青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

カルミンカラーの渋いヤツ。

2024年10月08日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(矢部川夕照@西鉄中島~江の浦間)

もうちょっと矢部川の話。西鉄随一の撮影地である矢部川の鉄橋で、5000形の急行が撮影したくてずーっと待ってたんだが、待っていればなかなか来ないもので、矢部川にその姿を現したのは大牟田行きの特急の4本目。サクサクッと捕まえて、さっさと大牟田で居酒屋に入って冷たいビールでも飲もうかと思ってたんだが、特急が30分に1本なので捕まえるのには結局2時間かかったことになる。5000形の特急なんていつでもどこでも見れるもんじゃないの?と思わせておいて、3000形とか6000形が結構混じるんだよね。ここまで来て撮れないで終われんだろう!と思って待ってたんだけど。しかしまあ、何が言いたいかって言うと昭和50年代の車両が現役バリバリで最優等列車にぶち込まれてるのホントいいですよね。

矢部川に茜差す頃。大牟田で折り返してきた西鉄福岡行きの特急5000形は、有明の夕陽をベタベタに浴びて飛んで来た。これで時刻が午後6時半なのだから、流石に西の国の夕暮れは遅い。チャームポイントのアイスグリーンもほんのり茜に染まって、轟音とともに110km/hのトップスピードで西鉄中島の駅を駆け抜けて行った。九州来たらさ、JR九州の「ソニック」とか「かもめ」とか「ゆふいんの森」とかさ、それこそ「ななつ星in九州」とか、そーいう被写体いっぱいあると思うんですけどね。それをガン無視して西鉄電車を追いかけ回しているの、我ながら私鉄贔屓が過ぎると思う。それもこれも、西鉄5000形がカッコいいから、仕方がないことです。

西鉄中島から普通電車で20分。大牟田の駅に到着し、これで西日本鉄道の全線を完乗。改札を抜けて駅前に出た頃にはとうに太陽は有明海の向こうに落ち、残照が空を赤く染めていました。大牟田は、江戸時代より日本有数の大型炭鉱として産炭を続けた三井三池炭鉱によって繁栄した街ですが、炭塵爆発やガス噴出などの多くの事故と労働争議、そして国家のエネルギー政策の転換により衰退。石炭産業に並行して発展した化学産業(石炭による硫酸アンモニウムの生成)を中心とした工業都市として発展しています。鉄道趣味的には、三井化学工業専用線ですかねえ。元々は大牟田・荒尾の両市に跨る炭鉱から掘り出された石炭を運ぶ運炭鉄道でしたが、炭鉱の閉山後は三井化学工業大牟田工場の専用線として、大牟田駅と工場の間を2020年まで、超年代物の電気機関車が毎日行き来していました。【参考:さよなら5両の「炭鉱電車」 三井化学大牟田工場、専用線廃止で「引退」】そうそう、大牟田の隣の荒尾市には荒尾競馬があったんで一回来たことがあるんだけど、その時って何で来たんだっけか。クルマだったのかなあ。もう覚えてないけど、有明海に面した開放感のある馬場と、本場場入場の際のやたら勇ましい「五木の子守唄」のメロディは印象に残っている。荒尾競馬に限らず、北部九州の公営ギャンブルというのは非常に充実していると思うのだが、それも産炭地らしい「オトコたちへの娯楽の提供」の一環だったのかもしれないね。福岡県だけでもJRAの小倉競馬、小倉・久留米の競輪に、福岡・若松・芦屋のボート、そして飯塚オートといわゆる「三競オート」が全部揃っている。まあ荒尾競馬は熊本県だったのだが、大牟田と同じ筑後都市圏で実質福岡みたいなもんでしたので。佐賀競馬だってあるのは佐賀市ではなく福岡に近い鳥栖だし、小倉も関門海峡渡れば下関競艇、山陽オートだもんなあ。

