青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

氷見里山の名湯へ。

2024年08月21日 09時00分00秒 | 温泉

(夏の秘湯へ@富山県氷見市神代)

地鉄電車を黒部付近まで追いかけましたが、この日の富山は気温35℃を超える猛暑。直射日光を浴びながらの撮影は、おそらく確実にそれ以上の温度になっていることもあり、非常に体力を消耗します。クルマのエアコンも強めに付けていたんですが、正直このまま撮影を続けるのは体力的にも限界。と言う訳で、日が傾くまでは温泉にでも入って休憩することに。地鉄沿線の温泉・・・というと、個人的には食塩強めの白濁の硫黄泉が青森のさんない温泉を彷彿とさせる、「北陸のさんない(個人的命名)」こと魚津の金太郎温泉が大好きなんですが、たまにはご新規を開拓しようと思い魚津ICから北陸道で大きくワープ。小杉ICより国道8号線に戻り、高岡市街から向かうは氷見方面。折しもこの時期高岡の街は七夕で、あわよくば温泉帰りに万葉線と七夕の風景を写真に・・・なんて気持ちもあったのだけど、TL諸兄からの情報で、万葉線は土日に関しては夕方~夜間に七夕区間の運行はしないのだとか。安全面を考えるとやむを得ないのかもしれないけど、観光客を呼び込むならむしろ運行していた方がいいのでは・・・?と思わなくもない。ちょっと肩透かしを食らった気分で、クルマを能登半島の付け根の丘陵地帯へ進めて行く。田んぼの傍らに立つ「神代温泉→」の立て看板。目的地は、もうすぐ。

街道筋から外れ、里山の谷戸に広がる道を田んぼに沿って詰めて行くと、やがて谷は狭まり、そして道も狭まり、ここからは峠へのか細い道が続いて行く。その傍らに佇む一軒の温泉宿。ここが氷見の秘湯・神代(こうじろ)温泉。山を背にした好ましいロケーションは、いかにも歴史のある温泉場という感じの、使い込まれた素朴な佇まい。庭先に農機具や肥料の袋なんかが雑然と置かれているのもいいですね。長年それなりに温泉を巡って来た感想としては、こういう飾り気のない雰囲気は「アリ」です。お湯が良ければ外見に拘らずとも客は来るので。

神代温泉の帳場。一浴を乞おうと呼びかけるが、番台代わりの小部屋には誰もおらず。館内に入ってそれなりに大きな声を出しても何も反応がない。よく見ると、帳場の窓口に置かれた籐のカゴの底には「湯銭はここに入れてください」と書かれた紙が入っていた。ああ、田舎の温泉場にありがちな「窓口に誰もいない場合は湯銭を置いて勝手に入って良い」という、そーいうタイプね。理解した。と思ったらちょうど細かいのがない。まあ、温泉の人が戻ってきたらお釣りをもらえばいいか・・・というノリで千円札一枚をカゴに入れて失礼する。おじゃまいたします。

帳場を入って左奥へ、軋む廊下を突き辺りまで進むと男女別の暖簾がかかっていて、男女別の浴場があった。建物がかしいでいるのか、浴室のドアは閉まることなく開けっ放しの脱衣場でいそいそと身なりをほどき、温泉とご対面。内湯一つのプリミティブな作りながら、岩で組んだ浴槽はたっぷり広めで、そこに武骨な塩ビパイプからやや黄土色然とした湯がなみなみとかけ流されて、溢れた湯は誰もいない浴場の床を滔々と流れ去って行く。そこそこ熱めのピリリとした肌感があって、そして赤錆びたような土臭さと鉄臭さ。口に含めば強い塩味と炭酸味が感じられるところは、只見川沿いの奥会津の温泉のニュアンスに近い。塩分強めの温泉は、夏に入るには少し温まりが強すぎて、2~3分でも入れば体中から汗が吹き出しては浴槽の淵でふうふう言っていると、浴場の戸が開いて常連さんと思しきおじさんが一人。こんちわ。お先です・・・と挨拶をしながらとりとめのない話。

