青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

真夏の近江熱風録 恋は遠い日の花火編

2013年07月31日 00時16分43秒 | 近江鉄道

(祇園神社の夏祭り@愛知郡愛荘町)

夕方になって、車内にめっきり増えて来た浴衣姿。その行き先はここ、愛荘町にある祇園神社。国道8号線、東海道新幹線、そして近江鉄道が渡る愛知川の鉄橋のたもとにあり、「橋神様」として日々の交通安全と橋の安全をお守りしている神様であります。今日は祇園神社の夏祭り、そして夏祭りに合わせて行われる愛知川の花火大会は今年で何と132回目!滋賀県最古の伝統の花火大会として、多くの観客を集める夏の名物イベントなんだそーな。

 

と言う事で、貴生川から乗って来た米原行きは、八日市からさらなる花火の観客を乗せて祇園神社の最寄り駅である五箇荘駅に到着。人込みに巻かれながらアタクシも降ります。花火大会だったのは知らなかったけど、元々降りる予定でしたからねえ。続々と降りて来る浴衣姿の花火客と近江ガチャコンの交換シーンは、夏のひとコマとしては実にいい感じ。そして夏のアイテムとして変な意味じゃなくて浴衣姿の娘さんってーのは凄く華やかでフォトジェニックなものだねえ。駅の掲示板には花火大会に合わせて臨電をブチ込む旨のお知らせがあり、これなら撮影回数も稼げそう。願ったりの展開です。

  

駅から花火客に混じって歩く事15分、愛知川の鉄橋にやって参りました。
元々ここに来ようと思ったのは、この近江鉄道の愛知川橋梁が国の有形文化財指定を受けている事によるものでして、1898年(明治31年)の架橋以来100年以上に亘って当時の姿をとどめたまま現存する貴重な土木構造物であるからなのです。橋長は239m、9連のプレートガーダーに彦根側の1スパンだけ単式のポニーワーレントラスが乗っかった構造で、トラス部分はイギリスのハンディサイド社と言う会社が作った舶来モノ。トラスを組む鉄骨の補助支持部分が横にウニっと曲がって出っ張っているのが特徴なんでしょうか…ちなみに「ポニー」とはトラス部分が小さく上部で通路を覆う横梁部分がないものを言い、「ワーレン」とは鋼材の組み方が△型になっているものを言い、「トラス」とは鋼材を三角形に組み上げる構造の事を言います。実生活では覚えててもしょうがない無駄知識を披露したところで、八日市の中線で昼寝していたパト電が夕方のパトロールにやって来ましたw


土手に並ぶ露店をバックに、八日市行きの単車222型が祭りの日の愛知川橋梁を渡る。ガーターを震わせるジョイント音と吊り掛け音のコラボレーション、車内は立ち客も目立って盛況の様子。しかしこの橋梁、普通は橋の真ん中とか水路上にトラスがあるものだと思うのだが、何の関係もない橋の末端部分だけトラス構造になっているのは何でなんだろうね。シロート目には、土手に近い場所にトラスを組んでもしょうがないと思うのだけど。


明治から続く花火大会と、明治から愛知川に架かる鉄橋。湖国の夏の夕晴れを、前パン振りかざして803編成が行く。並行する国道8号線の橋から撮影しているのだが、こうして構えている間にもアタクシの後ろをぞろぞろと花火客が祇園神社の会場に向かって歩いていくので、ちょっとお邪魔だったかしら。

  

花火大会の会場から離れ、五箇荘駅に戻って来ました。
なお駅からは続々と花火会場に向かう観客の波が続いていますが、少し趣向を変えて五箇荘駅の南側に広がる田園地帯でカメラを構えてみる事にします。南側に見える山は、太郎坊宮のある箕作山に繋がる八日市丘陵。この辺りで近江鉄道に並行する東海道新幹線が駅の南側で離れて行くので、同じ位置から近江鉄道も新幹線も見る事が出来ます。傾いた夕日に陰影を深める田園を手前に置いて、思わず新幹線を流し撮りw


田園地帯の農道の土手に座って電車を待っていると、花火大会臨電の高宮行キャラ電@809編成が夕日を浴びながらやって来た。八日市線の運用の後は本当ならお休みだったのだろうか、残業お疲れさんですなあ。夕方になって空気が澄んで来たようで、青空と夏の雲に表情があってなかなかいいコンディション。

 