この日の泊まりは福岡市内の温泉旅館。夕食は付けていなかったので、西鉄完乗記念のささやかな宴を駅前の居酒屋兼食堂でおこなうことに。とりあえず冷たいビールを頼んでメニューを見ると、「リュウキュウスギのお刺身」というのがあったのでこれを定食にしてもらうことに。スギという魚は、名前は知っていたけど食べたことはないんだよね。ちなみに私は旅先で名前も知らない魚を食べることに無常の喜びを感じる人なので、なんか九州っぽいものが食べたいなあなんて思ってたこともあってこれはベストなチョイス。スギという魚はあまり関東では目にすることはありませんけど、その成長の速さが注目され、沖縄なんかでは養殖魚となっている魚。一部ではカンパチの代用魚として注目されていて、「クロカンパチ」「リュウキュウカンパチ」なんて名前で回転ずしのネタにされたこともあったらしい。図鑑で調べると、シュッとした形の非常にスマートな魚で、見た目がカッコいい。食べてみると、結構なコリコリ感があって身質は筋肉質ながら、カンパチの代用とされただけはある青魚っぽい脂の旨味があって美味しい。ビールのあてに追加で頼んだシイラのフライもタルタルソースがたっぷりで非常に美味しい。何の気なしで入った店の食べ物が美味しいと、それだけで旅の幸せは約束されたようなものだ。本当ならもう一杯お酒を頼んで、もう一品くらいおつまみを頼んで・・・なんてやりたかったけど、時間もありますのでね。ごちそうさまでした。

ほろ酔い気分で西鉄の大牟田駅のホームに戻れば、帰りの西鉄福岡天神行きの特急電車は5000形。アイスグリーンのクールなボディを横たえて、私の帰りを待っていました。蛍光灯に照らされて夜に輝くその色味もいいものだ。そう言えば、アイスグリーンとボンレッドの組み合わせ、昔よく駄菓子屋に売ってたお菓子で「カルミン」ってありましたけど、あのカラーリングですよね。明治のカルミン。何となくこの色に郷愁を感じるのは、そんな幼き日の駄菓子屋の思い出がフラッシュバックするから・・・んなこたーないか。宿のある西鉄大橋までの一時間、ウトウトしながら筑後の闇を、円筒案内式の台車に揺られるのでありました。

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潮の香、海苔の香、矢部川へ。

2024年10月06日 09時00分00秒 | 西日本鉄道

(船のイメージ・・・?@西鉄中島駅)

柳川の街から普通電車で10分、柳川市の南の端にある西鉄中島駅にやって来ました。駅の大牟田側で矢部川を渡るため、堤防の高さに合わせた高架駅になっています。駅は船を模したのか丸窓がつけられており、この窓の部分が駅員さんの詰所になっていたようですが、既に現在は無人駅になっております。建物で言えばホーム部分は3階にあたりますが、駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんで、バリアフリー的には難がある構造になっています。大善寺以南の西鉄電車の駅は普通列車が30分に1本の閑散としたダイヤですが、西鉄中島の駅は700人/日程度の利用がありますから、周辺の普通列車しか止まらない駅に比べれば多い方ですかね。

矢部川を渡って行く6000形の大牟田行き特急。西鉄中島駅は、西鉄電車の名撮影地である矢部川の鉄橋の最寄り駅。矢部川は、福岡県南部を流れる全長60kmの一級河川で、大分県との境にある三国山に源を発し、「八女茶」で有名な八女市を流れてから新幹線の筑後船小屋駅付近で流路を南に変え、筑後平野の南端を走りながら有明海に注いでいる。福岡県は玄界灘(日本海)、周防灘(瀬戸内海)、有明海(東シナ海)と性格の異なる三方の海に面している珍しい県であり、玄界灘には紫川と遠賀川、周防灘には山国川、そして有明海には筑後川と矢部川が注ぎ込んでいるのだが、川の流域それぞれに経済圏や文化が濃厚に異なっていて、旅をしてみると「同じ県」というくくりには多彩過ぎて無理があるように思う。「福岡・北九州・筑後・筑豊」という四分割法で理解をすべきだよね。都市で言えば「福岡・北九州・久留米(大牟田)・飯塚」という四分割になりましょうか。

