(ガチャコン・コックピット@800系)
近江の電車の中でも一番の大所帯である800系のマスコン周り。西武時代の面影を残しつつ近江仕様にカスタマイズされておりますが、どの車両も昔の小学校にあった裁断機のような妙に存在感のある大箱の電気指令式ブレーキに改造されております。ちなみにこの電気ブレーキはナブコ製。「♪ふれてご~らん~ナブコのドアーを そこにときめきのとき~」のナブコです(笑)。ニッポン放送ショウアップナイターと言えばこのCMで、何となくこの歌がラジオから流れて来ると夕方の5時40分かなと思うくらいの耳馴染みのするCMだよなあ。そんな訳でアタクシこのナブコって会社は自動ドアの会社だとばっかり思ってましたが、元々が「日本エヤーブレーキ株式会社」と言いまして、日本における鉄道ブレーキのトップメーカーでもあるそうです。Nippon Air Brake Company=NABCOって事ですか。
ミュージアムに留置されていた新101系の台車は住友金属のFS372。「西武の台車」と言えばこのシャープな軸箱守の上にコイルばねを置いたこの形ですねえ。西武系の鉄道会社って伊豆箱根とかもほっとんどこの台車を履いているイメージがありますが、それだけ信頼性のある台車なんでしょう。ここ近江でもほぼ全ての車両が履いておりますが、あれこれ車体を好き勝手にいじくり回すように思える近江の改造方針も、車体はともかくマスコンや台車などの重要部分は「扱っている車両の規格を、自分たちの管理しやすい信頼性のあるもので統一する」と言う明快なコンセプトに基づいていると言えなくもない。
彦根駅改札口。近江鉄道には米原、彦根、近江八幡、貴生川と4つのJR連絡駅がありますが、どこも独自の駅舎を持たず、ホームの端っこに幅の狭い駅務室と改札を設けて、極めてコンパクトにまとめています。鑑賞するには鳥居本や彦根口や新八日市、日野などの中間駅にいい駅が目立ちましたが、こと利用者の多いターミナル駅に関しては合理的に画一化されているあたり、近江鉄道と言う会社の醸し出すポリシーと言うものは車両にしろ駅にしろある意味頑固で一貫しているように思えますなあ。
そんな事をつらつらと思いながら、五箇荘から乗ったパト電820系が彦根に到着。途中、豊郷で午前中に降りて行った大きいお兄さんの集団が再び乗って来て車内が賑々しくなった。何たる偶然。ってか単なる地元の人たちの集団だったのかな?と思い会話を聞いていると、フツーに関東の方々らしい。豊郷に何の用があるんだよ??と不思議でしょうがなかったのだが、調べてみたらこういう事だったらしい。いやあ、今流行りの聖地巡礼ってヤツですか…(笑)。ある意味、このジャンルも最近は町おこしのツールの一つだもんねえ。いや、その辺りの経済効果、否定はしませんしどんどんやってもいいと思うんですけど、近江鉄道からはそこらへんのアピールがあんまり伝わって来なかったんで気付きませんでしたよ。苦境にあえぐローカル私鉄なら真っ先にコラボしちゃうと思うんですが、意外にクールだな、近江鉄道(笑)。
米原まで行く電車が時間的に間に合わず、彦根駅の改札を出て近江鉄道の旅がフィナーレ。JRに乗り換え、米原から新幹線に乗って帰ることにします。JRの彦根駅ホームから近江鉄道ホームを望む一枚。すっかり夜の帳が降りた彦根の街、帰りの電車を待つ女子高生とパト電。
『近江商人の天性を一言で表わしているものに「しまつしてきばる」という言葉があります。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかるという、日常の心構えを表現しています。』(近江商人ゆかりの町連絡会HPより)
自社工場で色々な旧型車の部品を無駄なく使って作り上げた220型を始め、親会社のお古をベースに個性的なカスタマイズを施して仕上げた現役車両たち。JRの立派な駅舎があるならば、自らの駅はコンパクトにまとめてしまう倹約(?)の精神。近江商人が作った鉄道のそこかしこに、「しまつしてきばる」と言う近江商人の心意気の表現があるように思います。
東近江の八日市を中心に、北は米原、西は近江八幡、南は貴生川の三方向に広がる近江鉄道。
乗ってよし、撮ってよし、見てよしの、「三方よし」の鉄道でした。
長々と続いた真夏の近江熱風録、これにて大団円。