青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

鎮守の森を眺めて

2018年08月11日 22時00分00秒 | 越後線・弥彦線

(鎮守の森近く@越後曽根~越後赤塚間)

これまた広々とした穀倉地帯が広がる越後曽根界隈。どこへ行っても越後平野はこういう景色になるのだけど、こういう景色で撮るにはちょいと空の表情が乏しい。天気予報は基本下り坂の曇りマークであまりいいとは言えなかったので、せめて風景に表情を入れてみようと田園の中にある鎮守様の森を入れ込んでみました。田んぼの中にそこだけこんもりとした木々に囲まれる祈りの場所は、古き時代からこの地域の実りの豊かたらん事を願い続けて来たのでしょう。台風の余韻を帯びた生ぬるく強い風が吹き付ける中を、吉田で小休止を取っていたN37編成が走って来ました。


今回はこのN37編成(第一次新潟色)を中心に撮影する事になりましたが、他にも旧国時代の塗装を纏ったN40編成だとか、湘南色のN38編成とか、カラバリは豊富なので一日運用を追い掛けていればかなり楽しめそうです。現在運用が6運用(?)くらいしかなくて、だいたい越後・弥彦線の新潟~吉田~柏崎or東三条で動いているようなので。一本だけ信越線を直江津からトキ鉄の新井まで行く快速運用もあるらしいけど、この新潟行きの143Mと時間がかぶるので撮りに行けませんでした。次回への課題ですかね。夜のバルブとかもやってみたいし。



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霊峰弥彦を仰ぎ見て

2018年08月10日 22時38分23秒 | 越後線・弥彦線

(豊穣の大地@西燕~吉田間)

関東ほどではなかったものの、この日の越後も空気中の水分を絞りたくなるほどの蒸し暑さであった。水蒸気で白く霞んだ空の下、用水路の水を吸い込みながらすくすくと伸びる稲穂が、実りの秋を目指してまっしぐら。澱んだ空気の中で農道の踏切が鳴ると、東三条で折り返してきたN36+N37編成が稲穂の上を滑るように走って来ました。


この日撮影した中では、一番光が来てたような気がする一枚。薄晴れの中、霊峰弥彦を仰ぎ見つつ、吉田に向けて快走する新旧新潟色コンビ。稲田を渡る熱風が、穂波を揺らします。
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頑張る同級生

2018年08月09日 22時05分51秒 | 越後線・弥彦線

(N37、接写@東三条駅)

分水の鉄橋で迎え撃った125Mを追って、東三条の駅に来てみました。125Mは柏崎発ですが、越後線を新潟には向かわずに吉田から227Mとして弥彦線に入り、東三条へ行く列車です。この後は再び弥彦線を226Mで吉田に戻り、吉田から143Mで新潟へ向かう運用。夏休みの日曜日、部活に向かう様子の女子高生がホームで折り返しを待っていました。あわよくば弥彦線内でワンカット…なんて思ってましたが、さすがに分水からでは間に合わんかったね。


朝から蒸し暑さ漂うホームで、思う存分N37編成を接写。第一次新潟色に塗り直されたのは最近なので、まだ塗装には艶が残っていますね。




連結面だったり、ジャンパ線だったり、幌だったり。往時の流行りだったパノラミックウインドウにアンチクライマ、渡り板、尾灯、前照灯、そしてタイフォン。こんな近くでマジマジと見た事ないけど、うん、飽きの来ないデザインのいいクルマだと思います。




車内の座席はリフォーム済みで案外きれいだったけども、ふと足元を見ると床のひび割れが樹脂テープで補修されているあたり、経年劣化による車体の傷みは隠しようもない。古老の歴戦の刀傷だと思えばそれも味わいかな。この1000番台についてはほぼ自分と同級生なんで、まだまだ古老などとは呼びたくないのだけれども(笑)。


全盛期は全国で2,000両に迫る大所帯を形成した、昭和の近郊型電車の総決算とも言える車両です。寒冷地の山岳路線を対象にした作りですから、やっぱり冬は雪深くなる地域が似合うクルマなのではないでしょうか。越後の街を、通勤通学の足として駆け抜けて来た115系。約50年に亘る活躍の終焉の時期が刻一刻と迫っています。
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新潟色は凛々と

