(居並ぶ鉄仮面@都営志村検修場)
先日、都内へ仕事に馳せ参じた際に、インターバルで結構前から気になっていた都営6300形を撮影をしたのですが、家に戻って改めて写真を見直したら、なかなか格好いい車両なんだな・・・と改めてその魅力に気付かされたのであります。自分の生活圏内にはない車両ではあるものの、ちょっと足を伸ばせば撮るには訳ない距離感の車両。ちょっと追っ掛けてみようかな?なぁんてスケベ心が頭をもたげるのでありますが、さりとてこの緊急事態宣言の中で、都内を走る電車を神奈川の片田舎からのこのこ撮りに行くのもいかがなもんか、という意識がありまして。じゃあどうするか。と考えた結果、「ヒトのいない時間に撮影すれば良いのでは?」という結論に至りました。草木も眠る丑三つ時、暫しの眠りに就く鉄仮面たち。強烈にカッコ良くないですか?全くもって個人的にエモくて満足した一枚なのですが、真夜中に行くならこれが狙いたかったのよ。昼間じゃ本線に出てっちゃってて、ここまできっちりみっちり並ばないだろうからね。
訪れたのは、都営地下鉄の志村検修場。都営三田線・西台駅の北側に広がる広大な車両基地で、三田線の全車両が留置や点検のために出入りする心臓部でもあります。そして、え?どこに車庫があるの?というカットなのですが、実はこの志村検修場、電車の留置線の上に人工地盤を作り、その上に都営住宅(西台アパート)が乗っかっているという実にトリッキーな物件。戦後のベビーブームによって生まれた団塊の世代が東京へ出て来て働き始めた昭和40年代、逼迫した住宅事情を解消するため、都営6号線(三田線)の建設とセットになって行われたのが高島平団地を中心とした都の城北地区の住宅開発でした。
高島平9丁目にあるこの西台アパートも、高島平の住宅開発の一環として作られた物件なのですが、思えば団塊の世代が結婚して住居を構えるのってこういう公団住宅でしたよね。我々のような団塊ジュニア世代には、このような「団地住まいの子供達のコミュニティ」が記憶の原体験になっている人も多いんではないでしょうか。かくいう私も、生まれてから暫くはいわゆる住宅都市整備公団(現在のUR)の建設した団地に住んでいたニュータウンの子供たちなのでありますが、高度経済成長期から約半世紀が経ち、その存在自体がすでにノスタルジックなものになり果てています。西側の駐車場から見渡す西台アパート8号棟。巨大。地上14階建て。あまりにも壮大にシンメトリカルなその風貌、ずーっと見ているとLANケーブルの差込口かと思えて来る。
さすがに朝4時では灯りのついている部屋自体が少ない西台のアパート。お邪魔にならないように、そーっとそーっとその姿を眺めてみる。中の吹き抜けから夜空を見上げると、その幾何学的な美しさが何とも癖になる。足元の下に整然と並んだ地下鉄車両同様、全てのものが整然と美しく整った姿に魅惑的なものを感じてしまうのだが、朝の4時にこんな場所で公団住宅を眺めているの、さすがにちょっと自分でも狂気じみた行為をしているような気がする(笑)。家を3時に出て、用賀から環八走ってトータル1時間くらいで着いちゃったので、「こんな場所」と言っても近いっちゃ近いのだけど・・・そもそも用もないのに、れっきとした不審者なのではないか?軽い不法侵入を問われても文句は言えないという状況にあった事はお許しいただきたいところ。
まあ何はともあれ、ノスタルジックな60’sの建物の下に、デザインもメカニカルな車両が格納されているこの感じ。何とも「昭和世代が想起した近未来感(分かりますかねこの感覚)」を具現化したような雰囲気が眠気交じりの脳髄をビンビン刺激する。これを見に来た。ものっそい寒いけど、そこがあまり気にならない。さすがに車両基地に繋がるエリアは金網で厳重に管理されている場所がほとんどなので撮り方には制約があるんだけど、この「地下鉄要塞都市」とも言えるワンダバ感が最高なのである。なんだっけ?東映の戦隊モノでさ、最終ロボが後楽園球場の下から出て来るのあったじゃない。ああいう感覚ですよああいう(どーいう感覚だよw)。
朝5時を回り、徐々に検車区に留置されていた車両たちにも灯りが付き始め、当直の運転士や整備士たちが、めいめいに出区点検を開始します。運転台の乗務員扉が閉まる音。基地の奥から、出区点検のドア開閉の音。車内の自動放送の音。早朝のためか、短い警笛がプァンと一発、インバーターサウンドを軽やかにかき鳴らし、電車が出庫して行きます。そんな毎朝の変わらぬルーティーンが、大勢の人々のベッドの下で行われている。夜が白々と明け始めて、駅に繋がる通路をポツリ、ポツリと駅に向かい始めるアパートの住民たち。緊急事態宣言下のメトロポリスで、今日も人々の暮らしが始まります。
先日撮影した東急線内から見た都営三田線は、城南の人気エリアを通り目黒から白金を通って都心へと繋がる、沿線住民が意識高い系っぽい感じの路線でした。しかし、こと北部の末端部に至ると、かように全く違う顔が見えてきます。高島平のサラリーマンを乗せて運んで半世紀、団塊の世代が第一線を退き、子供たちは街を出て、高度経済成長期に開発されたニュータウンに残された住民の高齢化が問題になっています。これは全国各地の昭和のニュータウンに共通の症状なんですけどね。最近は安価な家賃を求めて外国人の居住なんかも目立っていると聞きますが・・・まあそれでも多摩ニュータウンや千葉ニュータウンに比べれば圧倒的な都心部へのアクセスの良さは魅力のエリア。今後は高島平のアパート群のリニューアルと、住民の世代交代が課題でしょうか。昭和のインフラの老朽化ってのは高島平だけじゃなく日本と言う国の課題でもあるのですが、建て替えるにしても大変だよなあ。どうする東京都住宅供給公社。
最盛期は5万人を抱え込んだかつての公営住宅は老朽化によってセピアに色付いて、何となく減価償却が終わってしまった感じの雰囲気が色濃く残る西台の街。高架の線路を、日吉行の電車が発車して行きます。