暮れて行く夏の一日とフジテック編成。本来は夜からの運用になる新鋭900系も宵の口の臨電運用に参戦して花火客を会場に送り込みます。近江では新顔になる西武の新101系ですが、流山、秩父、伊豆箱根、上信、三岐、そして近江とこれで6社目の譲渡先。地方私鉄と言うと東急車の牙城のように思えますけど、何気に単一車種で6社もの会社にトレードされているクルマと言うのも珍しいのでは。


花火大会の開催を告げるバン、バンと言うかんしゃく玉の音と、本番を前に試し打ちされる花火がちらちらと見える五箇荘駅のホーム。花火大会は何時くらいに始まるのだろうか?出来れば、五箇荘の駅に停まる電車と花火を絡めて一枚撮ってみたいなあと。帰りの新幹線の時間とにらめっこしながら待っていると、再び折り返しのフジテック編成。宵闇に流れる花火客の姿、遠くから町長の挨拶なんかが聞こえて来て、もうすぐ始まりそうなんだけどな~。


五箇荘駅のタイムリミットは19時40分の上り電車。どうも始まりそうでいて始まらない花火大会、時間切れですかねえ。19時くらいから始まるのかと思ってたが、西の国は日没が遅いのをすっかり忘れていた。出来る事ならもうちょっと粘りたかったんだけど、フリーきっぷは土曜日限り。しゃあねえ、諦めます。

次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 浴衣姿と蒲生野と編

2013年07月28日 00時45分49秒 | 近江鉄道

(ギャラリートレインがやって来た@八日市駅)

八日市駅から、再び本線に戻り一路貴生川へ。近江鉄道の本線は米原から彦根~八日市~貴生川まで全長が47.7kmもあり、これは全国の地方鉄道(三セク系を除く)では有数の長さなんではなかろうか。富山地鉄の本線が電鉄富山~宇奈月温泉で53.3kmだからそれに次ぐくらいなのかなあ。地元の小田急線で換算すると新宿から愛甲石田くらいまでの距離と考えるとこれはなかなかの長さ。現在は普通列車の運行しかないので、全線を通しで乗ると1時間半程度かかる。既に時刻は午後2時半、日没は長いので大丈夫だと思いますが、とりあえず先を急ぎます。留置されているコカ・コーラ編成の向こうからやって来るのは貴生川行きギャラリートレイン805編成。

  

八日市から出ると八日市線を右に分け、貴生川までは蒲生野と言われる東近江の穀倉地帯を走って行きます。長谷野、大学前、名神高速をくぐって京セラ前からはほぼ真っ直ぐに進路を取り、桜川、朝日大塚、朝日野と車窓の景色は至って変わらず、ただひたすらに夏の日差しの田んぼの中をゴトゴト、ゴトゴト、ひねもすゴトゴトと行くのみの電車。乗客はまばらな静かな車内で、早朝からの行動の疲れかうつらうつらと眠くなって来る。そのまま体ごと夏に溶けて行きそうだ。

  

八日市~貴生川間では乗客の流動も極端に下がり、さながら雰囲気は閑散線区の様相を呈して来る。日野で上り列車と交換。八日市から先は、基本的に日中は日野駅で上下列車が交換するダイヤのようです。交換相手は単車の220型ですが、そのくらいのボリュームの乗客しか乗らないと言う事でしょうか。日野を出るとお隣の水口松尾までは4.9kmと線内で最も駅間距離が長く、低い分水嶺を清水山トンネルで越えて行く。このトンネルの坑口がまた優良物件で、レンガの門柱に矢羽のように伸びた迫石がいかにも明治のトンネルらしい。トンネル内の漏水がひどく、列車は通過時に制限20がかかっており実に慎重に歩みを進めて行きます。トンネルを出ると水口(みなくち)の市街に向けて下りとなり、夏草の線路をカーブしながら走るガチャコン電車。

  

水口松尾、水口、水口石橋、水口城南の水口四兄弟に丁寧に停車した後、貴生川を渡って大きく左にカーブすると、右からJR草津線の線路が近付いて来て終点貴生川に到着し近江鉄道完乗。ここは滋賀県甲賀市になりますが、北陸の雰囲気を感じた始発駅の米原と比べると、なんかこう…関西だなって感じの空気感がありますね。しっかしここまで乗って800円たあ1デイ・スマイルチケットのコスパたるやはかり知れんw


