開した館田駅付近へ。田舎館~平賀までは南北に向いている弘南線の線路は、平賀の先で大きくカーブして弘前までは東西方向に走っていますので、順光で捉えるならこの辺りかなあという見立て。弘南のラッセル、カラスのように真っ黒なので、逆光や日陰で撮影したら完全にドボン食らうのでねえ。汽笛一声、館田の駅を発車するラッセル編成、高度の低い冬の陽射しを浴びて真っ黒なボディを艶めかせるキ104。飛ばす雪もないので完全な回雪モードですが、いつも勇壮な姿のラッセルの表情も、心なしか柔和に見えます。

新里駅で定期の黒石行き25レと交換のため待機するラッセル列車。新里の駅には、五能線で走っていた8620型蒸気機関車が保存されている。弘南線とSLには縁もゆかりもないが、今の新里の駅舎を新築した際に鯵ヶ沢から移設したものだそうだ。鯵ヶ沢で海風に吹かれてボロボロになっていたものを地元のNPOが引き取ったらしいが、結局ここでも冬場は雪に埋まりっぱなしなので、厳しい気象条件の中で車両を保存するということはどのみち大変なものと思われる。このハチロクは1921年(大正10年)に落成し、1973年(昭和48年)に弘前の機関区で最期を迎えたカマなのだが、かたやキ104の製造が1929年(昭和4年)、押し役のED333が1923年(大正12年)製造だから車歴で言えば殆ど変わらないのだ。そして、そのコンビがSLの引退より倍の時間を経ても未だ現役なのだから、なんというモノ持ちの良さだろうか。もちろん、どちらの車両も替えの部品を製造している会社はないのだろうし、何かあったら即運行不能に陥ってしまう綱渡りの運用のはずではあるのだけど。

運行不能と言えば、大鰐線にいるED221はこの冬は故障で身動きが取れないとのこと。今シーズンの雪の多さを考えると、このコンビも大いに出番があったと思われるのだが、ひとまず大鰐にいるMCRが排雪を代行しているらしい。ただ、あまりにも出動回数が多いせいか、大鰐線のMCRが故障してしまい終日運休という事態にも陥っていて、つくづくこのコンビが動ければなあと。ひとまず雪が降ったら大きさとパワーとウエイトのあるキ105+ED221で全線突破させて進路を切り開き、雪壁が高くなったら個別にMCRでかき寄せて投雪するというサイクルがセオリーであって、非力なMCRやラッセルヘッドの小さいモーターカーで全線の積雪の面倒を見るのはなかなか難儀なシロモノだろう。ただ、同線が三年後に廃止されてしまうことから考えても、そもそもED221の修理をおこなうのかどうか。同年代の米国BW製の古典電機、ひょっとしたらED333に使える部品を拠出して・・・ということも想像できてしまい、先行きが案じられるところでもあります。平成30年の冬、大鰐線で出会ったED221のラッセル。この雄姿をもう一度・・・と願っているのは私だけではあるまい。

ちなみに、重い雪を跳ねのけながら電気機関車でキ104を押して進むのは相当に電力を食うそうで、除雪要員の確保とともに冬の弘南電車の大いなる悩み。ただし、除雪能力とその突破力においてやはりキ104&105の右に出る者はおらず、冬の安全運行を確保する上で比類なき存在であることは疑いない。25レの柏木温泉号と交換するキ104+ED333。新里を出ると、あとは弘前駅まで交換できる場所がないので追っかけもここまで。おそらく、弘前まで上ったら先行した折り返し27レを先に出してその続行だろう。北の国の夕暮れは足早で、どんどんと太陽が西の山の方角に沈み始めている。折り返しのラッセルが来るまで、日持ちするだろうか。

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たんげあずまし、赤と黒のエクスタシー。

2025年02月10日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(きららの午後@境松駅)

田舎館の駅から浅瀬石川の長い鉄橋を渡ると、電車は黒石市に入って境松の駅。駅自体が浅瀬石川の堤防上に架かるようにあって、その下を小さな用水路が東へ向かって流れています。弘南線の中でも地味な存在の駅ですが、駅の横に大きく枝を伸ばす桜の木が見事で、春の季節に訪れてみたいものです。浅瀬石川の右岸の境松の集落は黒石市街の東の外れという位置にあって、駅前の道を行くとそのまま黒石の中心街にある「こみせ通り」に続いている。良く晴れて暖かかったこの日の午後、境松の集落の人たちは降り積もった雪の片付けに追われていた。多少気温が高ければ、雪も柔らかくて片付けやすいのだろうか。それとも、昼間に溶けて夜に凍ってを繰り返し、ガッチガチに固まって扱いづらくなる前に・・・ということか。

