青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

シン・ジャパニーズトラム、見参。

2024年03月20日 15時00分00秒 | 福井鉄道

(FUKURAMを超えろ、ジャパニーズトラム@福井駅前~福井城址大名町間)

福井城址大名町で青色のFUKURAMと交換するのは、「FUKURAM Liner」こと福鉄2000形。2023年2月に導入された、福井鉄道の最新型車両。2013年からFUKURAMこと福鉄F1000形を導入し、低床型新型トラム車両の導入に舵を切った福井鉄道。生え抜きの福鉄200形や、名古屋市交の改造車である600形などのステップ付きの経年の高床車を置き換え、「ああ、200形の引退は大変残念だけど、このまま福鉄はFUKURAMを軸にした車両の導入を続けて行くんだろうなあ」なんてぼんやり思っていたのですが、FUKURAMの導入は第4編成である1004Fまでで一旦お休みとなり、この「FUKURAM Liner」が1編成追加で投入されました。流線型のFUKURAMとは異なる非常にソリッドなデザインと、シャープに流れるサイドの福鉄カラーがカッコいいですよねえ。最近の鉄道車両、前面下部にラインを落とし込むようなデザイン(京成3100形とか)が非常に多いのですが、これもその「流行り」に乗ったものなんでしょうか。

ヒゲ線を通って恐竜のオブジェが待つ福井駅前へ。新しい街に新しいトラムが映える。先に導入された「FUKURAM」は、ボンバルディアトランスポーテーション(ドイツ)のライセンスを受けて日本の新潟トランシスが製造したブレーメン型と言われる超低床型トラムですが、この2000形「FUKURAM Liner」は、日本式超低床型トラム「リトルダンサー」シリーズのロングタイプ車両で、大阪のアルナ工機を中心とし、東芝や東洋電機製造ほか日本の交通機器産業に関わるオールジャパンの企業体の技術を結集して作られています。噂によると、FUKURAMの場合はいっぺん不具合が見つかると、重要部分がドイツのライセンス製品のために日本では調達が出来ず、故障や事故の際の保守管理に時間がかかるなどの問題点があるようです。よくイタリア車とかアメ車とか買っちゃうと、故障したときに部品が本国取り寄せになっちゃってカネも時間もかかるみたいな話を聞きますが、それの電車版みたいな感じ。では、日本はどうなのかというと、そこまでLRT車両の市場が大きくないので、保守や管理などのランニングの部分のサポートは見込めても、イニシャルの部分の量産性や納期の問題があるのだそうですが・・・(だから福井は当面の需要を満たす1編成だけの発注になったなんて話も)。宇都宮のLRTも、開業に備えて車両を用意するのに国内メーカーではその納期に間に合わせることがなかなか難しくて、結局新潟トランシス&ボンバルディア連合に発注したんだとか。鉄道産業における世界の産業構造の話になってしまったが、色々と勉強になることもあり。

ともあれFUKURAM Liner、見た目の意匠が目を引く存在で、道行く先でカメラを持っている同業者の姿が。観光客も連られてスマホのカメラでパチリ。ちなみに、私はこの車両を最初見た時にパッとひらめいたのが「OLFAカッター」ですね。あの、切れなくなると刃先をポキポキ折って新しい刃を出して使うやつ。これ、黄色く塗ったらまんまOLFAカッターやな、って。運転席のところからポキポキ折れそう。折れたらアカンやろけど(笑)。

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ヒゲ線今昔模様。

2024年03月17日 17時00分00秒 | 福井鉄道

(鉄軌分界点を行く@赤十字前~商工会議所前)