常連さんいわく、ここのお湯はもともと石油や天然ガスを採取するために掘削されたものであること。お湯は注がれる時は透明だが、浴槽に入るとだんだんと色がついて行くこと。温泉の色がタオルに染みてしまうから、白いタオルは向かないこと。正月の能登地震以降から、お湯の量が増えたこと。帳場の女将さんはよくいなくなること。畑にでも行ってるんじゃないかということ。おカネだけ置いて入っちゃって構わないこと。昔は男女の仕切りも低く、実際は混浴みたいなものだったこと。そして、常連さんの一言一言に、この温泉に対する揺るぎない信頼と愛着が感じられたこと。ちなみに、「見慣れねえ神奈川県のナンバーのクルマが止まってたからびっくりしちゃったヨ、よくこんなところ知ってるねえ!」とのことで、そこは驚かせて申し訳ないです(笑)。

常連さんとかわるがわる、浸かったり出たりを繰り返しては、最後は火照った体に上がり湯代わりのカランの冷たい水をザッとかぶって湯屋を辞す。体を拭いて番台に戻ってきたら、女将さんが帳場に戻って来ていた。「すみませんねェ、暑くて、誰も来ないし奥の部屋行って休んでましたヮ」「せっかく遠くからおいでなさったのに、お湯のご案内も出来なくて・・・」と恐縮することしきり。まあ、割とこの手のことはどこの温泉場でもあるので、「そういうのあんまり気にしない方なので大丈夫ですよ・・・」なんて答えながらロビーの冷たい水を貰い色々話すと、やはり話題は正月の能登地震の話になった。氷見の山間部にあるこの温泉でも、2階の部屋の壁が落ちたり、瓦がやられたり、そして水道が来なくて結局2ヶ月近い休業を余儀なくされたそうな。氷見市街地の水道被害が長期化する中で、生活インフラとしてここのお風呂の再開が近郷近在の人々から望まれていたそうで、氷見市内の人たちだけでなく、能登半島方面にボランティアへ向かう人たちも、行き帰りにこの温泉に立ち寄っていかれますねェ・・・なんて話も。能登地震の発災から8ヶ月。能登方面はまだ倒壊家屋の片づけに四苦八苦している状態だそうだが、一番のネックは業者の人が少ない&被災地に復興に携わる業者が滞在できる施設が少ないということで、高岡市内あたりに宿を取って輪島の復興へ向かっている業者もいるのだとか。今回の富山行、さすがに能登の被災地まで足を踏み入れることはしなかったのだけど、流石にここまでくるとそれなりにリアルな話である。

「今日は氷見の港で花火なんです。よろしかったら」とお話しされる女将さんに、一浴の感謝と別れを告げて神代温泉を後にする。道すがらに見える里山の一部に、そこだけズルリと剥けたように植生がなぎ倒され、黄土色の山肌が見えているところがあった。おそらくがけ崩れの跡がそのままになっているのだろうな。地震の爪痕はまだ生々しく、氷見の里山に残っていました。

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旅の空 湯に戯れて 古狸。

2023年09月29日 23時00分00秒 | 温泉

(開湯のいわれ@温泉津温泉・泉薬湯)

旅の朝は無駄に早く起きるもの。昨夜は薬師湯に浸かったので、朝は温泉津温泉の元湯でもある泉薬湯へ。朝5時半からやってるってんで、一番風呂を狙いに行ったのだが、既に先客の漁師さんと思しき二人連れ。泉薬湯の前でこの日の開湯(?)を待ちながら、温泉津温泉の開湯の謂れを読む。古くからの歴史ある温泉が発見された由来というものは、だいたいが1.行基とか弘法大師みたいな高僧の教えとか、2.誰かの夢枕にお告げがあったとか、3.鶴や白鷺みたいな動物が傷付いた羽を癒していたとか、だいたいその三つなんですけど、ここは「3」の動物パターンであった。「一夜の枕を求めた旅の僧が、傷付いた古狸を追いかけて発見した」とあるので、1と3の複合パターンかもしれないけど。

温泉津温泉元湯・泉薬湯。昨日入浴した薬師湯とは目と鼻の先にある。目と鼻の先にあるがれっきとした別源泉で、「元湯」を標榜するように、温泉津温泉の開湯起源はここ。男女で分かれた入口の間に番台があって、10畳程度の小さめの脱衣場があった。浴場は、脱衣場の先から階段を下がった半地下のような位置にあり、熱い湯とぬるい湯、そして浴場の片隅に「初心者向け」と書かれた本当にぬるいため湯の、合計三つの湯舟があります。朝一の訪問だったので、湯面にはカルシウムの幕みたいなのが張ってて、薄い飴細工のようにシャリシャリと割れた。お湯は薬師湯と同様、炭酸味と鉄サビくささのある茶褐色の温泉ですが、薬師湯より投入量が絞られているのか源泉の温度が低いのか、お湯はこなれていてトロリとしたまろやかさがあった。

