青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

前略、橋の上より

2019年08月09日 17時00分00秒 | 山陽電鉄

(淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に@明石海峡大橋)

復活ツートンの山陽電車に揺られて、どこに行こうかとアテもなく。個人的には姫路まで乗ってってもええんやで、だったのですが(笑)、神戸から姫路まで山陽電車の普通って約2時間かかるのね。という事で明石海峡大橋を望む舞子公園駅で下車。とりあえずクソ暑い。いきなり外に出たくないので、駅ビルの喫茶店で子供たちにアイスクリームなんぞ食わせながら一休みしたのだが、何の気なしに頼んだ氷あずきがめっちゃ美味かった。「RIIA珈琲」というお店だったのだが、こういう旅のちょっとしたヨロコビみたいなものは大事にしたいものだ。

明石海峡大橋のたもとの舞子公園。橋の一部が「舞子海上プロムナード」として展望回廊のようになっています。明石海峡大橋は確か鳴門競艇に行くとき、某氏のクルマで渡ったりと何回か利用経験はありますが、自分のクルマで渡ったことはない。こっから見ると淡路島って近いよなあ。思わず「♪ホテルニューあ~わ~じ~」とか口ずさんでしまった(関西ローカル)。関西と四国・淡路のアクセスを劇的に変えた明石海峡大橋ですが、橋が出来る前は「たこフェリー」のイメージが凄く強いですよね。船にリアルなタコのイラストが描いてあんの。

展望室からは真っ青な夏の瀬戸内海、そして舞子海岸と舞子の街。山陽電車の新型車6000系がチラリと。遠く舞子の海水浴場もそこそこの人出。展望室は冷房が効いていて涼しいのが助かる。このクソ暑い中で子供を連れてウロウロもしたくないしなあ。眺めもいいし、イスもあるし、冷房が入っている部屋で観光をしながら適当にヒマが潰れるという三拍子揃った施設だ。ちょっと前に某氏がこの橋の主塔の上まで上がる見学ツアーに参加してましたけど、そこまで高さ耐性がない自分にはこんくらいの高さで十分でございます(笑)。

展望台からは、舞子海岸を走るJR山陽本線の線路もよく見える。ちょっと海岸のマンション群に阻まれるのと、当たり前だが展望室のガラスが一枚噛むので画質が落ちるのだが、大阪湾をバックに行き交う列車を撮影する事が出来ます。通過する「スーパーはくと」や桃太郎の貨物とか見付けて子供が大興奮。何気に撮り鉄スポットかもしんないね、ここ。

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30年ぶりの復活色

2019年08月08日 17時00分00秒 | 山陽電鉄

(夏空の中華街@神戸南京町)

朝8時の新幹線で新横浜を出て10時半には新大阪に着いた我々家族、初日は梅田から阪神電車に乗って神戸方面に。とりあえず阪神電車で昼前に元町に着いたので、駅近くの南京町(神戸中華街)をブラブラしつつメシでも食う事に。神戸の中華街って初めて来たんだけど、こっちは横浜の中華街をしょっちゅう使っている系の神奈川県民なのであまり感動がない(笑)。ソレを言ったらお終いなので、そんな感想はおくびにも出さず適当な店の呼び込みに引っかかりつつ早めの飲茶ランチ。ちなみに、阪神電車の元町駅は地上に出た瞬間にウインズ神戸A館なので思わず馬券を買ってしまいそうになる(笑)。そう言えば横浜の中華街も神戸の中華街も最寄り駅は「元町」なんだね。単なる偶然なのだろうか。

そして、元町で早めに食事を済ませたのはこれを見たかったから。山陽電鉄3000系リバイバル塗装。何だかんだこの手のリバイバルものにガッツンガッツンに魂を揺さぶられてしまうタチ。先月辺りから走り始めたらしいんだけど、一目見て「あ!」と思いましたよね。子供心の山陽電車ってこの色だったもの。腰回りから上がクリームイエロー、下がネイビーブルーのツートン塗装。現在現役の3000系で最古参に当たる3030Fがリバイバル色を纏うというのもなかなか気の利いた計らい。