貴生川からは、信楽高原鉄道が信楽へ向けて伸びています。元国鉄信楽線の三セクですが、1991年に列車同士の正面衝突による大惨事(信楽高原鉄道列車衝突事故)を起こした事は皆さんの記憶にも残っている事かと思われます。現在も信楽までの盲腸線にとどまっている信楽高原鉄道にも、行政の方には近江鉄道と信楽高原鉄道を繋げた上で京阪神方面へ路線を延伸する構想(びわこ京阪奈線構想)があるらしいですな。鉄道版京滋バイパスみたいな雰囲気もあるのだが、事業化には相当の時間がかかるものと思われます。あ、画像の後ろの方に不気味な緑一色の車両が写ってますが、気になさらぬようにw

 

近江鉄道の貴生川駅のホームは1面2線。到着したホームの反対側には、夕方から日野までのシャトル往復に充当される225型が留置中。小さな体の全面に「おーいお茶」ラッピングを施しておりますが、気のせいか近江鉄道全線に亘っても伊藤園のベンダーが多かったような(笑)。近江鉄道の重要スポンサーの一つなんでしょうかね。

 

貴生川からは乗って来たギャラリートレインに再乗車。高宮~貴生川の本線筋は日中1時間ヘッド、そして距離も長いとなるとなかなか途中下車してあれこれとしている時間もないのが正直なところ。本当ならば蒲生野の豊穣な稲田の風景なんかをバックにちょっと撮り歩いたりとかしてみたかったんだけどなあ。帰りもきっちり日野駅で交換する上下列車、今度の対向は朝一番で乗った検診ラッピング@801編成でした。近江鉄道標準の、運転席を頂点として上下が中線を挟んで互い違いになるホーム配置の日野駅。構内踏切を渡ってお出掛けの女子高生2人組、歩みを合わせてウォーク・オン・ザ・レイル。


日野を過ぎ、八日市に向けて徐々に増えて行く乗客。びわこ学院大学の最寄り駅である大学前駅でサークル帰りの大学生がドドッと乗車、八日市線でも気になってたけど、今日はいやに浴衣姿が目立つ。ちょうどこの週から夏休みだし、沿線のそこかしこでお祭りでもやっているのだろうね。そんな華やかな祭りの日の近江鉄道、浴衣姿の若い娘の盛り髪あでやかに西日の蒲生野を走ります。

まだまだ続く。
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真夏の近江熱風録 ゆるキャラ残酷物語編

2013年07月27日 09時52分39秒 | 近江鉄道

(夏の田園を行く@800系)

まだまだ続く近江鉄道の旅。今日は一応三脚をかついで来てるんですが、乗り鉄中心だと三脚を立てて構えるような場面もなかなかないのが正直なところ。レンズも一通り持って来たけど、メインの16-85でほぼ通してしまった。暑いし、重いしで装備はもうちょっと軽くても良かったような気がしたねえ(笑)。使わないのも何なんで、八日市駅そばの木陰で休みながら近江ガチャコンを一枚。もうちょっと夏っぽい絵を期待したんだけど、通過直前に太陽は雲の中へ…w


さて、八日市駅を発車した真っ赤なフジテック号は、八日市駅の構内を出て制限20km/hの急カーブで右に回ると、あっという間に新八日市駅に到着しました。ここだけは事前の調査で「いい駅」だとの噂を聞いていたんで降りてみる事にしますが、大正2年の開業当時の上屋がそのまま残っているとの事。あまたの乗客を見届けてきた渋焦げた木造ラッチと、「しんようかいち」の独特の温かみのある書き文字の駅名表が出迎えてくれました。

 

駅前から駅本屋を見上げて一枚。うーん、レトロと一言で言ってしまうには勿体ないようなレトロさ加減と申しましょうか…駅入口手前の広めの階段、薄水色の板塀に絡まる蔦、入口の屋根の下についた細かい意匠のツバメ返し。2階部分には大きなタテ型の明かり取りの窓があって、湖東鉄道の本社屋としても使われていた新八日市の駅は、当時流行のデザイン性を地方の小私鉄が取り入れて作った西洋建築の本社屋なんですね。

 

真夏の日差しの下、やって来た八日市行きの809編成と一緒にこの古風な西洋建築の駅をパチリ。開業当時は湖東鉄道の八日市口駅として終点であったものが、近江鉄道との合併に伴い線路が現在の八日市駅まで延伸したのは戦後間もなくの事。終着駅としての役割を終えてから、戦後70年をかけてゆーっくりとワビサビが積もったような風合いがこの駅にはあります。

 

