(蘇る「ジャンボ」の記憶@西武秩父線開業55周年記念車両・飯能駅)
11月の上旬なのですが、西武鉄道の公式Ⅹ(旧Twitter)から「西武秩父線開通55周年記念車両運行開始!」というお知らせがリリースされました。ようは、「西武秩父線開業55周年を記念」して、かつて西武鉄道が所有していた私鉄最大級の出力を誇るマンモス電機こと「E851形の塗装を4000系に施す」というかなりエッジの効いたスペシャル企画なんですが、いやー、こういうのホントお好きな方にはたまらない企画ですよねえ・・・西武鉄道の営業企画のセクターってマニアしか喜ばないことを平然とやってのける気概があっていいよなあ。今年開通55周年を迎えた西武秩父線は、当時の西武池袋線の終点だった吾野から正丸峠をトンネルで穿ち、西武秩父までの19.0kmを結ぶ路線として1969年(昭和44年)に開業しました。その建設の目的は、まず第一義にはそれまで秩父鉄道で寄居か熊谷回りになる都心部と秩父地方の大幅な短絡でしたけども、それと同列の重要度を持った使命が、武甲山から採掘された石灰石によって作られたセメント輸送なんですよね。その中核を担ったのがE851形電気機関車だったということは、鉄道ファンなら多くの人が知るところであるかと。
武甲山の東北麓、横瀬町にプラントを構える三菱鉱業セメント(現:UBE三菱セメント株式会社)横瀬工場から、東横瀬貨物駅を経て出荷されていたセメント製品。大量のセメントを積んた貨車を牽引して正丸峠のサミットを登り切るには、従来から西武鉄道が保有していた骨董モノの戦前製の古典電機では出力的にとても太刀打ちできるものではありませんでした。そのため、荷主である三菱鉱業セメントが「重連総括制御で積車の1,000t」を牽引して武甲の険を越えて行くための機関車として、西武鉄道を通してグループの三菱電機に発注したのがE851形電気機関車。当時の国鉄のEF65やEF81と遜色のない能力を誇る私鉄唯一のF級(6軸)電機で、現在に至るまで私鉄でF級の電気機関車はこの西武E851シリーズ(E851~E854)の4両しか製造されていません。
鳴り物入りでスタートした西武鉄道によるセメント輸送は、最盛期の1973年には一日に3,000トンを超える取り扱いを数えるに至りますが、並行道路の整備や建設需要減退によってその規模は徐々に縮小。西武鉄道自身が鉄道貨物への新たな設備投資に及び腰だったこともあり、1996年(平成7年)3月をもってセメント輸送から撤退しています。セメント輸送からの撤退と同時にお役御免となったE851形は、ラストナンバーのE854を保存用に残して他はすべて解体されてしまいました。JRも私鉄でも、製造後50年以上使われる電気機関車は決して珍しくない中で、僅か27年の活躍に過ぎなかったE851形。その姿が秩父から消えて30年弱。現場では「ジャンボ」と呼ばれて親しまれた伝説のカマですが、レイルファンに与えたその鮮烈な存在感は今もなお語り草となっています。そのカラーを纏った車両が、今回イベント企画として復活することになったとなれば、これは力が入ります。個人的に西武4000系は今までも好意を寄せて折りに触れ撮影して来た車両ということもあるし、それがこんな形でレイル・ヒストリーを乗せたカラーリングで歴史を今に伝える役割を担ったのだから、うーん。何というか、今の言葉で言うと、エモい(笑)。
当時は西武電車を使うとしたら、野球を見に行くのに国分寺から西武球場前までを使うくらいのライトユーザーだった私は、正直、E851形の現役時代を見たことはありません。東横瀬からJRに継送する新秋津までが貨物列車の走行区間だから、西所沢の駅とかで見ててもおかしくないのだけど、末期の運行は平日のみで休日は運休だったと聞くし、本数もだいぶ減らされていたようです。それじゃあ仕方ないね。西武の東横瀬~新秋津と東武の久喜~北舘林は、関東の大手私鉄で貨物輸送が残っていた区間だったので、どちらも見に行こうと思えば見に行けたのだけど・・・その頃は野球と地方競馬にお熱な時代で、テツはちょこっと離れていた時期ではあった。東武は2003年8月まで貨物輸送をやってたんだねえ。それでももう20年前の話だが。
秋晴れに恵まれた11月の週末。吾野の築堤に姿を見せたE851カラーの西武4000系が、目にも眩しい強烈なコントラストを見せ付けながら抵抗器のモーターサウンドを轟かせて駆け抜けていく。いつものライオンズカラーもいいけど、このE851由来のスカーレット&アイボリーはたまらないねえ・・・夏の暑さが祟ったか、ちっとも気温が下がらず少し紅葉の進みが遅かった今年の奥武蔵でありますが、レールの上が一足お先に染まったようだ。一発で虜になってしまったこの車両、真っ赤な秋に誘われて、暫くは秩父詣でが続きそうであります。