ちなみにこの3030F、運用が山陽電車のHPに掲載されておりまして、当然今回の関西行において「あわよくばワンチャン」を狙っていた編成である事をご報告申し上げます(笑)。この日は昼過ぎに阪急三宮で折り返す運用だったため、ヨメを「神戸観光もいいわね」的な方向に誘導してわざわざ元町で早めに昼飯を食ったのは周到に準備を重ねた結果である。ちなみに、高速神戸の駅でこの編成をゲットするためにヨメと下の娘をホームに置き去りにして乗換えの階段を走った事についてはミステーク。後刻ヨメから盛大なクレームが来たことも謹んでご報告申し上げます(笑)。

沿線に海水浴場も多い山陽電車沿線、夏の行楽客を当て込んだ「海へ」のヘッドマークも見事なリバイバル版。真っ黒に日焼けしたワンパクボーズのイラストも愛らしい。このリバイバル編成、今後も季節に応じた懐かしいヘッドマークを掲示して運行するようで、沿線のオールドファンにしてみればたまらない企画でしょうね。このツートンカラーが山陽電車に復活したのは約30年ぶりなのだそうで、三宮では大勢の山陽ファンがカメラを持ってこの編成を追い掛けていました。

折り返し普通・姫路行きとして出発を待つ3030F。今回の関西行きでは「こいつを見に来た」と言ってもいいかもしんないくらいの車両だったので、ひとまず本懐が遂げられてやれうれしや。嬉々としてホームでパシャパシャと被写体に向けてシャッターを切るワタクシに対してヨメはたいそうあきれ顔。暑い中構内の階段行ったり来たりさせてしまって申し訳ない。さっさと冷房のかかっている車内に入る事に致しましょう。

昼下がりの姫路行きは、我々家族とその他ウインズ帰りのオヤジ連中を乗せ、神戸高速線の暗闇の中を走る。ふと中吊りの広告を見ると、まさにヘッドマークの「海へ」に相応しく山陽電車沿線の海水浴場の案内広告であった。須磨・舞子・明石・的形・男鹿(たんが)島。何となく七五調。瀬戸内海の海水浴場って行った事ないけどどうなんだろうね。水とかきれいなんかなあ。まあそもそも海水浴、というレジャーが今の令和の世の中でどれくらいのニーズが残っているのだろうか。こないだサザエさんで「家族みんなで海水浴に行って、海の家でラーメン食って、浜辺でスイカ割りして帰る」みたいな描写があったんだけど、ウチの子供の世代なんかではまるで察しもつかないような昭和の世界観なのであった。

霞ヶ丘で直特の通過待ちの間のひとコマ。ちなみにこの3030F、今回が最終検査という事で引退の花道を飾るべくリバイバルカラーにされたようです。検切れをもって引退するクルマにリバイバルカラーを施すのは京急が最近同じようなことをよくやってますが、餞と言う感じで粋な計らいですよね。全検は通しましたが結構ガタが来ているようで、せっかくリバイバル編成としてHPで運用も公開しているのに、不調のため車両交換になってしまうこともしばしば。きれいに塗装はされても中身は昭和44年製造という事でキャリア50年のベテラン車両、労わりながらの余生と言う感じになりそうです。

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岸辺の夕暮れ

2016年05月14日 19時00分00秒 | 山陽電鉄

(アルミカークラシック@大塩駅)

大塩駅に停車していた3000系のトップナンバー編成。神戸方から【3000+3001+3600】のナンバーで組成されたこの編成は、唯一デビュー当時の前面細帯にリバイバル塗装された編成でもあります。山陽電車のアルミカー・クラシックと言う事ですね。1次車の落成は1964年、昭和39年ですから東京オリンピックの年。既に営業年数50年を超えた車輌であるにもかかわらず未だ第一線を守り続けているのは、やはり腐食の少ないアルミ製車体の為せる業なのかもしれません。

 

姫路・網干と山陽電鉄西のターミナルを巡った後は、ゆっくりと神戸方面へ戻りながら撮影地を巡って行く事にします。飾磨駅の隣にある妻鹿駅は、生野の銀山を源流とし、播但線に沿って流れる市川のほとりに佇む小駅。基本的に山陽電鉄の橋梁はプレートガーターなので撮りやすいですね。安易なアングルとは分かっていながらも、ついつい橋のたもとでカメラを構えたくなる気分をご理解いただきたく(笑)。

 