隣の駅までそんなに距離もないようなので、新八日市の駅から次の太郎坊宮前駅まで歩いてみる。八日市線の北側の車窓に連なる山は箕作山(みつくりやま)と言って、市民のちょっとしたハイキングコースになってるそうな。その中腹にある建物が通称「太郎坊宮」と言われる阿賀神社。聖徳太子の建立とも言われる由緒のある神社で、訪問したこの週末は千日大祭っつー夏祭りの日であったらしい。太郎坊宮前の駅前通りには大鳥居がかかり、そのまま箕作山の参道へ続いているようです。

 

片面一線のみの小さな太郎坊宮前駅。駅入り口に申し訳程度に張られた注連縄が、文字通りお宮の前の駅である事をアピールしております。夏祭りの幟がはためくホームに近江八幡行の電車が到着し、冷房の効いた車内で一息付く。車内の主力は女子高生、夏休み突入にて沿線は他にも夏祭りがあるのか、制服に混じって浴衣姿の女子高生の姿も目立ちます。市辺~平田にかけて車窓から八日市丘陵が消えて、武佐から家並みが目立ち始めると、揺れる電車は近江八幡へ。

  

近江八幡到着。駅は、彦根&米原と同じく東海道本線の東側に小さく作られた島式1面2線のホームです。今シーズンも「ビア電」の運行が始まりましたよ、なんて掲示も貼られておりますが、2ヵ月もやるとは近江沿線の人たちも好きねえ(笑)。あ、ご紹介が遅れましたが乗って来た809編成は「近江キャラ電」と申しまして、「いしだみつにゃん・しまさこにゃん」と言う2匹(?)のゆるキャラがデザインされております。関ヶ原の戦いで功を遂げ、彦根のそばの佐和山城に居を構えた石田三成とその家臣である島左近を由来としたキャラらしいのだが…ホラ、彦根界隈に全国的に有名なゆるキャラがいると思うんですけど、あれじゃないんですか?え?オトナの事情で?肖像権が?ギャラが折り合わない?(以下妄想)


「俺たちに罪はない」と訴えるいしだみつにゃん&しまさこにゃん氏。明らかに某超有名ゆるキャラのセット売りと言うか大きく離れた2番手3番手の存在は、シャ乱Qにおけるつんく♂に対するはたけ&まことくらいの力関係か。なんでいきなりシャ乱Qなのかは自分でも良く分からんが、すぐの折り返しの八日市行きに乗って一気に八日市に戻る。近江八幡でやったことと言えば、駅のコンビニで食料と水を調達したくらいでw

完乗目指して、次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 桜田門外の編

2013年07月26日 23時44分22秒 | 近江鉄道

(昭和の香り@八日市駅前)

よい子向けの健全なこのブログに似つかわしくないトップ画像で極めて申し訳ありませんが、いいか悪いかは別にして昔はこういうポスト、確かに駅前にありましたよね(笑)。久し振りにアタクシの目の前に現れた現役の有害ポスト、平成も25年になって、青少年のリビドーはインターネットやスマホでどうとでもなる時代に今更有害な図書やHビデオもないもんだとは思うのだが、そもそもビデオじゃなくてこのご時世せめてDVDだろ!って突っ込むところはそこじゃない、けだるく暑い八日市駅前の昼下がり。5分程度近くのベンチでコーラを飲んでましたが、悲しいかな利用者は現われませんでしたとさw

 

さて閑話休題。近江鉄道ミュージアムの見学にたっぷり一時間を費やし、時計を見ると既にお昼前。今だ米原から多賀までを乗り潰したに過ぎない近江鉄道の旅、先を急ぐことに致しましょう。彦根から下り多賀大社前行き701系はさっき彦根まで乗って来たのが米原から折り返して来た車両。彦根から多賀大社前方面へ直通する電車は、だいたい高宮で始発の貴生川行きに接続してくれますので、高宮に到着するやいなや扇形のホームをみんな民族大移動。

 
 
高宮から先は車窓の左側に走る新幹線の高架橋に沿いながら尼子、豊郷、愛知川と湖東の田園風景の中を進みます。乗客の中にやたらと声の大きい30代と思しきいわゆる「大きいお兄さん」の集団がいて、乗り鉄の集団なのかな?と思いきや豊郷駅でぞろぞろ降りて行った。愛知川の次の五箇荘で米原行きと交換のお相手は820系、やっぱり種車は西武401系ですが、最も原型に近いあっさりした改造です。ただ、西武401系の特徴だった前面補強用の銀鉄板がなくなってしまっているので、平板な西武401系のお顔がさらに無味乾燥になってしまいました(笑)。遠目から見ると南武支線時代の101系みたい。

  

