青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

うつろう、正しき、日本の四季よ。

2023年08月26日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(復活の交換駅@法華口駅)

国鉄北条線から北条鉄道に至るまで、起点の粟生から北条町までの13.8kmに交換設備が一つもなく、全線1閉塞で運行を続けてきた北条鉄道。片道30分程度の道程とは言え、全く交換場所もないので列車の増発も出来ないし、北条町発/粟生発もそれぞれ列車間隔は詰められて約一時間くらいが限界。日中はそんくらいの間隔でもいいけど、朝のラッシュ時間も一時間間隔では、さすがに乗客の利便性が図られているとは言えない状態にありました。そのため、2020年に同線のほぼ中間に当たる法華口駅に交換設備を整備。列車の増発が可能になっています。

元々、国鉄時代は交換駅だったらしい法華口の駅。今でも相対式のホームの跡が残されているのですが、交換設備は現駅舎のホームの途中からレールを分岐させて、北条町寄りに改めて新設されました。交換設備と閉塞に連動した信号システムは簡易的に作られていて、列車を運行する場合はICカードを2つ(北条町~法華口・法華口~粟生)用意し、この法華口の駅でお互いの運転士が受け渡し用に作られた専用通路を使ってカードを交換。それぞれが交換したカードをICカードリーダーにかざします。ICカードによる通信を北条町駅の指令所が確認して、それぞれの方向の信号を青にする事で、進路が開いて進行が出来るようになっています。

通常時は日中にここで行き違いはありませんが、この日は「カブトムシ列車」の運行があったため、法華口での交換シーンを何度も見る事が出来ました。カブトムシ列車の運転士氏が手に持っているのがおそらくICカード。ここまで走って来た北条町行きの運転士氏から「粟生~法華口間」のICカードを譲り受け、鉄柱に取り付けられた読み取り機に読み取らせるのですが、この閉塞方式は「票券を持っている列車しかその区間に入れない」といういわゆる「票券閉塞式」(この場合はICカードが票券)の一種。本来であれば、現場の駅係員がお互いの運転士の通票を受領して、駅係員を介して受け渡しを行うのですが(小湊鐡道の里見駅でやってるタブレットによる票券閉塞式がそのパターンですね)、北条鉄道では無人駅の法華口駅に運転要員を置くことはせず、票券の確認作業を「それぞれの運転士が受け渡したICカードを読み込ませ、北条町駅の指令所で確認する」ことで処理する形にしているそうです。この方法を「票券【指令】閉塞式」というそうで、日本ではここでしかやっていない閉塞方法なのだとか。

めでたく交換設備の復活した法華口駅。ホームは移設されましたが、それまでの駅舎はそのまま使われていて、ここも古いながらも美しい、いかにも日本のローカル線だなあ!と思うような端正な佇まいの駅舎が現存しています。駅員さんこそおりませんが、駅舎の中には「Mon Favori(モン・ファボリ)」という名前のパン屋さんが入店していて、地域の活性化に一役買っています。勿論鉄道を使わない人でも、駅前の駐車場に車を停めてパンを買う事も可能。

キレイにリフォームされた駅舎と、パンの香り漂う待合室。駅務室はパン工房と陳列棚、出札口はレジになりました。次の列車までの待ち時間、折角なので買って食べてみましたが、米粉を使用しているのか、今流行りのモチモチ感が強くて風味がよいパンであった。播磨下里でゆで卵、法華口で焼きたてパン。ローカル鉄道を巡る旅は、目で見て愛でるだけでなく、風土を味わう口福の旅。地域の交流の拠点として、鉄道利用の促進のために、まずは駅を訪れる理由を作り出すこと。最近はJR東日本と日本郵政が駅の活用を目的に連携協定を結んだなんて話もありますが、荒廃した無人駅を無くすための草の根の活動は、意義ある取り組みでしょうか。

真夏の空に雲浮かぶ中、真一文字に草の道を走りゆく播州の小鉄道、北条鉄道。短い路線ながらも、その沿線風景とホスピタリティは、豊穣たるもの。加古川線沿線の盲腸線って、高砂線と鍛冶屋線が廃止、三木鉄道が三セク転換されたけど廃止で、結局残ってるのって北条鉄道だけになってしまいましたからねえ。これからも末永く存続に向けた取り組みと活動が実を結ぶよう、その動向に注目したい路線になりました。何より、思いっ切り夏を吸い込めたのが良かったなあ!って思いましたね。

日本の正しい夏があった北条鉄道。四季が薄れゆく昨今だからこそ、夏が過ぎれば正しく秋があり、正しく冬が来て、そして正しく春が来ること。四季の巡りの尊さに、思いを馳せます。