どうせ夜までウロウロしてしまうだろうから、地元スーパーで晩酌の材料を買い込んで黒石駅前。弘前の駅前と比べてもさらに雪壁が高い。曲がりなりにも、八甲田山の津軽側の入口にあたる街だから、従来でも冬になればそれなりの積雪量がある。黒石から国道102号線で温湯の温泉街を抜け、山に入って城ヶ倉大橋を抜けると酸ヶ湯温泉に至るのだが、八甲田山系の北麓にある酸ヶ湯温泉という場所は、この冬に何度天気予報に出て来たか分からないほどの日本一の超豪雪地域ですよね。ちなみに、酸ヶ湯もいいんだけど黒石からほど近い場所にある温湯温泉ね。共同浴場の鶴の湯を囲むように「客舎」と呼ばれる古風な湯治宿が建っている風趣のある温泉街で、ぜひ行ってみたいところである。後藤温泉客舎とか、ああいう世界観に結構憧れるところあるんですよね。

黒石の駅周り。路地裏に入ると一層雪の量が多い。まだなかなか片付け切れていない様子。あるいは、降っては積もり降っては積もりだから、ある程度通れるだけの道を付けたらそれでいいのかもしれない。青森のラジオで、「あまり雪の積もらない南部の人は、道の白線が出るくらいにやたら丁寧に雪かきをするが、津軽の人はどうせ積もるから・・・とある程度道を付けたら雪かきを終わらせてしまう」という話が流れてきて、「そんなもんなの?(笑)」と思ってしまった。まあ、あながちウソとも言えないのかもしれない。だって、雪かきをやってもやってもすぐ積もるんじゃねえ・・・何回やればいいの、いつまでやればいいのって話ですよ。という声が黒石駅の構内から聞こえたような気がした、キがした、キ104さん。弘南線の冬の守り神であり、そして黒石のヌシ。相棒のED333と。あれ・・・?パン上げてますね。何でや。午後なのに。しかもいつもの定位置の側線じゃなくて、2番線に据え付けられている。点検なのか?いや、点検なら側線でやってればいい訳で。謎が募る。動くのかい?動かないのかい?どっちなんだい!と尋ねてみても、黒石の主はムッツリと押し黙ったままなのであった。

半信半疑で、ラッセルが動く可能性を含みながら田んぼアートの駅に陣取ってみる。駅の踏切の向こう側に大きな雪捨て場があって簡易的な足場に使えそうなので、丁寧に雪踏みをしながら高さを稼いでいく。この冬の積雪で線路際に出来た雪の壁のせいで、アイレベルでは足元が隠れてしまうのだ。折しも、「道の駅いなかだて」に隣接する雪の積もった田んぼにスノーシューを履いて絵を描く「冬の田んぼアート」が開催されていて、多くの観光客が訪れていた。冬の田んぼアート、展望タワー(弥生の里展望所)からナスカの地上絵の如くの雪上のアートを眺めることが出来るのだが、この週末は弘南鉄道も田んぼアート駅に臨時停車をして観光客を輸送しており、日中にもそれなりの利用があった。夜はライトアップされ、展望タワーも20時まで解放されるそうなので、夜に行ってみようと思う。

さて、気になるのは先ほど黒石でパン上げでスタンバっていたキ104+ED333のコンビである。別にレールの上に雪が積もっている訳でもなく、除雪の必要があるとは全く思わないが、それでもパン上げをしていたというのであれば何かのイベントか回雪か、どこかの誰かがチャーターしたフォトランか、ということになる。まあ走ったら走ったで嬉しいし、点検だけで構内で転線して黒石のクラに収まってしまうのであればそれもそれだし・・・という感じでやっぱり半信半疑で待っていると、ものの10分も経たないうちに田舎館の駅の構内踏切の音が遠くから聞こえて来るではないか!時間的に間違いなく定期列車ではない。ということは走って来るのはラッセルで確定の赤ランプである。田舎館の構内を通過する汽笛の音が聞こえて、上擦る気持ちを抑えてファインダーの中で目を凝らせば、国道の高架を潜って真白き舞台に躍り出る弘南の冬の守り神!

