青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

蛤の ふたみに分かれ 行く春や

2018年02月27日 22時05分26秒 | 関西本線

(浮浪雲の隙間から@桑名~朝日間)

テキトーに撮るとこないかロケハンして、何となく開けてそうな員弁川沿いに行ってみたのだが、ちょっと空が高圧線とかでガチャガチャしているよね。それでも浮浪雲の隙間からこぼれてくる光と青空の下、旋回窓の1147号機で2085レがやって来ました。コンテナ便ですが、機関車次位から化成品らしきタンクコンテナやホッパコンテナがいくつか乗っかっているのが2085レの特徴。おそらく四日市周辺のバケガク系工場のどっかのメーカーが使っているのでしょう。


近鉄益生駅脇の員弁街道踏切から2080レ。先ほどの2085レが四日市に到着するとすぐに2080レが発車するダイヤ。四日市から名古屋方面へ向かう関西本線は、この近鉄の益生駅手前の朝明(あさけ)信号場で複線から単線になります。見ての通り一応複線化可能な用地は確保されているのですが、北勢線のガードの部分が拡幅できないせいで単線のままにならざるを得ないのだとか。1800番台はみーんなスノプロ付きなのがいいよね。それだけに国鉄色だったDD51のラストナンバー1805号機を撮影出来なかったのは残念でなりません。


北勢線のガードの向こうへ歩いて行って2080レと桑名で交換するタキ返空の8079レを。背後のビジネスホテルやマンション群は桑名駅を中心にした繁華街。木曽三川の豊かな恵みに育まれ、質のいい海産物が名物だった桑名の街、「その手は桑名の焼き蛤」という啖呵でおなじみでしょうか。今では砂浜は埋め立てられて遠く、地物のハマグリもすっかり高級品になってしまいましたが、たまーに桑名の「貝新」の志ぐれ(佃煮)とか貰うと嬉しいよね。茶漬けも良いけど、炊き込みご飯なんかにするとまた美味い。


8079レは1028と825のコンビ。デコまで赤い825が次位だったのは勿体ないですが、日中でDD重連を見る機会も3月改正でさらに少なくなるのだろうと思うと贅沢は言ってられません。おそらくDFの投入は関西本線におけるDD重連運用のスジから優先されるはずなのでね。重連運用を減らし、DDを予備に回して状態の悪いカマから整理して行く腹積もりなのでしょうから…大垣で詠まれた芭蕉の別離の句を借りるまでもなく、今年の春も別れの春になりそうです。
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ナロー・イエロー

2018年02月25日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(旧家の佇まい@桑名市本願寺地区)

関西本線のDD撮影ポイントでは、名古屋から弥富にかけての水郷地帯と、セメント便が加わって本数も多く、臨港線や塩浜線など架線がなくてスッキリ撮れる非電化区間が二大巨頭になりますが、まあさすがに毎年来ているとそこだけでは飽き足らなくなってくるので、あまり足を向けた事のない桑名市街へ行ってみました。桑名の街の裏路地も、富田の街同様に何だかレトロな雰囲気が残っていていい感じ。近鉄益生駅前のPにクルマを放り込んで歩いてみる。


昼時だったので、駅近くの肉屋でコロッケを二つ。お行儀悪く食べながら歩いていると、古い菓子問屋があって、看板の「婚礼・会議・旅行 各種菓子袋詰合 お値打ちにて…」という宣伝文句に見入ってしまう。バスや列車の中で、幹事さんが参加者みんなに袋に詰めたお菓子を配って回るというシーンは、高度経済成長時代の社員旅行の風景を思い起こさせるなあ。自分の小さい頃はまだ地域の「子ども会」みたいなのが機能していて、やっぱたまのレクリエーションでどっか行くなんてことになると菓子袋が配られて、その中には「にしき野」か「ソフトサラダ」に「ルマンド」あたりが定番だったように思う。人数分揃えるのも大変だろうと思っていたけど、こういう街の小さな商店がその任を担っていたのだな。

 

路地の角を曲がると、木造の小さな駅が。三岐鉄道北勢線、馬道(うまみち)駅。元はと言えば近鉄北勢線でしたが、不採算路線として近鉄が廃止表明をした後、地元自治体の支援を取り付けたうえで平成17年から三岐鉄道に移管されています。平成17年の北勢線、平成19年の養老線・伊賀線の切り離しに加え、歴史を紐解けば平成16年には近鉄バファローズのオリックスへの合併表明によるプロ野球再編問題なんかが起こってまして、この時期のリストラ断行ぶりは、さすがにガリバー企業である近鉄グループにも経営の苦しさが垣間見えた時期でした。