五箇荘から河辺の森を経て、湖東を走るガチャコン電車は彦根から30分ちょっと。近江鉄道沿線最大の都市、東近江市の中心駅である八日市駅に到着致しました。市内の中心駅にて貴生川へ向かう本線と近江八幡へ向かう八日市線が分岐する駅でもあり、車内の大半の乗客が電車を降りて行きます。東近江市は八日市市を中心に付近の町村が平成の大合併によってくっついた人口約11万人の都市。JRの駅は市内に東海道本線の能登川駅1つだけですけども、近江鉄道は本線と八日市線を合わせて13の駅がありまして、近江鉄道は東近江市民にとってはなくてはならぬ足。駅舎も地方鉄道の駅にしちゃあ非常に立派なもんでして、跨線橋のアトリウムには吹き抜けとこの地域の名物である大凧が飾られたりなんかして。

 

八日市駅を彦根側から。2面3線のホームは左側から本線の貴生川方面、中線を挟んで本線の米原方面、そして八日市線の折り返しに利用されているようです。朝夕には本線にも始発着の列車があるので車両の留置もあるようですが、そんな八日市の中線にて昼寝をこいていたのが滋賀県警ラッピングのパト電820系。「平板な西武401系のお顔がさらに無味乾燥に…」とかいってすいませんでしたって感じです(笑)。車体の前面ど真ん中に桜田門のシルシを光らせる、見る者の度肝を抜くデザインですなあ。柳沢慎吾が両手のひらを回しながら「ウウウウ~!」と向こうからやって来そうだぜ!(笑)。車内アナウンスもタバコのビニールのトコで「電車近江八幡方面に向かって進行中!あー乗客各位揺れますので手すりにおつかまり下さいドーゾー!」とかやったりしてw

 

さて、とりあえず本線とは一回お別れして、ここからはひとまず八日市線に乗って近江八幡まで行ってみましょうか。八日市線は近江八幡~八日市を結ぶ全長9.3kmの支線ですが、元々は近江鉄道ではなく湖東鉄道と言う別会社が敷設した路線でもあります。八日市始発の近江八幡行電車はド派手なラッピングの800系808編成フジテック号、「世界のエレベータ エスカレータ」のキャッチフレーズが実に勇ましいその車体は真夏の日差しの下で真っ赤に燃えて輝くのであります。それにしても赤い、赤過ぎるよ!まっことどのクルマもどのクルマも個性が強くて飽きさせませんなあこの会社(笑)。

しかしながら、八日市駅のエレベーターはフジテック製ではなかった。
使ってやれよ!w
次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 デキ高払いは200円編

2013年07月24日 21時22分48秒 | 近江鉄道

(匠の技@700系妻面)

いろいろと西武から電車を持って来ては、あれこれと手を加えカスタマイズする近江の匠の技。車両の連結面を見てふと気付いたのが、近江鉄道の車両は車体の角を不自然に掻き取っている。よく見れば大半の大型車両がそうなので、これは車両の大型化に伴いカーブした未整備のホームと車両が干渉しないように取られた対策なんではと思われる。よく大根の煮物とか作る時、お互いが鍋の中で当たって崩れないように角を取ったりする「面取り」と言うテクニックがありますが、あれに近い。「こんなデカいクルマ、ホームに当たりそうで怖くてかなわんわ~」「じゃー当たらんよ~にボデーの端のとこ切っとこか~」みたいな会話が聞こえて来そうです(笑)。

  

多賀大社前からガチャコン226に乗車し、高宮で本線の米原行きにお乗り替え。お、今度は近江鉄道700系がやって来ました。近江鉄道開業100周年を記念し、「んじゃあイベント用にJRで言えばジョイフルトレインみたいなの、行っとく?」と彦根工場の匠が言ったか言わないか、タネは西武の新401系を使ってトンテンカンとこしらえた車両であります。腰の部分をくの字に折り、加えて裾を前に寄せた前面にはワイドな三面ガラス。側面は埋め込み型の大きな一枚ガラスの窓が並び、水色と赤のラインを裾に巻きますが…よくもまあ無表情な西武の401をここまで作り替えたもんだと感心することしきり(笑)。車内は近江鉄道唯一のクロスシート(転換型)で、転換クロスはJR185系の更新工事の際に取り外されたものを流用しているそうな。転クロにしては座った時のバランスがよく、シートピッチがゆったりしていて悪くないっすね。

   