2018年08月08日 20時02分02秒 | 越後線・弥彦線

(越後線屈指のお立ち台@寺泊~分水間)

越後線では一、二を争う定番撮影地である分水の信濃川の鉄橋。地理関係に明るい人には、信濃川の大河津分水路に架かる鉄橋と言えば分かりやすいかもしれません。日本一の大河である信濃川は、下流域の越後平野で何度も何度も水害を繰り返して来ました。そんな下流域の治水事業として、弥彦山の南側で信濃川の水を日本海へ分流させる大河津分水路が完成したのは大正11年。越後線の前身である越後鉄道が開通したのが大正2年だから、それよりは後の話なんですね。おそらく分水路が出来て以来の架橋らしき石積みの橋脚に、歴史の風格を感じます。


水の流れという自然の摂理をコントロールする「治水」という人間の英知。大河津の分水路が出来てから、越後平野の下流域の水害はとみに減少したそうです。この分水路の建設は、明治から大正にかけての越後の一大事業だった訳ですけど、昨今の豪雨災害などを見ると日本と言う国は治山治水にもっと力を入れなきゃいけないんだなあと思わせますね。E129系2連の柏崎行き。これが今の新潟地区のスタンダード。


越後線屈指のお立ち台、そして休日という事で朝もはよから続々と同業者の集まって来る分水界隈。次に柏崎から上がって来る125Mが115系の運用らしく、分水の鉄橋を朝日を浴びて駆け抜けて来る姿が文字通りの大人気物件となっております。まあ自分みたいな門外漢のトザマ&ニワカが訪れてしまうくらいだから、テツ界隈で越後線がナンボかアツイのがお分かりいただけると思いますが…堤防のテツの集まりっぷりから色モノが先頭かなという予感はありましたが、予想通りと言うか期待通りと言うか、125Mの先頭3連は第一次新潟色のN37編成!ヒゲがりりしい!通過直前にサーッと雲がかかって露出が落ちてしまったのが大変惜しまれるが…



ちなみに後ろで賑やかに談笑していた新潟のテツ軍団によると、前日の125Mは湘南色+第一次新潟色というエモい組み合わせだったらしい。天気も最高バリ晴れ、全開露出だったそうで羨ましいお話である。まあシチュエーションに関しては通ったもん勝ちだから、やはり地元に一日の長があるのは間違いない。早朝出社を装って分水やら出雲崎やらに寄り、エクストリーム出社をキメている連中もいると聞くと、無駄に対抗心を燃やしてもう一回くらいは晴れの分水でN37先頭をカブり付いてみたくもなろうというものです。

ちなみに帰宅してからこの写真を見た子供から、「なんで115系が米坂線の色してるの?」という素朴な質問をいただいた。第一次新潟色は米坂線のイメージ…確かに新津のキハ52はこの色に塗られてるの多かったけど、どうしてそんな事を知っているのだか(笑)。
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越後盛夏

2018年08月07日 21時47分51秒 | 越後線・弥彦線

(ニッポンのコメどころを行く@粟生津~分水間)

吉田の駅で運用に入りそうな115系を眺めた後は、さっそく沿線に展開してまずはあいさつ代わりのワンカットを狙うことにします。撮影地なんぞはろくすっぽ下調べしないで来てしまったけど、ちょこっと街から離れればそこは天下のコメどころ越後平野。見渡す限りの広い広い穀倉地帯がそこかしこにあって、少なくとも見通しの良い田園風景には事欠かない。粟生津の先のだだっ広い田園地帯、越後線をオーバークロスする農道の斜面から始発の柏崎行きを。目論見通りに青グラデの第三次新潟色が夏の朝日を浴びながらやって来ました。


見渡す限りの田園風景は逆に言えば変化がなくて平板な印象にもなりがちですが、それが越後平野のイメージであるならば素直に切り取るのが美しいと思う。遥かに霊峰弥彦を仰ぎ見て、瑞々しい稲田を渡る風に吹かれる。この日はどこまで天気が持つか…という下り坂の予報だったんですがなんのなんの。強い光のコントラストに鮮やかに輝く穂波は、まさに越後盛夏でありましょう。
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