青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

武甲、足早なブルーモーメント。

2024年12月05日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(武甲暮色@西武秩父線・横瀬~芦ヶ久保間)

秋の夕暮れは早く、秩父盆地を青みを帯びた光が支配する頃。ブルーモーメントを突いて、スカーレット&ベージュのカラーリングがやって来た。はざがけの稲穂が残る、秩父盆地の晩秋の風景である。武甲の山を見上げれば、石灰石の採掘のためにベンチカットで切り崩された山肌を露わにしていて、この日はそれなりに天気が良かったのだけど、ついぞ頂上は姿を現しませんでした。武甲山は北面(横瀬町側)の採掘現場には立ち入ることが出来ないんですけど、横瀬町を流れる生川(うぶかわ)上流の登山口から南側の斜面を伝って頂上へ登ることは出来るそうだ。武甲山は、秩父盆地のどこからでもまんべんなく見ることが出来るけれども、それと同様に武甲山の頂上からの展望はそれはそれは素晴らしいものらしい。平均的なハイカーで登山口から2時間半前後の登山ということですが、E851カラーであれば、夏場の午後なら武甲山側からも順光になるだろうから、この生川の築堤なんかは大三元レンズで頂上から狙ったら映えるだろうなあと思うのであります。

まあ・・・クルマで行けるお手軽俯瞰を楽しむのがせいぜいの私には、縁のない事でございましょうが(笑)。

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在りし日の 高麗の思い出 白き道。

2024年12月03日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(小春日和のカーブを切って@東吾野駅)

「ジャンボくん」ことE851カラーの特別車両が、第7高麗川橋梁のカーブを渡って東吾野の駅に滑り込んでくる。高麗川に綾なして続く奥武蔵の鉄路は、何度も何度も高麗川の流れを渡っては峠道を詰めて行くのだが、高麗駅の先の第1高麗川橋梁から正丸駅の手前の第15高麗川橋梁まで、西武線にはなんと15もの橋梁がある。正丸峠に源を発する高麗川は、下流の坂戸市で越辺川に合流し、川越市で入間川に合流し、最終的にはさいたま市の北部で荒川に合流する一級河川で、荒川水系の一部。早朝からのお務めだったのか、早くも帰り支度のハイカーが陽だまりで電車を待つ東吾野の駅。まだまだ盛りには程遠い奥武蔵の紅葉だけど、山へ登ればいくばくでも色づいているのだろうか。

突然現れたE851カラーに興味深そうな親子連れ。お父さんがしきりにカメラを構えていたあたり、鉄道ファンの親子だろうか。親から子へ伝える郷土の歴史とその色である。ただ、こういったケースではお父さんだけが興奮して喜んでいるばかりで、子供は「?」となっていることもままあるものです。私がそうでしたからよく分かります。割とお父さんの好みで息子の趣味関連を英才教育して、お出掛けなんかのダシに使う、というテクニックはあると思うんだよな(笑)。

西武鉄道のセメント輸送の残滓を訪ねつつ、「ジャンボくん」を沿線のモチーフと合わせるべくロケハンをしてみる。この4017FがE851のカラーを纏うとなった瞬間、思い浮かべてしまったのは東横瀬の風景じゃなくてこの高麗駅のセメントサイロと引き込み線のことでした。満載のセメント貨物を持ったE851が、一回飯能方面に乗り越してから推進運転でこのサイロの脇まで貨車を押し込んでいたのだそうで・・・今は引き込み線の跡地は高麗駅脇の月極め駐車場になっていますね。ちなみに何年か前までは、セメントサイロにもちゃんとスリーダイヤと「三菱マテリアル」の文字が書かれていて、目に見える形で遺構として残っていたんですけどね。いつの間にかスリーダイヤのロゴと書き文字が白く塗りつぶされていた。

西武秩父から返してきた「ジャンボくん」を高麗のセメントサイロと合わせて。最盛期は、東横瀬から高麗駅のサイロまでは毎日3往復のセメント便があったそうで、セメントは東横瀬から高麗駅のストックポイントに運ばれて、そこからトラックに積み替え周辺に輸送されて行ったものと推測されます。そして、高麗駅の周辺には飯能の名峰・天覧山から尾根が続く多峯主(とうのす)山の北側を切り開いたこま武蔵台、横手、永田台と西武グループが開発した三つの大規模ニュータウンがあって、この高麗駅のストックポイントからも造成用の擁壁や構造物を作るための原料が現場に投入されたのではないだろうか。西武秩父線が開通したのが1969年(昭和44年)、こま武蔵台の分譲開始が1977年(昭和52年)。造成工事期間を含めて、何となく時間軸としては合っているような。