北府駅で福鉄200形とのご対面を果たした後は、家久の駅で途中下車してJR北陸本線の日野川橋梁に行ってみたり・・・一応、北陸路を駆ける最後のサンダーバードの雄姿などを撮影したのだが、どうにも天気がどん曇りのままで冴えない写真を無駄に量産するだけに終わる。あ、そうそう、3月16日の土曜日に北陸新幹線はめでたく金沢~敦賀間が延伸開業したそうで、おめでとうございます。北陸本線の金沢~敦賀間はIRいしかわ鉄道と第三セクター・ハピラインふくいというキラキラネーム臭のする新設第三セクターが並行在来線として開業しました。今までは特急サンダーバードと特急しらさぎが毎時2本ずつ走っていましたから、線路容量の空いた分を使って増発したダイヤを組んでいて、地元密着の生活路線としての姿勢を鮮明に打ち出しています。福鉄はそれこそ昔っから福井~鯖江~武生間で国鉄と併走していますけれども、今までは普通列車の本数であったり駅数であったりと細かい部分で上手に棲み分けが出来ていたから特に問題はなかったん小ですよね。ただ、これからは「フリークエンシー」という部分で完全な競合相手となります。地鉄の滑川~魚津だとか、経営危機が叫ばれている弘南鉄道の大鰐線みたいな国鉄と地方私鉄の併走区間は、そもそも都市間輸送を担う国鉄と、域内輸送を担う地方私鉄という「役割の違い」で併存していた経緯がある。それが、今や旧国鉄が地方私鉄の領分に踏み込んで来ており、少子高齢化に伴う乗客の奪い合いが始まっている。並行在来線問題に弾かれて話題にもなりませんが、結構悩ましい問題なのではないかと思いますね。

福井駅から少し離れたビジネス旅館に荷物を置き、軽い体で福井駅前周辺の繁華街へ。平日の夕方、市役所前改め、福井城址大名町の電停では、オフィス街から退勤する人の波がありました。そう言えば、前回の福井遠征も平日の休みで来ているような・・・福井鉄道、以前は土休日と平日のダイヤが違いまして、やっぱり来るなら平日だななんて思っていたのですけど、北陸新幹線の敦賀開業に合わせた2024年3月のダイヤ改正でなんと上下で5本の増発。初電終電の繰り上げ繰り下げの実施が行われました。噂では薄給と激務により運転士の退職と同業他社への転職に歯止めがかからないらしく、それで先日まで一部列車の減便とかやってたんだよなあ。そんな中で増便とか大丈夫なんだろうか。乗っていると、何となく比較的若い運転士氏が目立つんですよね。現業を指導する経験のある中堅~ベテランの運転士さんとかが少ない印象を受ける。そのくらいの年齢層になると、やっぱりそれなりの給料を払わなければ生活だって大変になってしまうだろうし・・・そうそう、ダイヤ改正と同時に料金改定をして15%の運賃の値上げも行ったんですよね。この賃上げが、従業員の待遇改善に繋がればよいのですが。

福井銀行の本店をバックに、福井駅前~福井城址大名町間の通称「ヒゲ線」に入って行く旧名鉄組。福井駅前、新幹線開業に伴い駅前の大規模な再開発が始まっていて、以前は昭和の雰囲気がプンプンした長屋のような雑居ビルが立ち並んでいたエリアは跡形もなく取り壊されていた。その跡地には現在タワマンが建設中なのだが、いくら駅前といえども福井駅前のタワマン、いったいどのくらいの値段で売り出しがかかるのだろうか。福井駅前電停も、以前より少し福井駅寄りの駅前広場の中まで延伸され、小ぎれいな電停に変貌していました。変わりゆくヒゲ線の風景の中でなにか面影を探しているうちに、目についた商店街のカバン屋さん。婦人向けとおぼしき店頭に並ぶその懐かしきデザインを見て、そっとシャッターを切りました。

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ずっとあなたが好きだった。

2024年03月15日 17時00分00秒 | 福井鉄道

(永遠のマイラバトレイン@福鉄200形)

