(茜空の宮川橋梁@会津高田~会津本郷間)
奥会津の渓谷に架かる橋とは違って、何の変哲もないガーター橋。南会津に聳える博士山を源流に、会津耕土を潤して流れる宮川。宮川の「宮」とは、会津美里町の鎮守様である伊佐須美神社の事でしょうか。伊佐須美神社と言えばイザナギノミコト・イザナミノミコトをお祀りする、由緒正しき岩代の国の一之宮。茜色の空の下を、若松の街に向かって432D。日の長い時期でも、走行シーンを撮影出来るのはこの列車辺りまででしょうか…
432Dが足早に宮川の鉄橋を渡って行ったと同時に、会津盆地を囲む山々の向こうに日が暮れて行きました。あとは夜に会津川口まで1往復半の運転がありますが、どうしよっかな。どっかの駅でバルブやるのも面白そうだけど、さすがに夜通し走って来ての撮影で少々体は疲れ気味…この優しい夕暮れに感謝して帰るとしましょうか。
去年の年末に、子供と二人で食べに来た芦ノ牧温泉の牛乳屋食堂でささやかに奥会津撮影行の締めを。あん時は列車の時間がなくて死ぬ気で急いで食ったラーメンだったけど、平日の夜の芦ノ牧には人っ子一人おらず。食堂へ入っても一人静かに会津ラーメンを啜る。撮り鉄やってる時間はね、あんまりマトモに食事をすることもないもんだからゆっくりメシを食うのなんか久し振りだよ。幅広のモチモチ麺にすっきり醤油スープがしみじみと美味い。こっから400kmくらい走ってまた帰んなきゃなあ!
暮れて行く会津平を後に。会津はやっぱりもう一つ遠い。真っ暗な会津西街道を下り、鬼怒川を抜け、下道で一生懸命帰りました(笑)。使った有料道路は日光宇都宮道路だけ。おかげで新4号の宇都宮市街のコンビニで力尽きて爆睡してしまった。これならバルブやって寝てから帰ってもあんまり変わんなかったかもしれん。時間の使い方を反省。梅雨前の緑色濃い奥会津、出来れば泊まって二日間くらい愉しみたかったよね。今度は小出側から攻めてみたいところです。
6月15日、このブログがアップされるその日が、只見線の復旧工事の起工式なのだそうです。
錆び付いた駅名標、草生した線路に、車輪の音が響くその日まで。
あの水害から7年。いよいよ復旧の槌音が響く、奥会津の初夏でした。