甘木線からやって来た、6050の大牟田行きワンマン。西鉄電車の矢部川の鉄橋は、独特の穴の開いた単線型橋脚にプレートガーターの橋台が乗ったシンプルなもの。あまり知らない路線で撮影地を探すとき、それなりに大きい川の鉄橋ってのはまず間違いない鉄板撮影地なんじゃないかと思うのですが、それに倣って西鉄で一番大きな鉄橋である筑後川橋梁(宮の陣~櫛原間)の作例を探したんですよ。んで、探したんですけど、さっぱり作例が出て来ないんですよね。それもそのはず、西鉄電車の筑後川橋梁はサイドに鋼製のガードが付いた足元のすっぽり隠れるスルーガーター橋。これじゃあ誰も撮る人いないよなあ・・・となったのでありました。昭和56年以前の旧筑後川橋梁はワーレントラス+プレートガーターの撮りやすい鉄橋だったみたいですけどね。割と西鉄、橋梁で足元が隠れるスルーガーターを採用しているところが多く、橋梁=撮影地とはなりにくいのは覚えて損のないポイントかも。

西鉄中島駅へ滑り込む6050形の甘木行き。この辺りは有明海の河口から5km程度離れた位置になるのだけど、川岸に積みあがったシルトのような泥はまさに有明海のそれで、夏の日に当てられた泥からは強烈な潮の香りが立ち上ってくる。泥の上には無数の穴が開いていて、そしてそれを巣穴としたカニが這い回っており、有明海の自然豊かな干潟の延長線上のような生態系を示している。矢部川橋梁の周りは、中島の街に住む漁師さんたちの船着き場になっているようで、川の両岸に舫われた漁船の姿がまた風情があっていいものだ。中島の漁師さんは何を獲って来るのだろう・・・と思って調べてみると、魚を相手にする漁ではなく、有明海の干潟でおこなうノリの養殖が生業の中心の様子。福岡県の筑後地域の漁獲データを見ると魚貝の類はいくばくもなく、漁獲高の90%が有明海の養殖ノリとなっていて、なるほど、言われてみれば魚を獲る網や漁具の類を乗せた船がほとんどいないのが分かる。中島の駅の裏も、漁協のノリの倉庫になってましたしね。

石川啄木ではないが、足元のカニと戯れながらやって来る電車を待つ。この区間は、普通・特急が毎時上下でそれぞれ2本ずつ、1時間で8本の列車が行き交うパターンダイヤで、そこそこ飽きずに撮影が楽しめる。ノリ養殖用の小型舟が揺れる船着場に腰を下ろして眺める6000形の大牟田行き特急。張り出し屋根もサイドビューなら気にならず。戸袋窓がない4ドアというのも、この時代の電車としたら新鮮です。中島の漁港はここから2kmほど下流の位置にありますが、川に沿って船溜まりはこの西鉄電車の橋あたりまでずっと続いていて、非常に横に長い。この地域は、有明海に流れ込む川の内陸部に漁港を作っているのが地理的な特徴と言えるのですが、干潟が続く有明海には港を作りづらかったり(極端な泥地では船を通すための浚渫が大変でしょう)、干拓によって海岸線がどんどん沖へ伸びたせいで、元からあった漁港集落が内陸側に残されたのかもしれないし、色々と理由はありそうです。

空にはかなとこ雲、夕陽を浴びて矢部川を行く「水都号」。川べりにずっと立って西日を受けているのも厳しいので、矢部川の左岸側の集落に降りてみる。矢部川橋梁の大牟田側は、こちらも堤防へ駆け上がるための高架線になっていて、その下にはいかにも有明の漁村という感じの古い日本家屋と板塀が続いています。この西鉄電車の高架線、単線のコンクリートモルタルの雰囲気が何となく弘南鉄道の石川高架橋とか尾上高架橋を思い出してしまった。夕暮れが近付いて、路地でサッカーをしていた子供たちが家に帰って行く。汗を拭きながら、大きなクスノキの下に佇むお稲荷さんの小さな舞台に腰掛けて休んでいると、高架線の上をアイスグリーンの電車が通り過ぎて行きました。