はい、北府駅に降りたのは、この駅で静態保存されている福鉄200形を見たかったからです。というか、福鉄に乗りに来た中の半分くらいはこのイベントで占められていたといっても過言ではない。高度経済成長期を飾った福鉄の誇る名車は、エバーグリーンな輝きを誇りながら活躍を続けていましたが、路線自体の低床化車両への統一を図るため、FUKURAM(福鉄1000形)の導入と引き換えに残念ながら平成28年に惜しまれつつ引退。その後は西武生の車庫でずーっと雨ざらしにされていましたが、福鉄を代表する車両かつイメージリーダーとして鉄道ファンや地元民から保存を望む声が非常に大きく、クラウドファンディングで資金を募った上で再塗装がかけられ、北府駅の入口の脇に保存されることとなったものです。

福鉄200形は、新しく作られたホームと一緒に大屋根の下で保存されている。昨年に公開されたばかりというから、まだまっさらぴんのピッカピカで、曇天の空の下でもひときわの美しさを持って私を迎えてくれた。ボディに近い位置に柱が多いのが難だが、雪の多い北陸であることを考えると屋根の強度は無視出来ないですからこればっかりは仕方ないか。いずれにしろ雨ざらし雪ざらしにしてしまえば動かない鋼鉄の重量機械など簡単に腐ってしまうので、屋根付きは必須条件だろう。個人で保存している鉄道車両も日本各地にあるが、だいたい屋根がないことで寿命を縮めているものも多いような気がする。カーポートなんかと違い、鉄道車両を保護する屋根を付けることは、なかなか個人の負担ではやり切らない事でもあるのでしょうが・・・

まだこの200形203編成が現役だった頃のひとコマ。雨上がりの市役所前で。202編成はFUKURAM初代編成の投入から運用を外れ気味の中で、平日であれば!という期待を込めての福井遠征だった。202は越前武生の側線で運用を外れていたが、朝運用くらいには入ってくれるだろうと思っていた203編成が終日運用だったのが非常に喜ばしかった思い出がある。まだ市役所前が市役所前で、木田四ツ辻が木田四ツ辻だった時代の話。そうそう、現役の最後で203編成は福鉄急行色のリバイバルカラーを纏ったのだけども、純正のそれよりは若干青緑に寄った色になっていた。今回の保存に際し、その辺りの色の認識は正しく改められて、正しく「福鉄急行色」たるインディゴブルー+ベージュの色合いに戻されている。

エッチングされたボディナンバー、陰影の浮かび上がりも印象的なプレスドア。駅に止まればパタンと降りるステップを、そろりそろりと降りる乗客たち。そして武骨な連接台車。あの頃の福井の空気をそっと閉じ込めたとも思える、静かな200形の車内に等間隔で並ぶボックスシート。日車ロマンスカーの特徴ともいえる椅子のヘッドカバーは外されていたのが残念だったのだが、何から何までがいちいち心の琴線にピリピリと触れて来て、なんともまあエモーショナルな感情が沸き上がって来る。たかだか電車の車両だと言ってしまえばそれまでだけど、長電の2000だったり、地鉄の10020だったり、この福鉄200だったり、とにかくその土地に暮らす人々を運び続け、お国の言葉と四季の移ろいを眺め続け、皆に愛され続けた何かというものは、確実にこの鋼鉄のカタマリに宿っていると思うのだ。

北府の車庫の側線に留置されていた、ドイツのシュツットガルトからやって来たレトラムと合わせて。そして改めて私から語るのも野暮な、福鉄200形の生い立ちから保存に至るまでのヒストリー。3193人分の愛と、その他のこの車両に心を寄せたあまたの人々により保存に至った旨が記されている。レトラム、北陸新幹線の福井延伸に備えて冷房改造したらしいですね。早速開業日当日の観光客のイベント向けのツアー運用なんかも組まれているそうで(車内で水ようかんと羽二重餅の振る舞いがあるようです)、北府の駅を訪れる人も増えることと思います。福鉄200形の保存は、この北府駅の「鉄道ミュージアム化計画」の一環でもありました。

あの頃、200形の運転席にしがみついて、流れて行く景色を見ていたあの少年。
今はいくつくらいになったのやら。

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武生新からたけふ新。

2024年03月13日 17時00分00秒 | 福井鉄道

(元祖福井か、分家敦賀か@敦賀ヨーロッパ軒)