お次は高砂駅の手前の伊保駅付近でワンカット。法華山谷川の河口にある船溜まりを横目に走る阪神車の直通特急。埋め立て地に多くの工場が林立する播磨臨海工業地帯ですが、工業地帯が面する海は魚影豊かな播磨灘。まだまだ漁業を営む人々も多く、伊保をはじめこの辺りの漁港では、春のこの時期水揚げされるイカナゴの稚魚(シンコ)を醤油とザラメで甘辛く煮付けた「くぎ煮」が名物。関東でも小女子(コウナゴ)の名前で佃煮がよく売られてますよね。


夕陽を浴びて伊保の街を行く3050系の4連。川のほとりの古びたコンクリートの建物はキッコーマンの高砂工場。高砂から伊保にかけての海岸沿いはかつて大日本帝国陸軍の砲兵工廠として使われていた広大な埋め立て地ですが、そこに戦後は国鉄の高砂工場が開設され、昭和59年の国鉄高砂工場撤退後は神戸製鋼所やサントリー、三菱重工など日本を代表する企業がひしめき合う工場地帯となりました。

  

高砂駅を降り、再び夕暮れの加古川橋梁へ。夕陽がバッチリ線路に当たるかと思ったんだけど、ちょっと時間が遅くて到着したときは既に薄暮状態でした。加古川のほとりに立つのは三菱製紙の高砂工場。製紙産業って水いっぱい使いますからね、たいていこんな感じで大きな川のそばに立っていることが多い。暮れていく高砂の街、川面にシルエットを映す、スリーダイヤモンドのプラント。橋を渡っている山陽電車が見えますでしょうか…


県道の相生橋を渡り、尾上の松駅に着いた時にはすっかり日が暮れてしまいました。結局川と鉄橋ばっかり撮ってた気がする山陽電車の旅。藍の空の下に明かり灯る駅に、山陽のアルミカーが滑り込んで来ます。新開地行きの普通列車に乗り込み、ドカッとシートに腰を下ろすとさすがに疲れが。朝からずーっと動きっぱなしだったもんなあ。


直通特急の通過待ちでぶらりと出てみた東二見駅のホーム。山陽電車の中枢である東二見車庫と工場建屋が見えます。山陽電車で唯一心残りだったのは、東二見の車庫をゆっくり見る事が出来なかったって事だあね…。さすがにね。もう暗くなっちゃってるからね。遠くから検修ピットに入っている3000系を眺めるのみであります。
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「鐡」の城下町を往く

2016年05月13日 19時00分00秒 | 山陽電鉄

(いつもあなたのそばに@山陽そば飾磨店)

飾磨駅のホームの神戸方にある山陽そば飾磨店。駅の立ち食いそば文化ってのは関東のイメージがありますけども、どっこい関西でも阪急そばとか南海そばとか民鉄系列の立ち食いそば屋さんってのはポピュラーなもんらしいです。そして山陽電鉄も数は少ないですが立ち食いそば店を経営してまして、普段使いのお店として根強い人気があるんだとか。この山陽そば、「スルKAN」の割引券を使うと1割引きで食べられたりします。


山陽姫路から戻り時刻は15時少し前。正直お腹は空いてましたのですが、旅を進める上で食事が後回しになってしまうのがアタクシの悪いクセ。暖簾をくぐった店内は逆L字型のカウンターで、案外と広い厨房の中でおばちゃん2人がキビキビと働いていました。注文したのは「ぼっかけ丼セット(520円)」。牛のスジ肉をこんにゃくと甘辛く煮込んだ神戸長田の名物「ぼっかけ」、ご飯の上に甘辛い牛スジ肉と温泉卵の取り合わせはまずかろうはずがなく、付け合わせのソバは袋入りのふやふや茹で麺でコシもへったくれもありませんが、なぜか麺の主張のなさが関西らしい薄口のツユに合ってそこそこ美味しかったり(笑)。


飾磨駅は、本線の上下線が真ん中の頭端式の網干線ホームを挟み込む形の配線。中線の網干線車両は両側の扉を開け放って停車するので、上下どちらの電車からもスムーズに乗り換える事が可能になっています。網干線に入っているのは3000系列の3連ですが、ワンマン対応になっています。3210とはカウントダウンのような車番だ(笑)。


