(黒装束、冬の西日に輝かせ@館田~新里間)
午前中は雪国らしい寒々とした曇天だったが、午後になってだいぶ陽射しが戻ってきた津軽平野。冬の陽射しは、午後三時を過ぎて早くも赤味を帯びながら傾き始めた。田んぼアートで見かけたラッセル、おそらくは弘前までの一往復でしょうから、ある程度先回りすれば捕捉できそう・・・ということで、朝に展開した館田駅付近へ。田舎館~平賀までは南北に向いている弘南線の線路は、平賀の先で大きくカーブして弘前までは東西方向に走っていますので、順光で捉えるならこの辺りかなあという見立て。弘南のラッセル、カラスのように真っ黒なので、逆光や日陰で撮影したら完全にドボン食らうのでねえ。汽笛一声、館田の駅を発車するラッセル編成、高度の低い冬の陽射しを浴びて真っ黒なボディを艶めかせるキ104。飛ばす雪もないので完全な回雪モードですが、いつも勇壮な姿のラッセルの表情も、心なしか柔和に見えます。
新里駅で定期の黒石行き25レと交換のため待機するラッセル列車。新里の駅には、五能線で走っていた8620型蒸気機関車が保存されている。弘南線とSLには縁もゆかりもないが、今の新里の駅舎を新築した際に鯵ヶ沢から移設したものだそうだ。鯵ヶ沢で海風に吹かれてボロボロになっていたものを地元のNPOが引き取ったらしいが、結局ここでも冬場は雪に埋まりっぱなしなので、厳しい気象条件の中で車両を保存するということはどのみち大変なものと思われる。このハチロクは1921年(大正10年)に落成し、1973年(昭和48年)に弘前の機関区で最期を迎えたカマなのだが、かたやキ104の製造が1929年(昭和4年)、押し役のED333が1923年(大正12年)製造だから車歴で言えば殆ど変わらないのだ。そして、そのコンビがSLの引退より倍の時間を経ても未だ現役なのだから、なんというモノ持ちの良さだろうか。もちろん、どちらの車両も替えの部品を製造している会社はないのだろうし、何かあったら即運行不能に陥ってしまう綱渡りの運用のはずではあるのだけど。
運行不能と言えば、大鰐線にいるED221はこの冬は故障で身動きが取れないとのこと。今シーズンの雪の多さを考えると、このコンビも大いに出番があったと思われるのだが、ひとまず大鰐にいるMCRが排雪を代行しているらしい。ただ、あまりにも出動回数が多いせいか、大鰐線のMCRが故障してしまい終日運休という事態にも陥っていて、つくづくこのコンビが動ければなあと。ひとまず雪が降ったら大きさとパワーとウエイトのあるキ105+ED221で全線突破させて進路を切り開き、雪壁が高くなったら個別にMCRでかき寄せて投雪するというサイクルがセオリーであって、非力なMCRやラッセルヘッドの小さいモーターカーで全線の積雪の面倒を見るのはなかなか難儀なシロモノだろう。ただ、同線が三年後に廃止されてしまうことから考えても、そもそもED221の修理をおこなうのかどうか。同年代の米国BW製の古典電機、ひょっとしたらED333に使える部品を拠出して・・・ということも想像できてしまい、先行きが案じられるところでもあります。平成30年の冬、大鰐線で出会ったED221のラッセル。この雄姿をもう一度・・・と願っているのは私だけではあるまい。
ちなみに、重い雪を跳ねのけながら電気機関車でキ104を押して進むのは相当に電力を食うそうで、除雪要員の確保とともに冬の弘南電車の大いなる悩み。ただし、除雪能力とその突破力においてやはりキ104&105の右に出る者はおらず、冬の安全運行を確保する上で比類なき存在であることは疑いない。25レの柏木温泉号と交換するキ104+ED333。新里を出ると、あとは弘前駅まで交換できる場所がないので追っかけもここまで。おそらく、弘前まで上ったら先行した折り返し27レを先に出してその続行だろう。北の国の夕暮れは足早で、どんどんと太陽が西の山の方角に沈み始めている。折り返しのラッセルが来るまで、日持ちするだろうか。