雪晴れの津軽の午後の日差しを浴びて、赤と黒のエクスタシー。
前回の津軽の冬に遭遇した大鰐線のED221のラッセルシーンに続き、今回は弘南線のラッセル走行シーンにお目にかかることが出来るとは・・・
弾き飛ばす雪は少なけれど、思いもよらぬ雄姿を拝むことが出来ました。

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平賀の街の染みる味。

2025年02月08日 09時00分00秒 | 弘南鉄道

(雪原を行く@柏農高校前駅)

赤い待合室がチャームポイントの、柏農高校前の駅。通学時間には多くの学生たちが乗り降りをした駅のホームは、朝の輸送力列車のために非常に長いものになっている。ただ、既に朝の輸送力列車を止めてしまった駅のホームは、2両編成の電車が止まる場所以外は除雪もされないままだ。津軽の白く染まる沃野の中を、遠くから弘南線の電車がやってくる。見渡す限りの白い世界だが、この雪が涵養する豊かな水が大地を潤し、春の雪解けが田園を潤し、夏の陽射しが稲穂を育て、秋の実りに繋がっている。また、雪で冷やし込まれることによって病害虫が息絶え、土壌が清浄化される効果もある。そして雪の下でじっと冬を越す小さな動物や昆虫は、春の訪れを前に動き始めて、雪混じりの田んぼの土をせっせせっせとこねくり回し、ふっくらと空気を含むよい土になるのだそうだ。自然というものは非常に良く出来ていて、そして深遠である。

さて、そんなこんなで弘前の街から館田温泉で朝湯を使い、平賀の街の方面へ繰り出しつつぼちぼちとカメラを握って撮り歩いていると、にわかに腹が減ってきた。そういえば、朝から夜行バスに乗る前に上野のセブンイレブンで買ったスティックパンしか口にしていない。旅に出ると、とりあえず行動を起こすことが先になってしまって腹が減っても適当に食事とも言えないようなコンビニメシで食いつないでしまう。そもそも、もう弘南線沿線に来る回数も増えてきた中で、そこまでガッツリと線路っぱたにいるのも芸がない。地方のローカル私鉄を味わうことは、その路線が走る街に惚れ込むことでもある。たまにはそういう街場のお店でも・・・ということで、平賀の街中で見つけた食堂へ入ってみた。入った理由は、目に入ったから何となく・・・というのが一番だが、11時過ぎでまだ早い時間なのに結構クルマが止まってたから。少なくとも一定の地元人気がありそうで、悪くないんじゃないかなあと。

暖簾をくぐり、がらりと扉を開けると雪落としの小部屋がある造りがいかにも北国の食堂。少し古びたショーケースに並ぶ食品サンプルの数々・・・おお、まさに昭和の食堂という感じの、和洋中なんでもありのレトロなラインナップ。そしてわざわざ「出てくるものはサンプルと少々異なる場合があります」みたいなことが書いてあるのもバカ丁寧だ。中に入ると思いのほか店内は広々としていて、真ん中でダルマストーブが赤々と燃えている。入口の近くの椅子に座ったおっちゃんが一人だけ、大きな灰皿を貰ってうまそうにタバコをふかしていた。あれ、止まっているクルマのヌシたちはどこへ行ったのかと思ったのだが、奥から賑やかな声が時折聞こえて来て、会合なのか寄合なのか、まあそういうものをやっているらしい。

旅する先の孤独のグルメ。ラーメンひとつ頼むにも、細切れちぢれ麺と手打ち風太麺の二つから選べるというのも心憎い。井之頭五郎であれば、これだけで注文に5分は悩んでしまうだろう。私は五郎さんみたいに注文で悩む事ってそんなにない。わりとなんでも食えるし、インスピレーションで決める方だし、何より待つのが嫌いだ。結構な年配のお母さんがやや足元おぼつかずに水を持ってきてくれて一言「お決まりになりましたら・・・」の言葉に被せるように「五目中華そばで」というオーダーを返した。壁に絵が貼ってあって何だか美味そうだったし、五目そばって長いこと食ってねえな、というのもあったので。

帳場の奥の調理場から、何やら具材を炒める音や、麺をチャカチャカと湯がく音などが聞こえてくる。調理をするのは、水を持ってきてくれたお母さんの息子の役割か。息子ったって、80代後半っぽいお母さんの子供だから、齢にしては還暦はとうに過ぎているだろう。団塊世代&団塊ジュニアというより少し上の世代のコンビが提供する五目中華そば。この手の料理の「五目」って何を指すのか別に決まってはいないのだけど、チャーシュー、冬菇(しいたけ)、タケノコ、赤カマボコ、ゆで卵で五目達成、白菜、もやしときくらげはエキストラというところか。ちょっと塩味強めのスープがシミシミの冬菇や白菜が美味いねえ。特に、冬菇の味がスープに溶け込んで、中華と言いつつ「和」の風味をより高めている。津軽のラーメンってーと「鶏ガラと煮干し」を中心にした醤油スープだったり、煮干しを砕いてドロドロにした「セメント」なんて言われるアクの強い煮干しスープが特徴だけど、こういう気取らないシンプルなあっさり塩スープもいいね。遠慮なく色を付けた赤カマボコに赤ナルトも郷土の味という感じで箸が進む。ごちそうさまでした。