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筑後の水都、夏景色。

2024年10月01日 21時00分00秒 | 西日本鉄道

(5000と6000、その差異。@花畑駅)

甘木線を宮の陣駅で乗り換え、急行花畑行きに乗り換えて花畑まで。花畑は、西鉄久留米の一つ先の駅で、急行電車の終点だったりもしますから、車庫でもあるのかと思ったら普通の2面4線の高架駅。花畑止まりの電車は、いったん回送扱いで普通に本線を大牟田方面へ進み、本線上を渡り線を使って折り返していくようです。そこまでダイヤが逼迫していないから出来る芸当なんでしょうけど、関東の大手私鉄の感覚で言うと、小田急の向ヶ丘遊園や京王の八幡山のように、Y線型の引き上げ線とかを付けてあげたくなる配線となっています。花畑止まりの5000形急行に並んだ福岡天神行きの6000形特急。どちらもアイスグリーンにボンレッド、角型のボックスに丸形ライト、左右非対称のパノラミックウインドウは同様ですが、3ドアの5000に対し4ドアの6000というサイドビューはともかく、肉抜き型のスカートからジャンパ線がむき出し、上部設置のワイパーが精悍な5000形に対し、電連導入で厚めのスカート、張り出し屋根、下部設置のワイパーということで6000形は後発の車両の割にどうにも野暮ったく見える。5000形の緩いアーチ形の優美な屋根の形に対し、肩パッドが入ったような張り出し屋根の車体形状がなあ。妙に胴長感が出ていて、パン屋のパン職人がかぶる帽子のようだ。

特急が発車したホームに、大牟田方でエンド交換をして転線した急行電車が据え付けられた。その僅かな時間を使って、今度は天神側の渡り線を使って上り4番に入って来たのが6000形改造車の「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」。最近流行りのレストラン観光列車。金曜日のツアーは、西鉄福岡を午前中に出て太宰府に立ち寄り、食事を楽しみながら花畑の側線でトイレ休憩を兼ねて30分の停車。こっから柳川を経由して大牟田が14時半。途中下車可能なコースでお1人さま11,000円。食事は地元シェフ監修の食前酒から始まるコース料理、この手の観光列車に乗ったことないし、お値段は弾んでしまうけど旅先の財布のヒモというのは緩いもの。ちょっとその気はあったんだけど、残念ながら事前予約のサイトを覗いた時点で満席。参加することは叶わなかったのでありました。

花畑から後続の特急電車に乗って15分、西鉄柳川でこの日三回目の途中下車。柳川市は沖端川と塩塚川に挟まれた低湿地帯に水を引き込み、柳川城下に濠を巡らした「水の都」と呼ばれる観光都市ですが、西鉄柳川の駅は趣ある旧市街や水郷巡りの拠点地区である本町方面からはかなり離れていて、西鉄柳川の駅からの観光にはバスやレンタサイクルなんかを使う方が多いみたいですね。駅前には大きなバスロータリーと車寄せがあって、観光客を待つタクシーがたむろしています。海からは5~6km離れているんですが、何となく空の色に有明海を感じるというか、「海」の雰囲気がそこはかとなく感じられる街です。駅前のお店に「うなぎ」なんて看板が出てるとその気になっちゃうけど、柳川名物「ウナギのせいろ蒸し」はなかなかいいお値段がします。さっき久留米でラーメン食っちゃったしね。タイラギ、ウミタケ、アゲマキ、おきゅうと、ワラスボ、ムツゴロウ。時間があればじっくりと泊まって味わうものはたくさんある街であります。

