青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

いつものように、普段通りに。

2024年01月22日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(マイ・ホームタウン・トレイン@大宮駅)

日が暮れて、夜の帳の降りた大宮の駅。8111Fが、家路を急ぐ乗客たちの待つホームにゆっくりと入線して来た。東武野田線の大宮駅のホームは、串型の行き止まりの1面2線。昔っから大宮駅の一番東側にあって、ずーっと変わらない佇まい。そういう意味では、勝手知ったる風景だろうか。乗客の方も、特に変わったことはないような素振り。復帰してからの姿もすっかり馴染んでいるのか、それとも普段使いの人々はいちいち車両の動向など気にしないのか。逆に言えば、何の不思議なくいつものように普段通りに淡々と乗客を運ぶその姿が、東武鉄道を代表する通勤型車両としての矜持なのかもしれない。それでも、たまーに全くテツ要素のなさそうな若い女性が、あっ、なんだかいつもと違う珍しい電車だ!レトロな色遣いでカワイイ!とでも思うのか、スマホにその姿をパシャリと一枚収めて行く姿が見えたりして、それも微笑ましい。

大宮に到着した電車は、折り返しのインターバルを僅かに取って七光台行きへ。この日の8111Fのラスト運用で、七光台到着後に検車区へ入庫となります。運用に復帰してから約3ヶ月、何度か故障を起こして運用打ち切りになったりとトラブルはありましたが、今のところ致命的な故障には至っていません。すぐに本線復帰できる程度の軽微なものだったようです。野田線の運用は、一度入ってしまうと長距離かつ終日のハードなものが多く、老体に鞭打っての奮闘となっています。8年ごとに行われる全般検査を施工しての入線とはなっていますが、本来であれば東武博物館の動態保存車両という位置づけで一線からは引いた車両なので、それなりに気を使っての運用となるのでしょうね。

我が家からは都内を挟んで反対側の位置にある野田線ですが、これからもちょこちょこ活躍の様子と無事を確認しに訪問してみようと思っています。
次の時は、柏の珍来でラーメンでも食べたいねえ~。

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還暦が運ぶ、成人の誉れ。

2024年01月20日 21時00分00秒 | 東武鉄道

(カッチリ駅撮りで・・・@春日部駅)

午後になってすっかりどん曇りを引き当ててしまったので、夕方便は大人しく春日部駅の大宮方で駅撮り。野田線の駅撮りとしては有名な場所だそうですが、島式ホームの広いところで割と安全に撮れるのでいいですね。この日も曇天にも関わらず白レンズ持ちの親子連れが撮影を楽しんでおりました。ホームドアの設置の進展や、撮影者の殺到による安全面や一般乗客への影響などの観点もありますし、そもそもの運転士氏の個人情報への配慮から、この手の駅撮りって文化も白眼視されてはいますけれども、まあ鉄道会社や一般客のご迷惑にならない範囲であれば・・・という気がしないでもない。最近の鉄道写真撮影は、「もう無理だよ」というキャパでも構わず撮影に飛び込む見境のない撮影者側の撮影態度に問題があって。オーバーフォトリズムですね。

8111F、沿線撮りではもう露出も望めないので、改めてゆっくりと「乗り」で味わってみる。車内の風景も、今風のドア上でインフォメーション用のビジョンがビカビカと情報を垂れ流しているというノリではなく、中吊りとか壁広告とかが似合いそうなそんな雰囲気。もっとも、車内の広告のスペースには東武鉄道の主催する野球大会の参加チームと結果みたいなのが貼られているだけで(だから「東武鉄道杯メモリアルトレイン」なんですが)、これで昔の「週刊新潮」とか「アサヒ芸能」とか鎌ヶ谷の霊園の広告みたいなのがぶら下がってればもっと雰囲気出たのかもしれません(笑)。と思いきや、車内の片隅の座席に放り捨てられていた「大宮競輪」の出走表!1月は開設記念やってんだね大宮競輪・・・こう、首都圏の外郭を回る電車は武蔵野線のみならずギャンブル電車的な側面があって、それもまた沿線のイロなのであるが、ネット投票全盛のこの時代に出走表使って現場で打ってるオッサンとか希少種なんで大事にして欲しいねえ・・・。