走り出した網干線の山陽網干行き。北に向かう本線と分かれる場所には飾磨車庫があって、山陽電車の姫路方の電留線として機能しているようです。3000系列のパノラミックウインドウから眺める網干線の車窓風景。最近は使われなくなったデザインですけど、国鉄の113系なんかに代表される1960年代の鉄道車両の典型的な流行でした。


飾磨から2つめの夢前川駅の手前で、電車は夢前川の鉄橋を渡ります。河口方面に見える大きな煙突群は新日鉄住金の広畑製鉄所。新日鉄が住金と合併する前の「新日鐵広畑」と言う名前のほうが通りがいいでしょうかねえ。新日鐵広畑と言えば社会人野球の名門チームでして、個人的にはロッテに来たキャッチャーの定詰と薮田の二人の印象がとても強いですね。定詰は「雅彦」と言う名前だけで応援歌が「ギンギラギンにさりげなく」だったねえ。マッチかよ。

 

鉄鋼生産の縮小により全盛期に比べれば大きく規模を落とした広畑の製鉄所ですが、往時は大勢の工員さんがこの駅を使って工場へ勤めに出ていたんだろうな。そんな事を思い起こさせるような夢前川駅の駅舎は、大きく広い駅の出入口が印象的。駅の裏には「製鉄記念広畑病院」という新日鐵系列の大きな病院があり、今でもこの地域は一企業によって地域住民のインフラが支えられるといういわゆる「企業城下町」が形成されていることが分かります。

 

飾磨の駅から約15分で電車は終点の山陽網干駅に到着しました。播州平野の西端を流れる揖保川の河口に開けた街で、明石市から始まる播磨臨海工業地帯もこの辺りで終わりになります。地図で見ると網干の街ってのはもう相生の手前くらいまで来ているので、だいぶ西まで来てしまったんだなあと言う感じ。街の南にはダイセル化学の大きな工場があり、街の産業を支えています。この駅は関西圏の大きな私鉄のネットワークの西の端に当たる駅で、もちろんスルKANで訪れる事の出来る最西端の駅でもあります。


網干線は、太平洋戦争に向けて国際情勢が風雲急を告げる昭和15年に開通した路線ですが、やはり国防の観点からも広畑の製鉄所を中心とした沿線の工場への工員輸送は重要視されていたようです。昭和14年に日本製鉄によって開設された広畑製鉄所は、戦後は富士製鉄広畑製鉄所として高度経済成長期の日本のインフラを支えました。今や粗鋼生産は安価な中国製に取って代わられる時代となり、日本の鉄鋼業界も合従連衡を繰り返し縮小再生産の時代が続いています。正直鉄鋼が産業を牽引する時代はとうの昔と言ったところでしょうが、網干線は今日も単線15分ヘッドでゆるゆると「鐡」の城下町を走り続けるのであります。
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近くて遠い白鷺城

2016年05月12日 19時00分00秒 | 山陽電鉄

(線路は続く@別府鉄道廃線跡)

土山駅から郷土資料館までは「であいのみち」として整備されている別府鉄道土山線の廃線跡。ここから先、旧別府港駅までの区間は普通に市道に転換されておりその遺構を偲ぶものはあまりありません。資料館から続くこの市道を本当であれば歩いて別府駅に向かうべきなんでしょうが、手元のスマホで調べると、歩くと30分以上かかるらしい…平らな道みたいだけど、ちょっと歩くのはしんどいので、贅沢してタクシーを呼んでしまいました(笑)。ちなみに呼んだタクシーはこちら。廃線となった別府鉄道は、現在でも親会社の多木化学の関連企業としてタクシー部門で地域の交通を支えています。


迎えに来た関西弁のおっちゃんのタクシーに乗り、廃線跡を別府鉄道(のタクシー)でなぞりながら約10分で山陽電鉄の別府駅へ。屋根上のぼんぼりに輝くは多木化学の象徴である神代鍬のエンブレム。多木化学は自らを「肥料王」と名乗った多木久米次郎がここ別府の地に興した肥料会社です。多木の化学肥料は全国の農家の生産性改善に大きく貢献、現在はバイオを含め播磨臨海工業地帯を代表する化学メーカーとしてこの別府地区を中心に大きな影響力を持つ上場企業となりました。

  