現在は合併して柳川市となっていますが、もともと西鉄柳川の駅は柳川市ではなく、柳川市のお隣にある山門郡三橋町にありました。中心街から離れているのも無理はないのですが、地形図を見ると西鉄電車は掘割が網の目のように走る柳川の中心街を避けるように手前の矢加部駅付近で東へ向きを変えており、どうも「市街には入りたいけど地盤が緩そう&架橋の数が増えて大変そう」みたいな思惑が見え隠れします。個人的には、それこそ総武本線の佐原とか、鹿島線の潮来とか、そういう水郷風景を絡めて撮影するロケーションを希望していたのですが、地図見つつウロウロしてみたんですけど、そういうのはほとんどありませんでした(笑)。僅かに川下りの乗船場に続く船溜まりに西鉄電車の小橋が掛かっていて、使われない小舟が夏の暑さの中で気怠そうに揺らめいている。ちょっと構図的にはごちゃっとしているんですが、そういう街の有象無象もひっくるめて西鉄電車の柳川の雰囲気。ちょうどよく、柳川観光ラッピングトレイン「水都」がやって来ました。

あまりの暑さと、ほとんど動きのないお堀の水に涼しさの効果はいくばくもなく・・・淀む水面に夏雲が浮かぶ。川下りの船着き場の葦簀の下で、観光客を待っている船頭さんもつまらなそうにしていたが、客の来ないことに嫌気が差したか、あまりの暑さに耐えかねたのか、事務所の建物に姿を消した。船溜まりに舫われた小舟の内側に塗られた色と、小橋を渡るアイスグリーンが走り抜けた時だけが、ちょっとだけ涼しかったような、気がした。

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駅前10秒、500円の味。

2024年09月29日 14時00分00秒 | 西日本鉄道

(戦前建築の風格@甘木鉄道甘木駅)

真ん中に塔屋を持ち、横に広がりのある甘木鉄道の甘木駅。元国鉄甘木線の終着駅で、現在も甘木鉄道の本社機能と車庫が置かれています。この甘木の街には、二日市から伸びる朝倉軌道と、田主丸から甘木を通り秋月へ伸びる両築軌道、そして上田代から太刀洗を通って甘木市街へ伸びる中央軌道という三つの軽便線が大正時代から走っていました。甘木鉄道は、国鉄の基山駅から分かれて甘木に至る鉄道で、従来の中央軌道のルートをほぼ踏襲する形で1939年(昭和14年)に開業していますが、これは「軽便規格の中央軌道では輸送能力と経営基盤が脆弱」ということで、鉄道省が輸送力強化のために甘木線の建設を決定したことによります。それだけ太刀洗飛行場の軍需関連の輸送ってのは国策的に大事だったということでしょうか。ちなみに、甘木線の建設計画に勝ち目を失い目下の経営を投げ出した中央軌道は、「あの有名な」朝倉軌道に買収され、あろうことか営業補償の口実に使われたりするなど数奇な運命を辿ることになりますが・・・まあ朝倉軌道の話はしているとキリがないので、興味のある方は手前様でお調べいただきたく。

駅前広場を出て路地を曲がり、再び西鉄電車の駅へ。西鉄甘木線の甘木駅。こちらも年季の入った木造駅舎である。甘木鉄道の甘木駅が、軍需路線らしく兵舎を思わせるパリッとした佇まいなのに対し、こちらは庶民的ないかにも地方私鉄の小駅と言った感じ。こちらは福岡県の旧三井郡(現久留米市)の有力者たちが設立した三井電気軌道を源流に持つ路線なのだが、現在の甘木市街には朝倉軌道・両築軌道・省線の甘木線・そして三井電気軌道と4本の鉄軌道路線が通っていたことになる。ってか甘木市っていまは合併して朝倉市になってるんですけどね・・・何となくイメージ湧かんな。朝倉って言うと、もっと奥の杷木とか原鶴の方のイメージがあるので。