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奥武蔵、秋を真っ赤に染めあげて。

2024年12月01日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(蘇る「ジャンボ」の記憶@西武秩父線開業55周年記念車両・飯能駅)

11月の上旬なのですが、西武鉄道の公式Ⅹ(旧Twitter)から「西武秩父線開通55周年記念車両運行開始!」というお知らせがリリースされました。ようは、「西武秩父線開業55周年を記念」して、かつて西武鉄道が所有していた私鉄最大級の出力を誇るマンモス電機こと「E851形の塗装を4000系に施す」というかなりエッジの効いたスペシャル企画なんですが、いやー、こういうのホントお好きな方にはたまらない企画ですよねえ・・・西武鉄道の営業企画のセクターってマニアしか喜ばないことを平然とやってのける気概があっていいよなあ。今年開通55周年を迎えた西武秩父線は、当時の西武池袋線の終点だった吾野から正丸峠をトンネルで穿ち、西武秩父までの19.0kmを結ぶ路線として1969年(昭和44年)に開業しました。その建設の目的は、まず第一義にはそれまで秩父鉄道で寄居か熊谷回りになる都心部と秩父地方の大幅な短絡でしたけども、それと同列の重要度を持った使命が、武甲山から採掘された石灰石によって作られたセメント輸送なんですよね。その中核を担ったのがE851形電気機関車だったということは、鉄道ファンなら多くの人が知るところであるかと。

武甲山の東北麓、横瀬町にプラントを構える三菱鉱業セメント(現:UBE三菱セメント株式会社)横瀬工場から、東横瀬貨物駅を経て出荷されていたセメント製品。大量のセメントを積んた貨車を牽引して正丸峠のサミットを登り切るには、従来から西武鉄道が保有していた骨董モノの戦前製の古典電機では出力的にとても太刀打ちできるものではありませんでした。そのため、荷主である三菱鉱業セメントが「重連総括制御で積車の1,000t」を牽引して武甲の険を越えて行くための機関車として、西武鉄道を通してグループの三菱電機に発注したのがE851形電気機関車。当時の国鉄のEF65やEF81と遜色のない能力を誇る私鉄唯一のF級(6軸)電機で、現在に至るまで私鉄でF級の電気機関車はこの西武E851シリーズ(E851~E854)の4両しか製造されていません。

鳴り物入りでスタートした西武鉄道によるセメント輸送は、最盛期の1973年には一日に3,000トンを超える取り扱いを数えるに至りますが、並行道路の整備や建設需要減退によってその規模は徐々に縮小。西武鉄道自身が鉄道貨物への新たな設備投資に及び腰だったこともあり、1996年(平成7年)3月をもってセメント輸送から撤退しています。セメント輸送からの撤退と同時にお役御免となったE851形は、ラストナンバーのE854を保存用に残して他はすべて解体されてしまいました。JRも私鉄でも、製造後50年以上使われる電気機関車は決して珍しくない中で、僅か27年の活躍に過ぎなかったE851形。その姿が秩父から消えて30年弱。現場では「ジャンボ」と呼ばれて親しまれた伝説のカマですが、レイルファンに与えたその鮮烈な存在感は今もなお語り草となっています。そのカラーを纏った車両が、今回イベント企画として復活することになったとなれば、これは力が入ります。個人的に西武4000系は今までも好意を寄せて折りに触れ撮影して来た車両ということもあるし、それがこんな形でレイル・ヒストリーを乗せたカラーリングで歴史を今に伝える役割を担ったのだから、うーん。何というか、今の言葉で言うと、エモい(笑)。

当時は西武電車を使うとしたら、野球を見に行くのに国分寺から西武球場前までを使うくらいのライトユーザーだった私は、正直、E851形の現役時代を見たことはありません。東横瀬からJRに継送する新秋津までが貨物列車の走行区間だから、西所沢の駅とかで見ててもおかしくないのだけど、末期の運行は平日のみで休日は運休だったと聞くし、本数もだいぶ減らされていたようです。それじゃあ仕方ないね。西武の東横瀬~新秋津と東武の久喜~北舘林は、関東の大手私鉄で貨物輸送が残っていた区間だったので、どちらも見に行こうと思えば見に行けたのだけど・・・その頃は野球と地方競馬にお熱な時代で、テツはちょこっと離れていた時期ではあった。東武は2003年8月まで貨物輸送をやってたんだねえ。それでももう20年前の話だが。