夕陽を浴びて走る電車と車内の風景。おりしもこの週末は、成人式の時期でもあった。車内を鮮やかに彩った振り袖姿が、ホームに花を咲かせる。還暦の長老が、成人式帰りの新成人を送り届けていた。ちょっと調子に乗ったスーツ姿の男連中に、ちょっと眉をひそめながら昔話に花を咲かせる女性陣。そんな光景も、東武沿線の時代の移ろいを眺めて来た8111Fならではの姿だろうか。「今は成人って18歳なんですよ」なんて長老に教えたら、驚くだろうな。

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越すに越されぬ、利根運河。

2024年01月17日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(水運の歴史と冬ざれと@利根運河)

午後になってすっかり曇りベースの東葛地方。東武野田線を、運河の駅で降りてみる。「運河」って何ともそのまんまの駅名だよなあ。で、運河なんてどこにあるんだ!って遠来の人は思うのでしょうけど、ちゃんとあるんです。駅の隣りを流れる利根運河。江戸時代に完了した利根川の東遷事業により、銚子から利根川を遡行し、江戸川を下る水運ルートが確立しましたが、さらなる利便性向上のため、明治初期に利根川と江戸川の間を開削して完成したものです。今となっては運河らしい威厳はなく、水の乏しい住宅街の小川という感じなのですが、堀の深さだけが運河の名残りでしょうか。日本の運河って、京浜工業地帯みたいな海岸沿いの埋立地の中には結構あるけれども、ここまで明確に内陸部にある運河というのは珍しいですね。ただし、明治初期に運河は開削されたものの、明治44年には東武野田線の前身である千葉県営鉄道が柏~野田町間を開通させていますから、利根運河が水上の輸送路として役に立った時期って意外に短かったんじゃないかと。そこから物流は水運から鉄道に遷移して行ったのでね。

そんな利根運河の橋を渡り、車体をくねらせ運河駅に進入する8111F。東武野田線は、大宮から船橋の全線が複線化されている訳ではなく、春日部から運河駅までの18.0kmは未だに単線になっています。建前上は全線で急行運転を行っている野田線も、単線区間だけは各駅停車。日中10分に1本の運行頻度を維持しているくらいなのだから、需要がないわけでもない。それでもなかなかこの付近が複線とならないのは、春日部~運河間には江戸川橋梁をはじめ大落古利根川、中川、利根運河と多くの単線橋梁が残り、春日部駅付近では伊勢崎線を跨ぎ越す立体交差もあって、ここらへんに新しい橋を架けて複線化するのが費用的にもなかなか大変なんだろうなと。それでも、野田市駅付近は連続立体交差事業が開始されていたり、改良の機運がないこともないのだが。

船橋から続く複線区間の北端である運河の駅。流山おおたかの森付近の急激な宅地開発による需要増のため、柏~運河間には日中に区間運用が組まれており、2面3線の中線を使っての機織り運用が行われている。折り返し線に運河止まりの8000系が入線して来た。行先表示がLEDに更新されていない、いわゆる「幕車」というヤツですね・・・幕車エモい・・・中途半端にLEDにされちゃうと写真にした時写んねえんですわ。中線の8000系を横目に見ながら、柏へ先行する8111F。インターナショナルオレンジの垢抜けなさもいいけど、現行8000系のジャスミンホワイトに濃淡二本のブルー帯も好き。むしろ、8111Fが戻ってくるときには、この現行8000系の塗装にしてほしい!って声もファンから多かったように思う。

利根運河を渡る橋の上から。歩行者専用の橋で、「ふれあい橋」というらしい。橋を渡った先は、東京理科大の野田キャンパス。駅周辺には、大学に通う学生向けの飲食店も目立つ。そう言えば、東京理科大って野田の他に久喜とかにもなかったっけ?大学のHPを見ると長万部とかとんでもない場所にもキャンパスがあったりするのだが、長万部で何をやるのだろうか。酪農とか?と思って調べてみたら、国際デザイン経営学科、だって。それって、北海道じゃないとできないことなの?(笑)。

ふれあい橋を横目に、利根運河を渡って単線区間に入って行く8111F。橋を渡った先にも複線用の路盤は用意されていて、利根運河を渡る橋だけ架けられれば、野田市辺りまでは複線化出来そう。しかしながら、野田市駅周辺の立体交差事業は、複線用の土地を確保しつつ単線分しか行われておりません。コロナ禍以降の乗客の回復に疑問符が付くこと、少子高齢化に伴い通勤通学需要は緩やかに減少すること、首都圏外縁部に拡大して行った通勤圏が、昨今の再開発に伴い都心回帰していることなどなど、ちょっと投資には及び腰の雰囲気が垣間見える野田線の沿線模様。東武本社からも「必要な設備投資として車両の置き換えは進めるが、将来的には野田線は5両に減車」という基本計画が発表されていて、ウワサでは80000系(仮)が投入されるんじゃないかなんて話もある。ただし、新しい車両の開発と投入までは暫く時間がかかるので、それまでの時間稼ぎのために8111Fを投入し、ひっ迫する車両需要を乗り切ろうとしているのが本音のところなのでしょう。