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白砂利の 瞼に見えた 白昼夢。

2023年08月24日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(書き文字に歴史ありて@播磨下里駅)

北条鉄道ぶらぶら旅。お次は網引から三つ戻って播磨下里駅。ここの駅もたいそう古い播州鉄道時代からの年代物の木造駅舎が残されている。そしてその駅の壁に掛けられている駅名標の年代モノっぽいところは凄い。何度も書き直されては使われているものと見えて、下に右書きの駅名が透けて見える。右書きって事は相当昔なので、これも開業当時からのものなのかな?と思ったのだけど、この播磨下里駅、開業当時は播鉄王子(ばんてつおうじ)駅という名前だったそうな。なにそのカッコいい駅名。ハンカチ王子とか青汁王子みたいじゃん(笑)。

播磨下里の駅前。砂利敷きの車寄せに渋焦げ色の木造駅舎。自動販売機が少し無粋ですが、この時期コイン一つで水分が摂取出来るシステムというものはたいそうありがたいものです。焼けつくような真夏のトップライトが燦々と降り注ぐ駅前広場は、白い砂利に光が跳ね返って非常に照り返しがキツく、暑さでぼうっとする頭の中で白昼夢のように見える。先ほど網引の駅で、鶉野飛行場と特攻隊のお話なんかについてスマホでポチポチと調べていたものだから、こんな暑い夏の日はどうしてもこの駅からも兵隊に取られて出征して行った人が居たであろうシーンだとか、駅前にラジオを置いてみんなで首を垂れながら聞いた終戦の玉音放送だとか、そういう「どこかで見たような太平洋戦争モノの何か」が走馬灯のように頭の中を去来して、タイムスリップに陥ったようになったのでありました。

播磨下里駅前広場の奥にある農家のお店「ぬくもり亭」。北条鉄道を応援する有志の方々によって運営されているようで、近郷近在の農産物や雑貨、お店の中では持ち帰りのスナックフードや軽食も取れたりします。駅前にボーっと突っ立ってるとどうにも倒れそうなくらいの暑さなので、次の列車が来るまでお店に避難させてもらってアイスコーヒーなんぞをいただく。何か食べてみようかな?と思ったのだが、まだお昼ご飯の時間には早過ぎるので、卓上のゆで卵を一つ貰って食べてみるとこれが滅法美味い。壁に貼られた案内書きを見てみると、どうやら近所の養鶏場で獲れたタマゴで作っているものらしいのだが、半熟のゆで加減と塩味のつけ加減といい絶妙であった。たかだかゆで卵でそんなに感動する事もないと思うのだが、もし播磨下里の駅に立ち寄ることがあるのなら、ゆで卵を食べて欲しい(笑)。

今は1面1線の単式ホームだけの播磨下里の駅ですが、ホームの反対側にはホームらしき石積みが残っていて、かつては列車の交換も出来たのだろうか。それとも、小規模な貨物を積み下ろす貨物ホームの跡だったりするのだろうか。なんとなーくホームの向こう側の平地にかつては農業倉庫とかあったっぽいですね、という感じ。過去の文献を紐解くと、播州鉄道時代から北条線は播州織という織物や沿線の農産物の出荷がメインの貨物輸送が行われており、そう思うと、行き止まりの側線と貨物ホームに、有蓋車が1両2両繋がれて放置されているような景色が見えて来た。なべて私の一人の旅は、考察・推察・妄想で成立しているのだなあと思う。

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鎮魂す ああ白鷺の 大翼や。

2023年08月22日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(緑のトンネル@田原~法華口間)

北条鉄道、粟生から北条町の約15kmを、機織り型でウロウロ。線路際に展開するにはあまりにも暑く、そして当初に目論んでいたレンタサイクルが借りられなかったという誤算もあり、ある意味腰を据えて駅撮り&車内撮りに勤しむこととする。起点から終点まで一貫して平板な北播の平野を走る北条鉄道、車窓のアクセントは乏しいのですが、ほんの一瞬、法華口の駅から田原の駅の間で涼やかな森のトンネルを抜ける。大きな川も渡らず、大きな山も越えない北条鉄道ですが、ここが唯一、沿線で一つだけのトンネルじゃないかな。

夏の日差し降り注ぐ網引駅のホーム。加古川側の起点である粟生の駅から一つ目の駅。車輪が削ったレールの鉄粉がしみ込んだ赤茶けたバラストとホームが、強い日差しに焼き付いている。網引と言われて、海辺でもないのに何の網を引くのか?と思うような駅名だが、昔々、この辺りに魚がよく獲れる沼があって、網を引く漁師の姿が引きも切らなかったことによるそうだ。六甲山系から西側の播州平野は、降水量が少ないせいで灌漑用のため池の類が非常に多い。そんな池や沼で獲れる魚、フナだのコイだのくらいしか思い付かないけれど、そういうものでも昔は農村の貴重なタンパク源だったのでしょう。