西桑名方面から楚原行の電車が到着して遮断機が開くと、狭いレールの上を野球の練習に向かう子供たちが一斉にチャリンコを漕ぎ出した。ザ・日本の昼下がりという風景で、こんな日常がなんとも微笑ましい。ちなみにナローの北勢線が三岐鉄道へ移管された後、四日市周辺のナローであった八王子・内部線も平成26年に四日市あすなろう鉄道へ移管されていますが、こんだけ四日市界隈に顔を出していて内部・八王子線方面には行った事ないので、機会作って行ってみたいものだ。半日でもあれば十分だろうし。


残りのコロッケを食べながらぼんやりと待っていると、今度は阿下喜方面から西桑名行き上り電車がやって来た。近鉄時代は臙脂系の色合いだったかと記憶してますけど、今はいささか派手な感じもする三岐カラーを身にまとった270型ク171。小さな車体に不釣り合いの大きなパンタグラフと、食パンを思わせるペッタンコの切妻フェイスが特徴。そして独特の鼻にかかったような吊り掛け音がいいですね。


馬道の駅を、甲高い吊り掛けのモーター音を残して出て行く270型。別に車両としてそこまで古い訳ではないけど、ナローの車両って台車が小さくて吊り掛け式以外の駆動方法を取りにくいらしい。遅いのと、車体の小さいのと、揺れるのとで近鉄時代は趣味人以外にはなかなか評判の宜しくない路線だったそうですが、途中駅の統合や新設、分岐器の高速度改良、パークアンドライドの推進、駅を結節点としたバス路線の整備など、ありとあらゆる手厚い自治体の支援を受けながら、一人でも利用者が増えるように地道な努力が続いています。


桑名の街を走るナロー・イエロー。
DD人気極まる関西本線沿線ですが、こののんびりとした時間を、撮影の合間にぜひ。
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ネコの目天気の四日市

2018年02月24日 17時00分00秒 | 関西本線

(頑張るスイッチャー@コスモ四日市専用線)

四日市駅北側の北浜踏切で待っていると、コスモ四日市の油槽所からスイッチャーがタキを引き出して来ました。四日市の入換はDE10と日本通運のスイッチャーが担当していますが、小さい体で大きな体躯のタキを牽き出して来るスイッチャーのパワーには驚かされます。11時台のタキ牽き出しは午後に四日市を出る8380レに向けての準備でしょうか、土曜出荷も盛業のようです。今年の冬は寒いから、出荷高もハネ上がったんじゃないでしょうかね。


さて、港でセメント便を愛でた後は海山道先の大井の川橋南詰へ。塩浜からの5282レが、緩やかに天白川の土手へ上がって来る微Sカーブを狙ってみます。土手の道路からゴリゴリに圧縮して撮るのが人気みたいですけど、ここに来てにわかに風が強くなり予報が大外れの土砂降りの雨。とてもじゃないけど土手上の道路で待ってられる状態じゃないので、通過寸前までクルマで雨宿りしながらの一枚。


小やみになった雨の中を、大井の川橋に向けて登って行く5282レ。ちなみにこの構図は横の道路にクルマが来ちゃうと即死アングルなんで、正直ヒヤヒヤもんでした(笑)。まあそうなったらそうなったでと開き直っていたら幸いにして一台の車も来なかったんだけどそれは結果論。隣の県道6号が混雑する道なんで、結構抜け道してくる車が多いんだよな。日中の撮影時間では平日2便しかない貴重な塩浜線の上り便、遠征組がわざわざ撮るにはリスキーなアングルなんで、リスク回避という観点でも土手上の道から狙ったほうが良いのかもしれぬ。


5282レは四日市で20分強のアイドルタイムを設けているので、北浜踏切へ先回り。何となくこの辺りの動きは四日市に来るともはやルーティンワークのようになっているのだが、カット数を稼ぐには一番ベストな流れなんだよねえ。新味に欠けるのは否めないけど、もう四日市近辺の撮影地なんて開拓され尽してるだろうし…(笑)。

ネコの目天気の四日市、さっきまでの土砂降りがウソのように太陽が出て来て逆光ベース。北浜踏切先は長い貨物列車がカーブしながら加速してくるところを正面からガツンと撮影出来るのが良い。三滝川の土手に向かって上り勾配になっているので、DD重連だと爆煙&大音量のエギゾーストノートを楽しめる場所であったのですが、DFは軽々と涼しげな顔をしてタキ16車を引っ張り上げて行くのでありました。
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凸型のサンクチュアリ