山陽電鉄の別府駅は、別府鉄道の土山線と野口線を跨ぎ越すためだけに、山陽姫路以外では線内で唯一高架上に作られた駅でもあります。高架上で山陽の直通特急同士がすれ違い。駅のホームの一部分に架道橋として残るのは、下を別府鉄道の野口線が通っていた名残。路盤の跡はこちらもきれいに整備されていますね。山陽と別府鉄道は直接の接続はしておりませんでしたが、別府駅の北側100m程度の場所に別府鉄道の別府口(べふぐち)駅があって、歩いて乗り換える事は可能だったらしい。本数も少なく不便なダイヤだった別府鉄道の野口線ですが、別府の街から加古川の市役所がある野口へ繋がっていたんで、廃線まで細々とですが需要はあったそうです。

  

別府駅から普通電車に乗り、お次は高砂駅で途中下車。駅は2面4線で緩急接続がありまして、直特を行かせた普通電車がゆっくりと駅を出て行きます。ここも別府の街と同様、播磨臨海工業地帯の一角を占める高砂市の中心駅。駅の地下道にあった田中音楽堂の看板、これどう見てもノムさんにしか見えないんだが(笑)。

 

神戸の街から姫路に向かって走る山陽電車は何本かの大きい川を渡りますが、高砂駅の手前には線内最長の橋長を持つ加古川橋梁(414m)があります。架橋された大正12年当時のままの姿を残すプレートガーター橋で、作業員の退避場所が間隔を空けて付けられているのが特徴。そのため足元はスッキリ抜けそうでいて撮るのには若干気を遣う橋でもありますね。ここで今一度新車の6000系を…別に狙ってる訳でもないんだけど、ついつい手の出る被写体です(笑)。


以前はこのアングル(橋の南側)に山陽電鉄と並行して国鉄高砂線の橋が架かっていたそうです。高砂市の臨海部にあった工場への貨物取扱と国鉄高砂工場への車両の搬出入を中心とした路線でしたが、昭和59年の廃止後完全に撤去され今は影も形もありません。山陽本線が内陸部を通っているせいで、この辺りには播磨臨海工業地帯へ向かういくつかの鉄道路線がありましたが、前述の別府鉄道、この国鉄高砂線、そして姫路から飾磨港へ向かっていた国鉄播但線の末端区間といずれも同時期に廃止となっています。昭和59年の国鉄貨物の一斉合理化が原因かと思われますが。

 

高砂から再び直通特急に乗り込み、一路終点の山陽姫路へ。途中の飾磨で分岐する網干線がありますが、とりあえず本線の完乗を優先します。乗車したのは5030系の山側1列・海側2列の変則転換クロス車。姫路の手前でちらりと車窓に見えたコンクリートの構造物は、ひょっとしたら手柄山に向かっていた姫路市営モノレールの遺構だったり??

   

到着した山陽姫路駅。ちょっとホームが細くてせせっこましいかな、と言う感じはしますけども、大屋根の下の4面4線の櫛形のホームは関西の私鉄電車のターミナルの雰囲気たっぷり。関西の私鉄はどこも創業当時から国鉄とは独立した独自のターミナルを持って真っ向勝負を挑んでいるのが特徴的ですね。駅の上には系列デパートの山陽百貨店、ゴールデンウィークと言う事もあり、兵庫県内第二の都市である姫路の街もなかなかの賑わいです。駅前をひっきりなしに通る神姫バスが、ここが播州の中心都市である事を感じさせてくれます。


山陽姫路駅前の横断歩道から見る姫路城。そう言えば姫路に来たのは大学時代にみんなと旅打ちで姫路競馬場に行って以来になりますなあ…(笑)。約20年ぶりか。あの時はまだディーゼルだった播但線に乗って野里の駅から競馬場まで歩いて行ったんだっけね。当時から姫路競馬って開催数少なかったんで日程合わせるの大変だったんだけど、3年前から開催すらなくなったらしいね。自分が行ったときはアラブの補助馬の重賞をやってた記憶がある。フクパーク記念だっけ?

その時も姫路城は競馬場帰りのバスの車窓から見るだけだった記憶があるのだが、約20年ぶりの姫路もお城は山陽姫路駅前からチラリと見ただけに終わる(笑)。日本の名城・白鷺城をないがしろにして非常に申し訳ない(笑)。また20年後くらいに来れたらそん時は城まで行ってみようと思うw
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