(越後線屈指のお立ち台@寺泊~分水間)
越後線では一、二を争う定番撮影地である分水の信濃川の鉄橋。地理関係に明るい人には、信濃川の大河津分水路に架かる鉄橋と言えば分かりやすいかもしれません。日本一の大河である信濃川は、下流域の越後平野で何度も何度も水害を繰り返して来ました。そんな下流域の治水事業として、弥彦山の南側で信濃川の水を日本海へ分流させる大河津分水路が完成したのは大正11年。越後線の前身である越後鉄道が開通したのが大正2年だから、それよりは後の話なんですね。おそらく分水路が出来て以来の架橋らしき石積みの橋脚に、歴史の風格を感じます。
水の流れという自然の摂理をコントロールする「治水」という人間の英知。大河津の分水路が出来てから、越後平野の下流域の水害はとみに減少したそうです。この分水路の建設は、明治から大正にかけての越後の一大事業だった訳ですけど、昨今の豪雨災害などを見ると日本と言う国は治山治水にもっと力を入れなきゃいけないんだなあと思わせますね。E129系2連の柏崎行き。これが今の新潟地区のスタンダード。
越後線屈指のお立ち台、そして休日という事で朝もはよから続々と同業者の集まって来る分水界隈。次に柏崎から上がって来る125Mが115系の運用らしく、分水の鉄橋を朝日を浴びて駆け抜けて来る姿が文字通りの大人気物件となっております。まあ自分みたいな門外漢のトザマ&ニワカが訪れてしまうくらいだから、テツ界隈で越後線がナンボかアツイのがお分かりいただけると思いますが…堤防のテツの集まりっぷりから色モノが先頭かなという予感はありましたが、予想通りと言うか期待通りと言うか、125Mの先頭3連は第一次新潟色のN37編成!ヒゲがりりしい!通過直前にサーッと雲がかかって露出が落ちてしまったのが大変惜しまれるが…
ちなみに後ろで賑やかに談笑していた新潟のテツ軍団によると、前日の125Mは湘南色+第一次新潟色というエモい組み合わせだったらしい。天気も最高バリ晴れ、全開露出だったそうで羨ましいお話である。まあシチュエーションに関しては通ったもん勝ちだから、やはり地元に一日の長があるのは間違いない。早朝出社を装って分水やら出雲崎やらに寄り、エクストリーム出社をキメている連中もいると聞くと、無駄に対抗心を燃やしてもう一回くらいは晴れの分水でN37先頭をカブり付いてみたくもなろうというものです。
ちなみに帰宅してからこの写真を見た子供から、「なんで115系が米坂線の色してるの?」という素朴な質問をいただいた。第一次新潟色は米坂線のイメージ…確かに新津のキハ52はこの色に塗られてるの多かったけど、どうしてそんな事を知っているのだか(笑)。