2018年02月23日 22時00分00秒 | 関西本線

(大宮のラストクロップ@富田駅)

DD511801のキャブ側面の左下、「27-5 大宮車」とあります。平成27年5月に大宮車両センターを全検出場した事の証拠なのですが、1801号機の出場を持って、これがDD51型式の最後の全般検査である事が同時に発表されました。旅客会社持ちのDD51は分かりませんが、少なくとも愛知機関区のDD51は、これで検切れの時点で廃車が決定した事になります。一説によると、平成30年度をメドに愛知機関区のDD51は運用を外れるのではないかと囁かれていますがどうなんでしょうね。いずれにしろ蒸気機関車を追い出し、戦後の非電化幹線を近代化した凸型の名機も、定期運用を失う時が刻一刻と近付いているのは間違いありません。




富田から名四国道を先回り、いつもの臨港線でセメント便を待ちます。港の倉庫街に遠くからDDのホイッスルが聞こえて来ると、やがて名四国道の昌栄町のガードをくぐってDD51が姿を現しました。操車さんが沿道の踏切のスイッチを入れながらゆっくりゆっくり近付いて来るのですが、うーん、やっぱりDD51はスノプロ機がいいよね。これがあるなしでは見た目が全く違う。フロントスポイラー的な見た目の効果で、足元がグッと締まって見えるのがいいんだよなあ。


末広橋梁へ向かうセメント便を後追いで。2月から稲沢~塩浜間で運用を開始したDF200ですが、この四日市の臨港線にはシテンでも入線したという話は聞きません。DDより約15トンも重く大きいDFですから、さすがに末広橋梁が渡れないんじゃないか、という意見が並んで撮っていた同業のあんちゃんとの一致した見解(笑)。そうなるとセメント便がDDの最後の仕事になりそうで、その中でも一番最後まで残るのがこの1801号機なのではないでしょうか。


いつもならすぐにスイッチャーが港のサイロから牽いて来た返空タキを持ってDDが末広橋梁を戻って来るのですが、この日の5362レはなんと単機。藤原工場からのセメント出荷があるのに、戻しのタキがないというのは変な感じですけど、生産調整中なのかな?いずれにしろ荷主の都合であったりなかったりが専貨のお約束なので、珍しいものを見たと言う事で良しとしましょう。

お散歩モードで鼻歌混じりに末広橋を戻る、身軽なスノプロ1801号機。
四日市臨港線は、DD最後の聖域となるのでしょうね。

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還暦と不惑のランデブー

2018年02月22日 22時46分15秒 | 関西本線

(宿場町風情たなびいて@富田駅界隈)

鉄道の東海道本線は名古屋から関ケ原を通って米原に抜けてしまいますけれども、古来から東海道と言うのは熱田の宮宿から七里を船に乗り、桑名宿から四日市宿を経て鈴鹿峠を越えて行くルート。その本来の東海道筋に当たる富田の街、いつもDD追い掛けてバタバタと通り過ぎているだけなんだけど、ちょっと立ち止まるだけでも何とも味わいある魅力的な雰囲気が残っています。今度時間作って撮り歩いてみたくなる、そんな街です。


さて、DFの到着した塩浜を後に、そそくさと機材を片付けて近鉄富田の駅へ戻ります。あんまコインパーキングに長くクルマ突っ込んでもカネが勿体ない。ちょうど時刻は三岐3712レからJR5363レへの富田駅での継走の時間、今日のセメント担当はスノプロ装備の1801号機。人待ち顔のDDの向こうから、ゆっくりと三岐のED重連が走って来ました。


「待たせたに~」と三重訛りが聞こえて来そうな三岐のおじいちゃん機関車。昭和29年生まれだから御年64歳。かたや富田から四日市港までの牽引を受け持つ1801号機も昭和53年生まれ、今年で不惑と決して若くはありません。元はと言えば成田空港へのジェット燃料輸送を目的に導入されたDD51の最終ロット。新製から平成9年までを佐倉で過ごした生粋の千葉っ子。


昼便で東藤原へ向かうフライアッシュ貨物と並んで、四日市への身支度を整える5363レ。三岐鉄道の旧富田駅ホームに繋がる跨線橋は、旅客扱いが無くなって30年以上が経っても未だに取り壊されることもなく現存しています。この跨線橋には「宇賀渓・藤原岳へは三岐鉄道で」みたいな、いかにも昭和的な観光客誘致のスローガンが書かれていたんだけど、なくなっちゃったのかな。あれ、結構いい味出してたと思うんだけど。
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