平賀、昼下がりの検車区の横を電車が行き交う。検車区の入口の通路には、スプリンクラー代わりに水道のホースがくくり付けられて、ぴちゃぴちゃと水が撒かれていた。古びた木造の検修庫に入る東急7000系は、原形顔が修理中。東急7000もね、改造されて日本中の地方私鉄にバラまかれましたけど、とっくの昔に使うのを止めちゃった秩父鉄道はともかく既に福島交通とかは更新を終えてしまったし、北陸鉄道とかも虫の息。未だにバリバリ現役なのはここと水間くらいでしょうか。おそらく一番最後まで生き残るのが養老鉄道なんだけど、あそこは東急時代に7000系を池蒲線系統向けにチューンアップした7700系を、さらに近鉄の塩浜で改造して入れてるんで少しヒストリーが違うんですよね。車体はともかく、艤装品がかなり新しいので。

それにしても、雪国で外付けディスクブレーキとか大丈夫なの?といっつも無駄な心配をしてしまうのだが、そこまでスピードを出すもんでもないから、雪を挟み込まないように軽く制輪子を当てて走ってれば平気なのかな。弘南線で一番速度が出るのって平川の鉄橋あたりだと思うけど、軌道がそこまで強くないから出しても60km/hくらいなもんですしね。

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雪に負けるな、津軽の林檎。

2025年02月06日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(雪原の高架橋を行く@津軽尾上~尾上高校前間)

弘南線のハイライトの一つ、尾上高架橋。浅瀬石川から引き込まれた用水の走る田園地帯を、古いコンクリートモルタルで跨ぎ越す350mの高架橋です。バックに岩木山を望む高架橋の姿は、弘南線随一の撮影地として有名。ちなみに、高架橋のレールはレベル(水平)で敷かれているかと思わせておいて津軽尾上から尾上高校前へ向かって僅かな下り勾配になっていて、手前の水田と岩木山を雄大に広角で撮る構図を作ろうとするとなかなか水平が出しづらかったりする。この日の午前中は岩木山も雲隠れしていたので、おとなしく尾上高校前側から撮影しましたが、望遠レンズで圧縮すると、尾上の高架橋も歴戦のツワモノという感じでなかなかガタガタとした路盤と橋脚が浮き彫りとなって味わい深い。もちろん補強工事などはなされているんだろうが・・・冬ざれの雪原を渡って来る電車、中間車改造の顔でも絵になります。

昨年の年末からの津軽の雪の量は尋常ではなく、たびたび寒波となって襲い掛かりリンゴ畑を埋め尽くしました。雪の重みによるリンゴの倒木と枝の折損被害が多発していて、この秋の収量にも影響が出かねないという危機感があるようです。県や市を中心とする自治体は、従来であれば春まではおこなわない農道の除雪を異例の前倒しで進め、リンゴ農家の畑の整備を支援しているのだそうです。折れた枝をそのままにしていれば、そこから腐ってしまってリンゴの木自体がダメになってしまうだろうからねえ。弘前は春の桜が有名ですけど、大振りの桜に見事に花を付けさせる管理方法は、地面に沿って枝を這わせ花を咲かせるリンゴ農家の枝の剪定技術を応用したものなんだそうです。リンゴも桜も同じバラ科の植物ですからね。厳しいと思うけれども、傷付いたリンゴの木が一本でも救われることを願っている。

一面の雪に覆われた尾上の高架橋とリンゴ畑を、音もなく弘南線の電車が通り抜けて行く。春はまだか、の津軽平野。畑の中にズボズボと入って行っているように見えますが、Googleマップで一応雪の下に道のあることを確認しております。雪中行動、このあたりをよく確認しておかないと特に田んぼ回りなんかは、雪の下に隠れている水路みたいなものをズボッと踏み抜いてえらいことになってしまう。足が濡れてしまうくらいならまだ笑い話だが、そのまま雪の中に埋もれるか水路に流されるかで生命の危険を伴う場合があるので・・・特に単独行動の場合はね。こんなところで雪に埋もれて叫んだって誰も来やしないからさ。それと、旅行者っぽい人がくるぶしくらいまでのスノーブーツみたいな足元で雪の中に入って、緩んだ雪にずっぽしハマってひっくり返っているのを見たのだが、私はアホなので恥も外聞も捨てて家からヒザまで入るゴム長履いてきました(笑)。雪国は下駄箱もゴム長前提で縦長に作ってあるからいいよねえ。やはりゴム長しか勝たん。