むわっとした夏の風が吹く駅のホームの片隅で、老人がゆっくりと煙草に火を付けて、美味そうに吸っている。夏の太陽は照ったり翳ったり。その光に合わせて駅前の大きなイチョウの樹の影が、駅前のアスファルトに現れたり消えたり。この立派な大イチョウ、雰囲気からしたら大正4年に播州鉄道として開業した当時からのものだろう。私鉄の播丹鉄道として開通した加古川線は、国鉄に買収されるまで厄神からの三木線、粟生からの北条線、野村からの鍛冶屋線といくつもの支線を伸ばしていましたが、現在残っているのは北条鉄道だけ。

そんな網引の駅前に立っている小さな看板が、78年前の出来事を静かに伝えています。昭和18年、「姫路海軍航空隊」の訓練用として、現在の法華口駅の北方に当たる静かな北播の農村に鶉野(うずらの)飛行場が開かれました。時は戦局に日本軍の敗戦の色濃く、本土決戦も視野に入りかけていたであろう昭和20年の3月、テスト飛行を行っていた局地戦闘機「紫電改」が、この網引駅付近で築堤に引かれていた北条線のレールを引っ掛ける形で墜落。墜落直後の剥がれたレールに、粟生方面に向かっていたC12牽引の旅客列車が突っ込み脱線転覆、死者12名、負傷者104名を出す惨事となったのでありました。「紫電改」は、太平洋戦争末期に川西航空機で製造された本土防衛のための戦闘機ですが、日本海軍では最も優れた戦闘機として評価の高い戦闘機でした。飛行場に隣接していた川西航空機鶉野工場は、戦後の財閥解体により航空機部門が「新明和工業」、自動車部門が「明和自動車工業」に分社化。明和自動車工業は、後にダイハツ工業に吸収されたものの、新明和工業は国産航空機であるYS-11の製造をはじめ、今でも飛行艇や航空機の部品を自衛隊や民間航空会社に提供しており、日本の航空産業の中核を担っています。

姫路海軍航空隊では、太平洋戦争末期に「白鷺隊」という特攻隊が組織されました。特攻作戦・・・なんて言うと、鹿児島の知覧や鹿屋、福岡の大刀洗など、九州方面が主力のイメージがあったのですが、その特攻隊を組成したのは、この白鷺隊のように全国から集められた航空連隊でした。この北条線の事故からおよそ一ヶ月後の昭和20年4月、特攻に参加した白鷺隊は、九州や台湾の飛行場から作戦に順次投入され、60数名の隊員がその命を落としています。

夏の青空が広がる網引の駅。こんな北播の片隅にも、戦争の爪痕と歴史が眠っています。

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私の心は夏模様。

2023年08月20日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(少年時代@北条町~播磨横田間)

夏を音楽で語るならば、「夏が過ぎ風あざみ・・・」と歌った井上陽水の「少年時代」を思い出す人も多かろう。だが、歌詞冒頭にやって来るこの「風あざみ」という言葉がずーっと頭に引っかかってはいた。風?あざみ?なんとなく、なんとなくだけど、アザミ(薊)の咲く夏草の道を麦わら帽子の男の子が駆けて行くような、そんな夏を想像していたのだが、ひょんなことからこの歌詞がやはり植物のアザミを意識して書かれたものであることを知って、我が意を得たりと思ったものだ。北条町を出た列車は、そんな井上陽水が奏でる夏のような世界の中を走って行く。ちなみに陽水自身、この風あざみ、という言葉はなんとなくのフィーリングの表現で出て来た造語なのだと語っている。元々、彼の作詞はフィーリングと語感とリズムで音楽に乗っけたような造語がたくさん出てくるので、あまり驚きはしなかったのであるが。

最初は車窓から沿線を軽くロケハンして・・・なんて思いつつ北条町を出て僅か5分程度、車窓に流れる圧倒的な夏に居ても立ってもいられず、思わず一つ目の駅・播磨横田の駅で下車してしまう。待合室だけが妙にオシャレなガラス張りに改築されていて、地域住民のギャラリーのようになっていた。勢いだけで降りてしまったので、ここで涼んで待てるのかと思いきや、中はエアコンの効きが悪くてムワムワと蒸し暑い。草いきれと稲田を渡る風だけが吹くホームで一人佇んでいると、待合室の大ガラスに、播州の正しき夏がシンメトリーに映り込んだ。