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右岸から、ご庄和願います。

2024年01月15日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(国境のトラスを越えて@川間~南桜井間)

江戸川の左岸で8111Fを撮影した後、今度は右岸に向かって撮影地を展開することに。江戸川の対岸に渡ること、いちいち駅まで戻らなくてもどっかに橋くらい架かってるだろと思っていたのだが、この辺り千葉側から埼玉側に行くための人間が通れる橋が全くなく、北に大きく迂回して1.5km先の国道16号の金野井大橋を渡る以外に方法がない。対岸500mくらい先に行くのに、お手元のGoogleマップで調べると「徒歩50分」とあるので、おとなしく川間の駅に戻って電車で対岸に渡ることにしました。多摩川や相模川あたりの感覚で橋があることを想像していると、利根川水系の橋のなさは結構驚く。利根川とか、10km単位のオーダーで橋がないのなんかざらだしね。それだけ川幅が広いってことなんでしょうけど。

川間から江戸川を渡ると南桜井の駅。こちらは埼玉県。現在は春日部市と合併していますが、ここはかつて北葛飾郡庄和町でした。北葛飾郡は埼玉、東葛飾郡が千葉に属していましたかね。「葛飾」って言われちゃうと、どうしても東京都の葛飾区だけをイメージしちゃうんだけど、「葛飾」という地名自体は古代より現在の江戸川の流れに沿った東京・埼玉・千葉・茨城の四都県に跨る広い広い地域を包括する地名でした。千葉県の東葛飾郡は関宿町が野田市へ、手賀沼の南にあった沼南町が柏市と合併して消滅してしまいましたが、埼玉県の北葛飾郡は杉戸町と松伏町がその牙城を守っています。

南桜井駅の南口から、線路沿いをダラダラと歩いて20分。江戸川橋梁の埼玉側に出ました。江戸川の流路が千葉側に寄っているせいでトラスの位置が遠く、その分河川敷の氾濫原の上はプレートガーターになっていて、野田線の6連の車両を障害物少なく順光できれいに写し止めることが出来ます。この「江戸川橋梁の埼玉側」の立ち位置は、8111Fが本線復帰して野田線に投入されて以来の一番の「アツい」お立ち台スポットとなっており、復帰直後はなんでもない平日でも100人近くが詰めかけたといういわくつきの場所。あ、ちなみに駅から遠いんだけど河川敷の周りにクルマが止められるような場所は全くないです。河川管理道路はあるんだけど柵があって入れないし、面倒くさくても南桜井の駅近くのコインパーキングにでもクルマを止めて機材を担いで歩いてきて欲しいです。

さて、この江戸川橋梁の埼玉側の立ち位置、太陽の光線の回り方から言ってこの冬の時期は15時~16時台の早いうちがベスト。なのですが、この日は午後から曇りベースの予報が出ており、SCWを見てもちょっと15時台までは持ちそうもない。そのため、ちょっと早めの12時台に立ち位置に陣取ったのでありました。12時半頃に通過する柏からの返しの大宮行きを待ちながらも、予報通りに海側からどんどんどんどん雲が流れ込んで来てちょっとヒヤヒヤ。千葉側で撮影した時のあの澄み切った青空はいずこへ?って感じだったんですが、何とか光線は遮られることなく大宮行きの8111Fを撮影することは出来ました。ただ、バックに雲は流れ込んじゃってるし、正面にはうっすらとしか光線が当たってないし、ケツは架線柱に引っ掛けてるし、ホント「撮っただけ」って感じになっちゃいましたよね。普段あんまりこういう「お立ち台でかっちり」みたいな撮り方をすることがないので・・・(言い訳)

どんどん空に広がる雲に、隣で三脚を広げてたあんちゃんも「本当だったら夕方までここで粘ろうと思ってたんですが」と諦めモード。
ちょっと宿題が残る、江戸川の鉄橋の昼下がりなのでありました。

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からっ風と、筑波おろしの中を。

2024年01月13日 10時00分00秒 | 東武鉄道

(首都圏最終防衛ライン@川間駅)

