遅ればせながら昨日仕事納め、今日は年末年始の買い出しと去年のコピペのような大晦日なので特筆すべき事は何もありませんが、思えば2011年は大変な年でした。とは言え今日を持って全て清算とはいかず、大震災の被害も原発事故も何一つ解決せず持ち越された感じはしますね。
震災のあの日、そう言えば私は仕事で小田原市役所にいたんですが、窓口で書類を申請していたら揺れ始めてねえ。最初はおや?程度の揺れがしまいには窓口のテーブルに掴まらないと立ってられないくらい揺れた。市役所のエレベーターは止まり、職員が「階段から外に出てください!」って大声で誘導されて外に出てみれば、市役所の屋上から鳴り響くサイレンとスピーカーから流れる津波警報のアナウンス。ロビーにあったテレビの緊迫感にただならぬ事態の発生を感じて、まず心配したのは家族の安否でありました。携帯は繋がらず、車を動かそうにもR1も西湘BPも津波警報にて全面通行止め。迂回しようと大井松田に抜けるR255に出てはみたものの、破裂した水道管が道を塞ぎ、やっと見つけた下曽我のサンクスの前にあった公衆電話で自宅と職場の安否を確認したんだっけ。
思えばあれから日本の全ては変わってしまったし、日本人の心は全て変わってしまったのかなと。
津波で飲み込まれる街の映像は衝撃過ぎて最近はあまり流されなくなっているようで、何も収束していない原発事故といい、なんとなく世の中は悲惨過ぎた今年をあえて振り返らずになかった事にして前に進もうとしているようで、それがどうにもやり切れない年の暮れ。
来年は今年よりは少しでも明るい年になってほしい、と。
守るものの大事さが分かって来た年頃のオヤジは、子供の顔を見てそう思うのでありました。
震災のあの日、そう言えば私は仕事で小田原市役所にいたんですが、窓口で書類を申請していたら揺れ始めてねえ。最初はおや?程度の揺れがしまいには窓口のテーブルに掴まらないと立ってられないくらい揺れた。市役所のエレベーターは止まり、職員が「階段から外に出てください!」って大声で誘導されて外に出てみれば、市役所の屋上から鳴り響くサイレンとスピーカーから流れる津波警報のアナウンス。ロビーにあったテレビの緊迫感にただならぬ事態の発生を感じて、まず心配したのは家族の安否でありました。携帯は繋がらず、車を動かそうにもR1も西湘BPも津波警報にて全面通行止め。迂回しようと大井松田に抜けるR255に出てはみたものの、破裂した水道管が道を塞ぎ、やっと見つけた下曽我のサンクスの前にあった公衆電話で自宅と職場の安否を確認したんだっけ。
思えばあれから日本の全ては変わってしまったし、日本人の心は全て変わってしまったのかなと。
津波で飲み込まれる街の映像は衝撃過ぎて最近はあまり流されなくなっているようで、何も収束していない原発事故といい、なんとなく世の中は悲惨過ぎた今年をあえて振り返らずになかった事にして前に進もうとしているようで、それがどうにもやり切れない年の暮れ。
来年は今年よりは少しでも明るい年になってほしい、と。
守るものの大事さが分かって来た年頃のオヤジは、子供の顔を見てそう思うのでありました。