秋晴れに恵まれた11月の週末。吾野の築堤に姿を見せたE851カラーの西武4000系が、目にも眩しい強烈なコントラストを見せ付けながら抵抗器のモーターサウンドを轟かせて駆け抜けていく。いつものライオンズカラーもいいけど、このE851由来のスカーレット&アイボリーはたまらないねえ・・・夏の暑さが祟ったか、ちっとも気温が下がらず少し紅葉の進みが遅かった今年の奥武蔵でありますが、レールの上が一足お先に染まったようだ。一発で虜になってしまったこの車両、真っ赤な秋に誘われて、暫くは秩父詣でが続きそうであります。

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中野通り、春、夕映え。

2023年04月10日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(春の中野通り@西武新宿線・新井薬師前~沼袋間)

都内桜巡り。この日に丁度満開の発表があった東京の桜を、荒川二丁目から飛鳥山、面影橋、そして高田馬場へ歩いて最後は西武新宿線の新井薬師前へ。夕暮れ迫る中野通りの桜並木、クルマの波と人の波を遮るは二条のレールと踏切の遮断器。西武電車特有のサイレンチックな踏切警報音が鳴ると、クルマと人がその動きを止め、ライオンズブルーの電車が右へ、左へ。そして風にささめく桜の花びら。

桜の中を滔々と駆けては流れて行く電車たち。NRAの小江戸号、池袋~秩父線からは撤退してしまったものの、新宿線に限ってはまだまだ主軸の活躍。シルバーの車体に赤いライン一筋、レッドアローの愛称の名残りである。しかし、この踏切を望む事の出来る歩道橋、なかなか有名な撮影地なので結構な人だかりで、度々地元の方が「通学路を塞がないで!」と注意に来たりしていた。隣が小学校で通学路になってんのよね。この歩道橋。

午後は曇りがちな一日でしたが、夕方になって低くなった太陽が雲間からチラチラと踏切に差し込んで来た。マゼンタに染まる中野通りの踏切。そして西武電車と言えばライオンズブルーもいいけれど、このカナリアイエロー?のカラーリングがしっくり来る。特に新宿線系統は2000系じゃないっすかねーって感じになります。

混雑する歩道橋から地面に降りて、茜差す中野通りを歩く。新宿線にライナー車両の40000系も来たりするんですね。ただ、路上に降りてもコスプレしてる外国人さんがカメラで桜と自撮りしてたり結構なカオス。コスプレ外人がいるあたり、流石はサブカルの聖地・中野ブロードウェイを擁する中野区という感じもする。ってか、三月くらいからの訪日客の戻りっぷりってエグくないですか。インバウンド復活は外貨獲得という意味ではいい事なのかもしれないけど、コロナ禍以降のお出掛けシーンの回復ぶりは正直日本人よりも海外勢の方が勢いが強いのではないかと思わせる。コロナ前と比べて円レートが安くなってるってのもあるし、正直外国人から見た日本が「安い観光地」になっているのではないか?という気持ちがして忸怩たる思いが。

クルマのライトに灯が入る時間まで、ああでもないこうでもないとまったりと。日が暮れてシャッタースピードが稼げない時間まで中野通りで粘ってました。歩道橋に集まっていた撮り鉄キッズたちが三々五々に解散する中、近所の酒屋さんでレモンサワーを購入し、駅前路地にあった銭湯へシケ込む。ちょっと熱めのジェットバスで体をほぐしてから、帰りの新井薬師前駅で夜風に当たりながら飲むレモンサワーが染みる。ドラえもん電車がカーブの駅を通過する姿を見ながら、都内桜巡りを締めくくったのでありました。

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奥武蔵、小さな夏。

2021年09月01日 17時00分00秒 | 西武鉄道

(だれもいないせせらぎ・Ⅱ@西武池袋線・東吾野~武蔵横手間)

砂礫の川床の上を、さらさらと透明な水が静かに流れて行く、奥武蔵の夏。家から持って来た水筒の麦茶を飲み、途中のコンビニで買った握り飯を食いながら、通り過ぎる列車を待つ。蝉しぐれと川のせせらぎの音しか聞こえない水辺。少しだけマスクを外して山の嵐気を吸い込むと、ガーター橋を震わせて4000系が姿を見せる。長年に亘って武蔵と秩父を取り持つ伝統のライオンズカラー。千切れ雲の間から覘く青空と日差しが、木々の影を水辺に映して。

少し前に購入していたフルサイズの広角レンズ。なかなか家から持ち出せず保管庫の中でホコリをかぶっていましたが、広角で15mmまでカバー出来るのがいいですね。もっともっと2021年の夏を写したかったけれど、消化不良のまま、9月になってしまいました。

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