8111Fを、東武野田線随一の撮影地である江戸川の鉄橋で撮影するべく、電車を川間の駅で降りる。以前、クルマに乗って撮りに来たことのある場所だけど、電車で来るのは初めてだな。川間の駅前、駅前に「ちばぎん」があるので千葉県であることが分かるのだが、雰囲気としては東葛・・・というよりは北埼玉寄り。駅前からは関宿方面に向かうコミュニティバスが出ていた。首都圏の北東方向の周縁部をなぞるように走る東武野田線は、東京を中心とする鉄道交通の最後の防波堤という感じがあって、アーバンパークラインっつーか首都圏最終防衛ラインって感じなんだよな・・・野田線の外側、特に柏~春日部のラインから外側って以前はかなりの鉄道交通僻地でしたよね。今は野田市と合併してしまったけど、旧関宿町の住民だけでなく、利根川を越えた茨城県の旧岩井市あたりの住民なんかもかつて東京に出るのは野田線が頼りで、バスで芽吹大橋を越えて野田市駅まで出て来ることが多かったようだ。今は守谷あたりにクルマで出て、つくばエクスプレスで東京まで行く流動の方が主流になってるんでしょうかね。

初春の川間の路地を歩く。お飾りを付けたしもた屋風の酒店の前を、8000系の電車がガタコンと通り過ぎて行く。昭和の時代にはどこにでもあった酒屋兼タバコ屋。まだ現役っぽい「TOBACCO」のカウンターがいい。小さい頃は、こういうお店にオヤジのお使いを頼まれて、200円持ってセブンスター買った残りの20円を駄菓子に化けさせていたものだ。昔はそれなりに一日ひとハコくらい嗜む愛煙家ではありましたが、医者に言われてタバコをやめてから既に10年近くになる。禁煙出来るか出来ないか、人によってそれぞれでしょうけど、自分は「やめよう」となったら意外にスパッとやめられたな。やめてから暫くは、ふとした瞬間にタバコの幻影が見えることはあって、それこそコーヒーやお酒を飲んだ時の一瞬よぎるあの口さみしさ!みたいなねえ。それもいつの間にかなくなっていた。結局「医者に言われた」ってのがクリティカルだったなあ。自発的だったらやめてなかったかも。

川間の駅から7~8分、住宅街の路地を歩いて行くと突然土手の向こうに空が開け、千葉と埼玉の間を分かつ東武野田線の江戸川橋梁に出る。野田線内では最大の鉄橋で、全長は約380m。野田線の前身である総武鉄道によって架橋された橋梁ですが、昭和30年代に堤防のかさ上げ工事により橋の場所は15m程度下流に移されているのだそうな。ちょっと見づらいかもしれませんが、千葉県側から2つめの川の中州に立っている橋桁の上流側には、かつての橋の橋台部分が残っていたりします。上流では千葉県と埼玉県、下流では千葉県と東京都の境を流れる江戸川は、江戸時代に「利根川の東遷事業」により流路が銚子へ変えられるまでは、こちらがかつての利根川であったのは有名な話。川岸に灌木と草原の広がる風景は、葛飾とか松戸・市川あたりの利根川と比べると、随分とのんびり感があるね。

ああ、それにしても、この江戸川の空よ。正月からの日本に起こった嫌なことを、ひとときでも洗い流してくれそうな青い空である。関東平野の冬なんてものは、 茶色く枯れた稲の切り株が残った田んぼと、枯れたススキとズボンにやたらとくっついてくるセンダングサみたいなのが生い茂った草むらと、葉が落ちたシケた坊主の木ばっかでねえ。それでいて風だけはピューピュー強くてねえ。ただひたすら冷たい風の中で、水っぱな垂らしたガキがゲイラカイトを上げている・・・そんなイメージがあるのだけど、とにかく空だけは世界で一番青いんだよな。空を突き抜け、宇宙まで透けて見えそうな、そういう青さだ。カリフォルニアよりニューカレドニアより、青く澄んで天国に一番近いのが、関東平野の冬の空であるように思う。

この東武8111Fが纏っているのは、「インターナショナルオレンジ」と言う色らしい。
お世辞にもおしゃれとは言えない野暮ったいカラーリングの電車が、からっ風と筑波おろしの混じったような風の中を走って行く。
東武鉄道の電車というものは、関東平野の冬枯れの風景に実にマッチしているのではないだろうか。

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