(里山鉄道村@ポッポの丘)
関東近郊に「鉄道系」の博物館や記念館のようなものは数ありますが、最近千葉県は房総半島のど真ん中、いすみ市の里山に農場主さんが引退した鉄道車両を集めて展示している…と言うウワサ(大げさ)を耳にしまして、久々に房総まで行ってみる事にしました。
「ポッポの丘」と名付けられたその農場は、いすみ鉄道の上総中川駅から北に約2km。丘と田んぼが広がる房総の里山風景の中にありました。
色々と置いてある中でやはり目を引くのは、昔ながらの国鉄型特急車183系クハ182-102、クハ183-1527の先頭車2両。最後は長野総合車両センターに所属(N104編成)し、この間運行を終了した長野~直江津間の妙高号に充当されておりました。引退ホヤホヤで先日このポッポの丘に到着した様子で未整備な感じですが。クハ182-102が松本→新前橋→大宮→長野、183-1527が幕張→新前橋→大宮→長野と転属して行ったので、それぞれが由来の幕をきちんと表示しているのが細かい。しかし幕が「急行妙高」と「ホームタウンしおさい」って狙いすぎてねえか?(笑)。
1527の奥でやや朽ちている183系。運転台の掲示からマリ23編成とお見受けするが、183系って「総武線東京駅地下化に伴いターミナルを両国駅から東京駅へ移すため、東京~錦糸町間の地下線に対応した難燃構造と避難用の正面貫通路を備えて製造された車両」と学んだ記憶があるので、この飾り帯が上下に付いて真ん中に一本筋が入ったカオと言うのは正統派の房総特急顔に思えます(笑)。隣に置かれた113系同様カットモデルですが、ちょっと前まで千葉から先に行けば当たり前のように見られた113もあっとゆー間にいなくなってしまったな。
昔の丸ノ内線。特にここに置かれる事に縁もゆかりもないけど、姿がただただ懐かしい。側面の輪廻するかのごとき螺旋のサインカーブ、今の02系はプリントになってしまってるけど、昔の車両はちゃんと金属で作られていたんだよね。台車に集電靴があるかどうか見てみたんだが、どうも取っ払われちゃってるのが残念。
寝台特急日本海に使われていた24系寝台車。日本海と言えばプルマン(開放式寝台)の2両と、船の科学館で展示されていたDE10。このDE10は有明にある船の科学館で展示されていた青函連絡船「羊蹄丸」の中で保存されていたのをサルベージしたものらしい。羊蹄丸は老朽化のため、四国(新居浜だったっけかな?)に曳航されて解体されてしまった。
他にも先日まで銚子電鉄で走っていたデハ701と702兄弟がプラレール売り場となっていたり(子供にレール買わされるの刑)。701は走っているのも撮ったし、乗った事もあるので久しぶりです。この14~15mくらいの小型車、いかにも昭和の地方私鉄が使っていたサイズってんですかねえ、思わずジオラマ化したくなるサイズです。
地方私鉄の小型車と言えば、北陸鉄道の加南線や石川総線で走っていたデハ3750形、ズラリと並んだ2段小窓。かつてクロスシートでデビューした同線きっての花形車両だったそうな。「普通 野町」の表記は、北鉄が準急を運転していた名残とでも言いましょうか。関係ないけど、昔の北陸鉄道と日立電鉄(廃止)ってなんかカラーリングが似通ってましたよね。
北陸シリーズ続き。入口近くにある路面電車は、旧加越能鉄道のデ7000形。現在でも富山市内線や万葉線では同僚車が現役で走っておりますな。お腹の一つ目前照灯がポイント。加越能鉄道と言えば、庄川の長いプレートガーターの鉄橋を路面電車がカタンコトンと走って行く風景が思い出されるのでありますが、加賀・越前・能登と壮大なエリアを視野に入れた社名とは裏腹に鉄道事業を高岡・新港の両市に引き渡してバス会社に生まれ変わってしまいました。鶏卵牧場らしく中では生みたて卵の販売が行われております。折角なんで、我が家も1パック買って帰りましたけど。
これだけの車両を集めると言うのは、車両代がタダだとしても輸送費やその他の管理諸費を含めるとタマゴ1個ウン十円で売って果たしてワリに合うもんなんだろうかと思うのだけど、大きな規模の個人的趣味と考えればスケールの大きな夢がいっぱい詰まった展示物群でもあります。なんせ入場料無料、この日も結構近郊近在の子供連れ親子が鉄道公園宜しく遊んでいましたんでねえ。個人的にはもうちょっとお金を取ってもいいから、整備した上で公開し直してくれるとなおありがたいんじゃないかなと。いすみ鉄道に乗りに来る層には絶対にアピール出来るはずだろうから(笑)。
展示されている車両たちも、温暖な房総の里山でのんびりと余生を送れるなんて幸せなんじゃないかなあ。