敦賀の鉄道資料館のボランティアスタッフの方々に、「敦賀に来たら、お昼はカツ丼ですか?」なんて言われたので、駅の近くにあった「ヨーロッパ軒」に入ってみる。あれ?カツ丼で有名なヨーロッパ軒って福井市じゃなかったっけ?と思ったのだが、敦賀にも「ヨーロッパ軒」があった。調べると、元々の福井の店から出たのれん分けが敦賀のお店で、現在はそれぞれがチェーン展開して福井全県にその存在を見ることが出来るのだそうで・・・恥ずかしながら、ヨーロッパ軒って福井の本店の1店舗しかないのだと思っていたよ。意外に嶺北と嶺南でその味は微妙に違うらしく、福井県民的にも「どっちが好みか」みたいな話で北陸トンネルを挟んでバチバチやり合っているらしい。ヨーロッパ軒のカツ丼は、明治の時代に店主の高畠さんがドイツのベルリンに渡航し、5年間の料理修行の末に持ち帰って東京の早稲田で出したものが始まりなんだそうですが、高畠さんは関東大震災で焼け出され、郷里の福井で再び店を構えて現在の店舗網の礎を築くことになります。さっき敦賀港でウラジオストクとその先の欧州に思いを馳せたばかりなのだけど、やはりこの料理自体もそういう「国際都市敦賀」を通って日本に輸入された舶来のハイカラな食べものだったということなのだろうか。

使い込まれた渋い風合いのヤカンで出されるお茶を飲みながら待っていると、細かいパン粉を付けたカリッと薄めのカツを、ヨーロッパ仕込みのウスターソースをベースにしたタレにくぐらせてドンドンドンと計4枚乗ったソースカツ丼が出て来た。粘度がなくサラッとしたタレは、やや酸味が効いていてさっぱりあっさり目かつ軽くスパイシー。桐生とか秩父とか、関東でも「ソースカツ丼」がメジャーな街ってそこそこあるんだけど、このヨーロッパ軒のカツ丼を食うと、関東のそれはどっちかというと醤油ベースの甘さの効いた「和」のソースカツ丼だったんだなと思う。今回初めてだったので、オーソドックスな「カツ丼」を頼んだのだけど、メニューを見るとメンチカツを乗せた「パリ丼」なるものもある。ベルリンからさらに欧州列車はパリに向かうわけでありますが、メンチってようはハンバーグだから、余計にメシには合いそう。ただまあ、自分は生粋の関東の人間なんで、醤油濃いめの甘っ辛いダシでタマネギと煮て卵でとじたカツ丼が好き。ソースカツ丼ももちろん美味しいけど、ちょっとツユが染みたご飯とカツとふわっとした卵と煮たタマネギの甘味みたいな、そういうマリアージュ感がソースカツ丼にはないので(笑)。

駅前の「ヨーロッパ軒」で腹を満たした後は、敦賀の駅で新しく出来た土産物屋なんかを冷やかしつつ再び特急サンダーバードの人になる。「北陸応援フリーきっぷ」は、敦賀~金沢までなら北陸本線の特急列車に乗り放題なのが実にいい。車内はこの時期修学旅行なのか課外学習なのか、ともかく中学生の子供たちだらけで阿鼻叫喚の騒ぎのため、デッキで過ごすことに。再び北陸トンネルの暗闇の中を轟々と走り抜けて嶺北に戻ると、一つ目の武生で下車。駅に新幹線新駅の開業の看板が踊るのもこの時期ならではか。ただ、新幹線の駅は現在の武生駅よりは3km程度東側の北陸自動車道の武生ICに近接した場所に開業する予定で、新幹線利用者用の大きな無料のパークアンドライドを備える越前市の交通の一大拠点となります。新幹線新駅には「道の駅越前たけふ」も併設されて、この武生駅とはシャトルバスで結ばれるらしいのだけど、どうでしょ。今の地方の交通体系を見ると、こういう展開になるとみんな新幹線駅にクルマで行っちゃって、武生駅周辺は寂れてっちゃうんじゃないかなあ・・・と思うよね。