西鉄の甘木駅は、頭端型の1面2線のシンプルなスタイル。大牟田行きのワンマン列車が折り返し待ちをしております。西鉄の運行形態はちょっと変わっていて、本線格である天神大牟田線の南部(久留米以南)の各駅停車は甘木線と一体の運用になっていて、分岐駅である宮の陣からそのまま大牟田まで一気通貫で通してしまう。使われるのはワンマン対応の7050系。甘木線の運行間隔と久留米市域(大善寺)以南の各駅停車を30分ヘッドに揃えることでワンマン化を実現した、ということなのでしょう。主要駅(花畑・大善寺・柳川など)は急行・特急がカバーするので、特に問題はないんでしょうね。

甘木駅を出ると、一瞬甘木鉄道と並んで小石原川を渡った後、車窓は二手に分かれて行く。途中駅の北野までは、青々とした穀倉地帯と農村集落が混在した筑後平野らしい風景が続く。北野駅で上下線の電車が交換し、久留米に向かって進路を西に変える。久留米へ出かける夏休みの高校生たちのおしゃべりに耳を傾けていても良かったのだが、とりあえずどこかで途中下車をしようかなと思い立ち、学校前駅で下車してみる。「学校前」というシンプル過ぎる駅名がそそられてしまったからなのだが、名前通りにめっちゃ学校の前にあって思わず笑ってしまった。学校前駅の前にあるのは、久留米市立宮の陣小学校。生徒が出入りする校門は一つ先の踏切から入るようで、駅に隣接するのは先生や職員の通用門のようだ。古い木造の駅舎は、駅正面に菱形のファサードを配していて、小ぶりながらも印象深い造形をしている。現在は無人駅とはなっていますが、何年か前までは有人駅で、改札業務も行われていたらしい。踏切の鐘が鳴って、甘木行きの電車がホームに入ってくる。先生は通勤楽でいいだろうねぇ。踏切の音が鳴ってから職員室を出ても、電車に間に合うのだから。

それにしても暑い。スコンと青い筑後の空から差す日差し。駅の上屋に屋根も何もない平均台のようなホームの駅で、次の電車が来るまでの30分間何もすることもないのはしんどく、思わず駅前徒歩10秒の位置にあったラーメン屋に駆け込む。ちょうどお昼時、昨日もラーメンだったんだけど、細麺で茹で時間短め、かつ配膳の早い九州ラーメンだったら、次の電車が来るまでの時間でちゃちゃっと食べてパッと出られるだろうという計算もあった。お店のカウンターに座り、「ラーメンひとつ」と頼めば、寡黙なおじさん店主が真剣な顔で黙々と麵を茹で、奥様らしき方が隣でその作業をじっと見つめているのが印象的。なんか九州ラーメンの店って大勢の店員さんが威勢よくちゃっちゃか働いてるイメージがあったのでねえ。出て来たラーメンは見た目はシンプル、スライスしたゆで卵にペラリとしたチャーシュー、海苔一枚。強いトンコツ風味に濃いめの味付けでしっかりと美味しく、並んで座ってた職方のあんちゃんがみんなご飯と一緒に食べてたんだけど、ああ、そーいう「ラーメンライス」的に食べるのにちょうどよい味付けの濃さということなのかな。んで、メニュー表見たらラーメン一杯500円、ラーメン+めしで600円なんだよね。私は大盛りにしてめしは付けなかったのだけど、商売なのだから、もうちょっと値段取ったら?って思わなくもない。それともラーメン一杯で簡単に千円以上になってしまう東京の物価がおかしいだけなのか。

ちなみに甘木線で降りてみたい駅、学校前の次点が古賀茶屋駅だった。
「こがちゃや」じゃなくて「こがんちゃや」なの、何で?って思うじゃないですか。

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太宰府の夏、いずれにしても夏。

2024年09月20日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(日本で一番暑い夏@太宰府駅)