泉薬湯の前にあった「湯治の宿・長命館」。1922年開業。温泉津温泉と言えばここ!という伝統の湯治宿で、ぜひ泊まってみたかった雰囲気抜群の木造三階建ての宿だったのだが、既に商売をやめて久しいと見え、板壁が剥がれて土がむき出しになった姿は哀愁を誘う。この長命館、館内に内湯を持たず、それこそ泉薬湯をそのまま宿の外湯に利用するというプリミティブな湯治スタイルを堅持する宿であった。というか、泉薬湯のオーナーが経営するのが長命館だったので、泉薬湯の湯治部、というポジションだったんですね。宿を畳んでも、温泉だけは続けているあたり、そこは温泉津温泉の湯元たる矜持かもしれない。

漁師のおじさん二人とのんびりと同浴。おじさんの話題は、暑すぎて魚が獲れねえということと、自分の健康の話。今日は月曜日で漁はお休みなのだそうで、痛めている腰の治療で市民病院に行くということだった。泉薬湯に浸かっていても、必要なのは現代医学。この辺りで市民病院ってーと大田市の市民病院か。日本の地方都市、新しくて立派なのはだいたい市民病院かイオンってとこあるよな。

泉薬湯の先にあった雑貨店。温泉津の開湯の由来からか、「たぬきや」という屋号が付いており、店口に大きな狸の置物があった。朝早い温泉津の街角、大伽藍のあるお寺の鐘がゴーンと鳴って、今日も夏の日が始まります。

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ステンドグラスの色揺れて。

2023年09月27日 17時00分00秒 | 温泉

(夜に輝く歴史建築@温泉津温泉・薬師湯)

温泉津温泉に宿を取り、夕飯を簡単に済ませ、さっそく温泉へ。温泉津温泉には、大浴場を持っている宿もありますが、基本的には温泉街にある薬師湯と元湯・泉薬湯(せんやくとう)のどちらかに入りに行く、俗にいう「外湯文化」の街でもあります。すっかり暮れた温泉街を歩けば、ああこれが!という三階建てのコンクリートモルタルとタイルで作られた湯屋。これが温泉津温泉のシンボル的存在である「薬師湯」。現在共同湯として使われている新館は昭和29年の建築だそうで、ステンドグラスで彩られた入口と、二階のデッキの優美なアールが特徴。灯火に輝く夜の薬師湯の美しさは、また格別なものがあります。

世界遺産に指定された石見銀山の積み出し港として、江戸時代に開湯された温泉津温泉。元湯としては泉薬湯が古い存在ですが、明治5年(1872年)3月に発生した浜田地震によって噴出した新しい源泉により作られたのがこの薬師湯。源泉名は、その起源をなぞって「震湯(しんゆ)」と言われていて、この建物の裏手の地下2~3m程度の場所から湧出しているのだとか。

明治年間の新源泉によって開かれた薬師湯。こちら側が大正年間に作られた元々の旧館。一階は今はカフェ的な扱いで営業してるそうですが、当然夜はやってなくて入れんかった。二階のアーチ形の窓や柱、そこかしこに付けられた凝った意匠には、当時の流行である西洋のモダニズムみたいなものをたくさん詰め込んだ建築様式を見ることが出来ます。明治末期に建てられた南海電車の浜寺公園駅とか、ああいう雰囲気に近いですね。あっちはハーフティンバーだったけど。

薬師湯のお湯。写真は撮影禁止なのでHPから拝借。湯銭は600円と外湯文化の温泉にしてはまあまあ高め。文化財の維持管理費用と世界遺産プレミアム上乗せが半分くらい入っているような気がする。元々この薬師湯、「藤の湯」という名前の町営温泉として管理されていたそうで、その時の湯銭は200円との記述があった。現在は民間に運営が任されているようなので、その辺りは仕方のないことなのかもしれない。こってりとカルシウムと石膏の析出物の盛り上がった浴室、湯温は高めの43~44度。同浴の湯客のおじさん、「熱い熱い」と言って足だけつけて退散。まあ一応湯慣れた方なので、これ以上熱い湯にも浸かったことはありますが、肩までどっぷり浸かると久し振りにジンジンする温度。ちょっと鉄サビ&炭酸味がある含土類系の食塩泉。いかにも武骨な男らしいガツンと来る浴感である。婦人病、高血圧、生活習慣病に卓効。古くは広島から被爆者なども療養に訪れていたというから、その効能は推して知るべし日本の名湯である。