武生で下車した理由は、久しぶりにこの鉄道・・・そう、福井鉄道福武線に乗車したかったのだ。北陸本線の特急もいいけど、自分のフィールドはこっちかなあというのはあるのでね。ちなみに、北陸新幹線の開業に伴い設置される武生市内の新駅は「越前たけふ」ですが、この福井鉄道の駅も、武生市が越前市になったことを受けて平成22年に「越前武生」駅に改称していたんですよね。同音駅名の混同を避けるため、福井鉄道が駅名をJRに譲る形で昨年「たけふ新」駅に再度改称されました。もちろん、駅名の再改称に伴う変更の費用負担はJR持ちということなので、受け入れることで車両の方向幕の更新とか、駅の看板の塗り直しとか、そういうのをみんなJRの伝票でツケ回せるので福鉄にもそれなりの旨味があったように思われる。元名鉄の方向幕、明らかに新しくなってるもんね・・・ちなみに駅名が短期間のうちに「武生新→越前武生→たけふ新」という変遷を遂げているわけですが、個人的には漢字の「武生新」に戻してもらいたかったぜ。

たけふ新を出た電車が、一駅目に停車する「北府」。きたふ、じゃなく「きたご」なのが意外な難読駅名。ここも元々西武生(にしたけふ)という名前だったのだけど、お隣の武生新駅が越前武生駅になるときに一緒に改称しちゃったんですよね。こっちは新幹線の駅ができても戻さなかったみたいだけど。西武生には福井鉄道の本社があって、そして昔っから車庫と工場があります。「西武生工場」と言えば、それこそ古い時代から地方私鉄を愛するファンには有名な名前で、福井地震でほぼ全焼してしまった車両から台車とモーターを抜いて、車体だけ載せ替えてトンテンカンと修繕したり、小型車を2両まとめて連接台車にくっつけて改造したり、いかにも地方私鉄らしい地に足のついた技術力で福井鉄道の車両を支え続けているメカニックの心臓部でもあります。

福井に向けて緩やかに右カーブする駅の向こうに、古びた検修庫と建屋に取り込まれた車両が見えて、これが西武生の工場。福井鉄道の前身である福武電気鉄道時代からの相当な年代モノなので、鉄道遺産として文化財認定も受けている。奥にあった工場も以前訪れた時はトタン葺きのボロで、なかなかな風合いを醸し出していたんですが、さすがにこちらは車両整備環境の改善の観点から3億円超の県の補助を受けて建て直されたのだそうです。北陸三県って、降雪地帯で基本的に鉄道に対する根強い信頼性があるせいか、行政が鉄道に対して手厚いですよね。

さて、そんな私が北府の駅にやって来たのは、とある車両に会うのが理由でした。
どうせここを見ているようなもの好きな貴方には既にそのネタはお分かりいただいている事とは思いますが、その顛末については次号(笑)。

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人にやさしく 夏の越前・私鉄旅その5

2014年08月30日 22時49分28秒 | 福井鉄道

(公共交通を使いましょう@北府駅)

北府駅待合室のベンチに置かれていたクッション。「丹南広域公共交通機関活性化協議会」サマのご贈呈のようですが、どこの地方鉄道も不況・過疎化・少子高齢化で厳しくなってる中、色んな地方鉄道の沿線で「活性化協議会」が結成されているのを見聞きします。一口に「活性化協議会」と言っても色々で、社交辞令的と言うか最終的に廃線への引導を渡す死神役みたいな協議会もあったりしますが(「活性化協議会作ってアレコレやったけどダメだから廃線ね」みたいな)、概ね福井鉄道沿線の行政的支援は活発な印象を受けます。

 