さて、改めて彦根に戻って参りました。
彦根には彦根電車区と彦根工場がありまして、文字通り近江鉄道の中核を為す駅。ホームに隣接した留置線周りは、何年か前に彦根駅周辺の再開発をきっかけに資料館を併設した「近江鉄道ミュージアム」 として再整備されました。惜しむらくはその開館日が4月~11月の間だけで、かつ基本的には月に1回とかなり限られていること。今日はその開館日なんですけど、最終的に今日の近江行きを決めたのはこのミュージアムの開館日だったからと言っても過言ではありません。改札口を抜けてミュージアムのある東口広場へ繋がる跨線橋から眺めれば、かつて貨物輸送華やかなりし頃に活躍していた貴重な旧型電機たちが所狭しと並んでいる圧巻の光景。中に入るには入場料200円を別途徴収されますが、個人的にはもうちっと入場料上げてもいいから、せめて土日は開館してもいいんじゃないかな~って思う。

  

展示車両の中でまず目立つのは、近江に4両が導入されたED14型。ED141~144の4両すべてが展示されておりますが、主に多賀(今の多賀大社前ね)にあったキリンビールの工場と住友系のセメント工場に、ビールの原料やらセメント用の石灰石やらを運んでいたらしい。ヤマの向こうの三岐同様、滋賀の名峰伊吹山も石灰石の採掘が盛んなところでしたからねえ。

  

このED14はまだ国産で大型の電気機関車を作る技術に乏しかった大正14年、幹線向けに当時の鉄道省が輸入したもの。内部に入ってみると、コントローラには「GENERAL ELECTRIC」の文字が入っていて、米国GE社製である事が分かります。今や原発企業としての名前の方が有名になってしまったGEですが、当時からアメリカの主要な重電メーカーでもありました。東海道線の東京~国府津間で働いた後、中央東線や仙山線など山岳系路線に転属した経緯からみても結構パワフルなカマだったらしく、そのために近江では本線筋で重量オーバーになってしまう橋があって、運用は米原から多賀の間に限定されていたとの話。キャブに乗って中を見てみましたが、うーん、正直カマの機械的な仕組みなぞ何にも分からなくても、昔の機械らしい脂濡れしたメカニカルな風合いは感じ取れる。それにしても真夏の機関車の運転台の何と暑いこと(笑)。熱中症なんて言葉のなかった時代、夏のカマ乗務はクソ重労働だったろうなあと思う。

  

左側からED31、ロコ1101の凸型電機。特筆すべきは真ん中に位置するロコ1101型で、現在のJR阪和線の前身である阪和鉄道の電気機関車。昭和5年、東洋電機製造製。横から見ればセンターキャブの車体も、正面から見れば運転席の前面に視界確保のためランボードを寄せた非対称の変わった形をしておりますね。ハコ乗り風と言うか(笑)。

  

ED31は戦時買収された伊那電気鉄道(飯田線)の機関車で、ブリルの台車が渋い。運転台に上がれるので中に入ってみたらやったら運転台の窓が小さく視界が非常に狭い。こんなんで本線走ったら運転士の人は怖くてしょうがなかったんではなかろうかと…「通票・信号・進路 先ず確実な打合から」の標語、大事なことなので運転台に置いておきました。

 

このミュージアムは彦根駅の留置線の一角に作られているのですが、レールが明確に本線と区切られている訳でもなく、西武から貰って来た新101系もそのまま留置兼展示対象となっております(笑)。さすがにこれは何らかの改造を施した上で営業運転に入るのだろうけど、スカートなしの車両の奥に近江の魔改造マスクがちらりと見えたりして、オペを待つ新101系の心境やいかに(笑)。
他の見学者さんの漏れ聞く話によれば、今年の2月に西武から持って来た編成だそうでなるほど西武時代のステッカーもそのまま。本家は武蔵境とか萩山のあたりで鈴木その子の如く白塗りされちゃってますから、黄色塗装のまんまというのも貴重なのかもしれませんねえ。先にデビューした900系は藍色に塗られてしまったけれど、移籍してからそんなに時間も経ってないせいか退色もなく、リバイバルブームに乗って2本目はあえてこのままで走らせたりすれば小平市民とか東村山市民とか感涙モノでしょうw


日干しになっている新101系がオペされるであろう彦根工場を跨線橋から遠景してみる。新鋭900系は朝のお勤めを終えてお休み、朝一番で乗った検診編成(笑)もお休みに入っちゃってますねえ。至って普通の地方私鉄の車庫の風景ですが、ここに蓄積された匠の技こそ近江の真骨頂、鉄道電車の虎の穴なのであります。

次回へ続く。
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