温泉地としては全国初の重要伝統的建築物群に指定されている温泉津の温泉街。湯上りの体を撫でる風はまだまだ蒸し暑くスッキリとはいかないまでも、しんと静まった路地から眺める街並みは趣がある。まだ開いている古民家バルの明かりがアスファルトに映って、「氷」の旗がサワサワと夜風に揺れていました。

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憧れの街、温泉津へ。

2023年09月25日 17時00分00秒 | 温泉

(いい日旅立ち、西へ@大田市五十猛町)

小田のアウトカーブで珍しくJRの特急列車なんかを撮影した後は、国道9号線を日本海に沿ってさらに西へ西へ。夏の夕日は光線が強すぎて太陽がその像を結ばないけれど、雰囲気だけは日本海の海岸線沿いらしいトワイライト。山側には大田朝山道路など、ゆくゆくは山陰道になる地域高規格道路の無料供用区間はあるのだけど、この日本海に沈む夕日の雰囲気を眺めていたく、地道に国道を進んで行く。もとより渋滞などは考えられない人口稀薄地の山陰西部であり、そこそこの速度で流れて行くのでそうストレスはない。

レンタカーのハンドルを握りながら出雲市街から約一時間、国道9号線を看板の指示に沿って右に折れると、JAと同居した山陰本線の駅と駅前通りに「いらっしゃいませ 温泉津(ゆのつ)温泉」の看板がかかっていた。ここが私のアナザースカイ、じゃなくって(笑)、ここが長年「来たいなあ」と思っていた温泉地なんですよね。温泉津温泉。出来ればサンライズ出雲と気動車の普通列車で来たかったけど。

夕暮れ迫る温泉津温泉の駅前通り。なんつうか、「山陽」に対する「山陰」というのがすごくよく分かる。陰と陽の分かれ目なんて、中国山地に対してどっちにあるかだけじゃないかと思うのだけど、瀬戸内海と日本海、表日本と裏日本という俗称の例えを持ち出すこともなく、山陽と山陰は文字通りきっぱりと陽と陰に分かれている。陽光輝く山陽に対して、夕暮れにじっと押し黙るような人影薄い山陰の温泉地の街並み。仕出し屋、お宿、喫茶店。なんとも心の襞に染み込んでくるような街並みは、情緒と郷愁の坩堝のようでもある。

港へ向かう道すがらの造り酒屋と温泉街の路地。車を止めて見事な装飾の看板に見惚れていると、港の向こうに日本海の夕日が沈んでいく。そろそろ宿のチェックインの最終時間が近づいているというのに、なかなかに何もかもが趣深い温泉津の魅力に惹かれて進めないでいる。そこまでこの土地に憧れがあったのか・・・というのが自分でも驚くべきことで。

温泉津の温泉街のメインストリート。大きな伽藍のお寺の前にある、築150年の古民家を改装した宿が今夜のお宿。部屋の広さで言えば4.5畳もあるかないか、藍染めの布団が板の間の上に敷かれているだけのシンプルイズベストなお部屋。テレビもなく、荷をほどいて一息。窓の下の温泉街を眺めながら、ぼんやりと無聊をかこつような時間もたまにはいいものである。元々素泊まりしかやっていない宿ですし、食事も前もって調べたところ温泉津の街にはそう多くの大衆的な店がある訳でもなさそうだったので、夕飯は出雲市のスーパーで購入した和風弁当に地アジの刺身。プシュリとレモンサワーを開けながら、温泉津の街に夜の帳が降りて行きます。

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はこなんの湯治場

2021年01月20日 13時00分00秒 | 温泉

(知られざる三島の名湯@竹倉温泉・みなくち荘)

コロナ禍の中で、なかなかしづらくなってしまったもの。世間一般的には外食や飲み会なんでしょうが、私の中では「温泉めぐり」もその一つ。飲み会などと違って他人とそうべちゃくちゃ喋る訳ではないので、そこまでのリスクがあるのかなと言う気がしないでもないですが・・・まあ風呂にマスクして入る人はいないので、相応のリスクはあるのでしょうね。どちらかと言うと、都市型のスーパー銭湯や日帰り温泉みたいな、脱衣所が満杯みたいな状態でガヤガヤと着替えるような場面の方が怖いかなと言う気はしますけど。