「おー、兄ちゃん、今日は立ってるだけで暑っついのぉー」

いつの間にやら現れた、初老の保線のおっちゃん。この暑い中、当然ながら安全帯と長袖長ズボンで、流れる汗を拭いながら枕木に貼られているオーナープレートを一生懸命ブラシで磨いている。枕木一本一本をオーナーに託し、寄付金を供託してもらうという枕木オーナー制度。地方のローカル私鉄や三セクでもよくある取り組みである。

「折角やってもろて、見に来て汚れてたらがっかりするやん」
枕木に貼られたオーナープレートを磨きながら、初老のおっちゃんが言う。
「AIの時代に、真夏にこんな手作業や!兄ちゃん、何か上手い方法考えてえな!」
そう言っておっちゃんが笑った、播磨横田の夏景色。

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夏たけなわの、虫の知らせ。

2023年08月18日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(小私鉄の終着駅@北条町駅)

北条鉄道の終着駅・北条町の駅を傍らの踏切から遠望してみる。旅客の着発線が1面1線あるほかは、安全側線代わりの留置線が一本と、ホーム裏に修繕作業用のピットが1線あるのみの非常に小ぢんまりした設えである。留置線とピットで同じ形のNDCが3両寛いでいますが、その他に1年前にJR秋田支社より導入した国鉄型のキハ40が1両在籍しています。このキハ40の導入効果で、鉄道ファンには俄然注目度の高まった同鉄道。どうやら週末はキハ40の終日運用になるケースが多いようなので、私もそこら辺の走行シーンを含めて乗り撮りしたいな・・・なんて希望もあってやって来たところだったのですが、この日は朝の3往復で上がりという運用になっていて、どうやらもうすぐ粟生からやって来るキハ40が到着即入庫→車交でNDCのフラワ2000になっちゃうという全くツキのない運用。一応スマホで調べたらちゃんとHPに書いてあったのだけど、すいません。そこまで見てませんでした(笑)。

しょうがないのでこの日の最後のキハ40の運行を写真に収めるべく沿線へ。北条鉄道、レンタサイクルの貸し出し&サイクルトレインの運行をしているので、窓口の係員氏に自転車を貸してほしい旨を申し出ると、「すいません、今日イベントで貸し出しやってないんですわ」というつれない返事。これもよく見るとHPに書いてあったので全く文句は言えないのであった。事前準備と情報が空っぽでどうしようもないのだが、ひとまず暑い中をあまり歩きたくもなく、北条町の駅から近い四種踏切でパチリ。猫の目のように変わる雲の流れで直前まで日が差していたのだが、列車が来るときは日差しが遮られてしまった・・・いつもなら憤慨するところなのだが、なんとなく流れからそんな気がしていた。何をやってもダメなときはダメ、という見本のような一枚。四種踏切を囲む、真っ赤なカンナの花だけが夏らしさを添えてくれました。

北条町の駅の待合室に飾ってあったキハ40系の導入記念ヘッドマーク。ちょうどこの頃、キハ40の故郷であった東北は秋田を豪雨が襲っており、市内も冠水で大変な被害を受けたニュースが流れていました。なまはげのヘッドマークに故郷を案じる北条鉄道のキハ40、現状では秋田車両センターにいた頃の五能線カラーでそのまま走っていますが、個人的には播州のローカル色豊かな田園地帯を走る加古川線系統の路線は、キハ30とか35が走っていた古き良き時代の雰囲気に合わせて、いわゆる朱色の首都圏色(タラコ)にペッタリ塗ったほうが合うと思うんよね。そんでもって、少しディーゼルの排煙で煤けて来たくらいの頃合いがちょうどよく似合うのではないかと。そもそも加古川線系統、播磨臨海工業地帯で働く労働者たちを運ぶために、キハ30とか35みたいなロングシートの近郊型気動車のイメージが強かったのですが、キハ40とか47の稼働実績ってあったんだっけ??

折角来たのだしここまで来てキハ40が走らんから帰る、という選択肢もないので、気を取り直して窓口にて一日フリー切符を購入。ホームにはキハ40に代わって、側線に置かれていたNDCが出て来た。「スズムシ列車」のHMを付けているのだが、どんな列車や!と突っ込んでみたところで、網棚の上の昆虫箱にスズムシが入っているというマジでそのまんまのコンセプト。スズムシ、DCのエンジン音に負けずと鳴いてくれるのだろうか。ちなみにホームに続々子連れのファミリー層が集まって来たのは、このスズムシ列車の続行で出されるイベント列車「カブトムシ列車」に参加するためらしい。どんな列車や!と突っ込んでみたところで、やはり車内に大量の昆虫箱に入れたカブトムシと戯れるというそのまんまのコンセプトの企画。小学生のお子様まで、フリー切符&カブトムシ一匹お持ち帰りで1,500円。結構伝統のイベントらしく、今回で23回目の運行だとか。

いずれにしろ北条鉄道、虫好きが過ぎる。

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