越前武生駅から武生市街の路地を傘さして歩く事10分、北府駅に到着。旧名は西武生駅と言い、福鉄の車庫および工場がある心臓部でもあります。以前はいい雰囲気の草枯れた古い木造の駅舎が建っていたらしいのですが、最近以前のイメージを残したまま新しい木造の駅舎に生まれ変わりました。これも沿線の行政支援の賜物なのかもしれません。福井鉄道は平成19年に財務内容の悪化による銀行融資の凍結により自主再建を断念しており、主要株主だった名鉄から沿線各市(福井市・鯖江市・越前市)および福井鯖江の各商工会その他公的機関が株式を引き取った上で、現在は実質三セクみたいな形で再建の途上にあります。要するに公共交通を私企業に任せてたら立ち行かなくなっちゃったから公的資金ぶっ込んで、昔からの株主に手を引いて貰った上で行政が支援していると言うよくある構造なのですが、どのみちこれからの地方鉄道は大半が公的支援がないとどうにもならないとは思う。支援されなければトワカンみたいに廃止になるだけなんだよな。残酷だけど。

    

当時の雰囲気を残したまま新装開店した北府駅には福井鉄道の資料館的なスペースが設置されていて、そのヒストリーや昔の急行札やサボ、廃止された南越線や鯖浦線のキップなんかが展示されています。しかし南越線とか鯖浦線ってのはとても鉄道を通すほどの需要がある地域を走っていたとは思えないのだが、そこはやはり気候の厳しい裏日本、国鉄から離れた街には冬場の交通・物流の手段としての鉄道が渇望されていたのかなと。それにしても南越線の駅名と言ったら「社武生」「五分市」「岡本新」とかいちいち渋くてたまんないっすねw

  

雨に濡れる北府駅ホーム。武生に向かって大きく左カーブした途中にあり、ホームも湾曲しています。奥に見えるのは旧西武生工場、今は北府工場って事でいいのかな?建て直された新しい検修庫の横には電気機関車のデキ3と600型、200型のトップナンバー201編成が留置されておりました。201編成に関しては連接台車を外され編成を解かれており、アーチバーのくっそ古い仮台車を履かされて静かに雨に濡れております。噂では201編成はお鉄用語で「落ちた」らしいのだが、連接面をブルーシートで巻かれた姿を見ていると確かにそうなのかなと思わざるを得ないちょいと悲しい状態。デキ3は福井鉄道唯一の凸型電機ですが、現在は本線を走る事はなく工場内の入換が主な役割だとか。600型は東山線から移籍した610型の単行用両運転台バージョンなのだが、高床車はなるべく動かしたくないし、かと言って単行は800型で間に合ってるしみたいな中途半端な状態で、貸し切りのイベント用に使われる程度の存在らしい。

 

武生行きホームから北府駅の駅舎を。駅の近くに県立高校があるようで、日中の駅の利用者はほとんどが高校生。いつでもどこでも、地方鉄道の大事なお客様はクルマを使わない学生さんですね。三々五々にホームに集まる高校生の声でちょっと賑やかになったホームにやって来た800型。

   

北府は旅客上は無人駅ですが、工場と留置線のある運転上の要衝ですから、越前武生から車両交換で回送電車が引き上げてきたり、検修庫に工場担当の従業員が向かったりと人の動きがある駅です。福井方面の本線を逆走して留置線に引き上げる回送列車、留置線からさらに検修庫へ転線するために転轍機を回す姿なんかをぼんやり見ていると、時間なんかすぐに経ってしまうな。


さっき武生に向かって行った770型が武生到着後すぐ回送で戻って来てしまったので、そうなると次の福井方面の電車は当然武生の3番線で待っていた200型になる。カーブに車体を揺らしながら北府駅へ入線する200型、どうやら今日は終日運用に入ってくれるみたい。これに乗って北府駅を後にすることにしましょう。

結局なんだかんだで1時間くらい滞在してしまったな。
200型のボックスシートに腰を下ろすと、ようやく腹が減った事に気が付いた(笑)。
次回へ続く。
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