最近はそんな感じなんで、撮影がてらの温泉巡りもすっかりご無沙汰。昔はクルマに布団積んで、車中泊しながら東北を一週間回ったこともあったなあ・・・なんてそんなことをつらつらと考えながら、ふと思い出した温泉場なんかの話をしてみたいと思います。静岡県は三島市に「竹倉温泉」ってのがあるのをご存じでしょうか。三島って言えば中伊豆の入口に当たる街で、それこそ伊豆箱根の駿豆線に乗ってけば伊豆長岡や修善寺の温泉にすぐ行ける場所でもあり、地元の人しか知らないんじゃねえの?という箱根南麓の温泉場。

場所は三島の市街の東の外れ、どちらかってえと函南町に近い場所。鉄道ファンには「函南」「竹倉」と言われると、東海道ブルトレを富士山バックで撮影出来る名撮影地であった「竹倉踏切」を思い出す御仁も多いかと思われるのですが、この温泉があるのはその「竹倉」なんですよね。以前は旅館が三軒あって、どこでも宿泊や日帰り入浴を受け入れていたんだけど、一番大きな旅館だった「錦昌館」が廃業して、この「みなくち荘」が最後の砦を守っています。ここも宿泊は辞めちゃったみたいで今は日帰りだけしか受け入れてません。いつ行っても極めて静かで、年配のご夫婦が番をしています。少し色褪せた観光ポスターとか、手書きの東海バスの時刻表とか、そういうアイテムに昭和の雰囲気を感じるロビー。

伊豆の温泉って言うと、熱海に代表されるような「湯けむりモクモク・間欠泉ピューピュー」の火山性の高温泉のイメージがありますけども、この竹倉温泉は地下10mくらいからちょろちょろと湧いている鉱泉水を温めた「沸かし」の鉱泉。伊豆半島で、沸かして供されている温泉(鉱泉)って相当珍しいと思うんだけど、なんだか昔駄菓子屋で売ってた粉のオレンジジュースを溶かしたようなその色が非常に特徴的。鉄分を多く含む鉱泉の成分で、渋く色付いた浴槽のタイルといい、静岡なのに東北の湯治宿を思わせるような鄙びた雰囲気が自分的には気に入っていて、何度も通っている。お湯に浸かると鉄分でタオルとか赤くなっちゃうんだけど、ちょっと熱めの鉱泉水に10分も入っていると、体の芯までしっかりと熱が入って来る。

内湯が一つ、窓の外はのどかな田園風景が見えるだけ。オーシャンビューで露天風呂で、湯上りはキンメを始めとする海の幸が満載で・・・みたいな、伊豆半島の温泉にありがちなそういう歓楽的要素が全くないってのがまたいい。行くといつも一時間くらい一人で湯に浸かったり出たりしながらぼーっとしてるんだけど、たまに地元の爺さんが一人でガラリと湯に浸かりに来るくらいののんびりした空気感。竹倉温泉自体は昭和初期の開湯と歴史はそう長くはないものの、痛みやコリに効くとの由で、地元に根強いファンを持っているそうです。熱海や修善寺など全国クラスの知名度を誇る温泉場に周りを囲まれてはいますが、湯の良さ一本勝負の実直さで、何とか末永くこのお湯を守って欲しいもの。

竹倉温泉の裏山、錦が丘の高台に上がれば、伊豆縦貫道を跨ぐ道路からこんな風景を見る事が出来ます。ちなみに、この線路が見えてる部分の上の端っこあたりが竹倉踏切のようです。東海道本線が富士山をバックに南を向いて走るのは、この三島から函南に向かっての僅かな区間だけ。線路際の木々の成長によってアングルは日々狭まって行く感じもしますが、短編成の修善寺踊り子くらいならまだ抜けるんじゃねえかな。

なかなか遠征は難しい時節柄ではありますが、世情が落ち着いたらまた行ってみたいですね・・・って月並みな話で終わりにしようと思ったのですが、この長引くコロナ禍の中で、私が好きなこういう「鄙び系」はそこまで持ちこたえてくれるか?廃業しちゃうんじゃないのか?という気持ちがザワザワしてきてそれも切ない。うがー。と言う訳で、今んところは地元の人が行ってあげて!と言う他力本願寺にはなってしまうのがもどかしいですねえ。ホント。コロナを潜り抜けたその先に何も残っていないなら、いっそのことこの自粛なんぞクソ喰らえ、なのかもしれません。

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