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早寝・早起き・朝湯で暮らす。

2025年02月04日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(地方私鉄の厳しい現実@館田駅)

館田駅の待合室に掲示してあった従業員募集の告知。2025年問題という団塊世代の高齢化による労働力不足は、否応なしに地方私鉄の現場にも押し寄せています。そもそも公共交通機関は「売上」である運賃を国交省による認可により定められた事業ということで、なかなか営利性のみを追求した形にはしにくいものです。大手私鉄は別事業として不動産や建設、小売り、流通などをグループ会社で持つことによる収益の補完構造が成立していますけども、地方私鉄はなかなかそのようなコングロマリット的な事業体系は形成できず、慢性的な低賃金にあえいでいます。地方の過疎化は、乗客減少にもつながりますけど、労働環境の悪化にも直結していて・・・運転士もそれを支える技術職も高齢化し、再雇用などをかけて騙し騙し職場のシフトを回しているのが現状のようです。運転士のみならず、車両保守や保線や饋電関係を担える人材が枯渇しかかっているのですよね。正直、必須ではないにしろ電気工事二種免許まで求めて正社員じゃなくてアルバイト待遇まであり得るというのはどこまで集まるのかねえ・・・という気がしますし、賃金は?という一番大事なところが書いていないところに、人事担当者の苦悩が感じられます。「はぁ~客もいねェ、人もいねェ、おカネもそれほど払えねェ」ということで、おらこんな街イヤだぁにはなって欲しくないもんだが。

難しいことを考えていたら寒くなってしまったので、津軽らしく朝湯を楽しんで行く事にします。駅から南の方向に歩いて5分くらいの場所にある「館田温泉」。津軽地方、それこそ北の五所川原から弘前・平川・黒石・大鰐の範囲は、石を投げれば当たるのではないかというくらいの温泉施設のメッカで、通りすがりに見つけた温泉に全部入ってたら簡単に日が暮れてしまうだろう。という訳でこの温泉も、前を通ったことあるので存在は知ってたんだけど立ち寄ったことはなかったんですよね。朝5時からやってるってのもいかにも津軽クオリティ。名古屋のモーニングじゃないけど結構青森の朝湯戦争も激しさがあって、それはサービスというよりも「開湯時間」なんですよね。一応決めごととして「朝5時」にしているところが多いんですけど、その時間を目指して一番風呂に行ったらもうお湯に浸かってるジモのオッサンが何人もいたりする。「いつから開けてるんだ?」「営業時間の概念って?」という根本的な疑問がありますし、そもそも来る客も来る客であんたらいつ寝てんの・・・と。そう思って一度湯船で聞いたことあるんですけど、青森のおっさんらって寝るのも凄く早いらしいのですよ。夕方の5時くらいから晩酌始めて、6時くらいにご飯食べて7時のニュース見て8時には寝ちゃう、みたいな。勿論会社勤めのホワイトカラーの人たちとかはそうも行かんのでしょうけど、リンゴ農家の人とか、お米の農家さんとか、そういう第一次産業の人が中心の地域ならではの生活サイクルなんでしょうね。そら夜8時に寝てたら朝4時に起きてもばっちり8時間睡眠だでなあ。館田温泉はいかにも津軽らしい重曹の効いた塩化物泉でツルツルとした肌触り。そしてなんか妙に旨みの効いた和風出汁的な塩味がある。それにしても一浴でポカポカとやたらと温まりが良いのは津軽の温泉の力だなあ。湯上がりに東奥日報読んで400円でした。

ホカホカの体で館田駅へ戻る。ちょうどやって来た7153編成の弘前行き、行き先表示のステッカーもボディのブルーの線も擦れてしまって痛々しい。ちなみにこのヘッドマークの「柏木温泉」というのはお隣平賀駅から南のほうに歩いて行くとある温泉施設である。弘南線、昼間がおおかた一時間ヘッドになって、利用者の利便性はどうなのだろうか。朝夕の高校生の通学には影響を出さないように・・・ということでの日中を間引いた減便策。まだ黒石方面は弘前へ直接出る弘南バスが一時間に一本あるからいいんだけど、弘前から平川を渡ったこの館田とか平賀の市街などの中心地は日に何本かのコミュバス程度の交通インフラしかなく、単純に弘南線の減便は交通インフラの後退でしょう。公共交通が公共交通として有意に定期客以外の日常の利用に耐えうるのは毎時一本が最低限のラインなのだそうだが、これ以上のダイヤ上の後退がないことを祈るのみである。

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