太宰府駅を正面口から。天満宮を模した雰囲気のある駅舎である。現駅舎は2019年にリニューアルされたもので、それまでは赤瓦屋根の渋い大柄な駅舎が建っていたようだ。ここまで来たらちゃんと天満宮にお参りに行かないとね・・・ということで駅のコインロッカーに重い荷物を預けて参道へ向かう。それにしても朝から鬼のように暑い。今年の夏、よく「太宰府」という地名を気象情報でも耳にする機会が多かったと思うのだけど、2024年の今年、太宰府市は「35度を超える猛暑日」の日本記録を更新し続けていて、何と9月15日の時点で延べ57回を記録しております。まさに今年は「日本で一番暑い」街だったのでありますが、熊谷とか舘林とか多治見じゃなくて急に大宰府が「暑さ」でクローズアップされたのは何故なのだろうか。一説によると、背振山地と三郡山地(福岡平野と筑豊地方を隔てる山地)に囲まれたすり鉢状の地形のせいだとか、アメダスの観測点が変わったせいだとかいろいろ言われていますが、真相は定かではありません。9月になってもまだまだ暑い日本列島ですから、別に記録はここで終わりということでもないようなので、どこまで記録が伸びてしまうのか・・・一年の約6分の1が猛暑日ってのも異常な話だ。

陽炎揺らめく天満宮の参道。石畳に猛烈な夏の陽射しが照り付けて、閃光のように跳ね返ってくる。まだお土産屋さんは何も開いていない時間ではあったが、それが逆に慎としていて神秘的でもある。この日も普通に最高気温が36℃を超える猛暑日だったようで、暑いのは知ってたから朝8時くらいに参拝に行ったんだけど、それでも既に30℃超えてたんじゃないかな・・・と。額から流れ出る汗をタオルで止めて参道を歩く。朝もはよから打ち水に勤しむ太宰府の民。あまりにも熱心過ぎて私の姿が見えていなかったのか、水を引っ掛けられそうになったのはご愛敬だ。

太宰府天満宮。藤原時平により菅原道真公が奸計にかけられ、京の都から遠く九州の大宰府に流された挙句、彼の地で客死してしまった道真公の無念を祀った・・・というのが一般的なイメージでしょうか。幼き頃から漢詩を嗜み、学問を究め、時の権力者すら畏怖したというその頭脳の明晰さで時の権力者に仕えた道真公は、没後に学問の神様として「天神様」の称号を受け、この太宰府を総本山に全国へと信仰を広めました。ちなみに、私は太宰府天満宮というと、さだまさしの「飛梅(とびうめ)」という曲を思い出してしまうんですよね。その曲の冒頭、「心字池に架かる三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が今・・・」というくだりがあるのだが、鳥居をくぐってその心字池にかかる一つ目の橋を見たら、「ああ!これがさだまさしの『飛梅』の!」となって、その歌詞が頭の中で強烈にフラッシュバックしたのでありました。

太宰府天満宮の本殿。本殿・・・?とちょっと進んで横に回ってみると、何のことはない、現在太宰府天満宮は2027年(令和9年)に行われる式年大祭のために、去年の5月から約3年に亘る本殿の大改修工事を実施しているのだそうだ。お参りできるのは手前の仮設の神殿までで、正面から見た時に足場とネットが組まれた本殿の姿を隠すように屋根の上に不自然な植栽が載せられていると言う訳だ。本殿の工事は124年ぶりだというのだから相当な大工事なのだが、意外に私はこの手の「改修工事中」に付き合わされることの多いタイプで、何年か前に伊勢神宮に行った際は「式年遷宮」だとかで本殿が見れなかったし、3年前に道後温泉も行ったときは本館が大規模工事中で入浴できなかったし、去年の夏は出雲で国鉄の旧・大社駅が大規模修繕中で姿すら見れなかった。重要文化財ものの建築物の大規模修繕ってのは年単位で時間がかかるのも珍しくはないので、別に私だけがそういう訳でもないのかもしれんが、なんか多いよね。調べてないだけ、と言われればそれまでなんだけどさ。なんか締まらないなあ・・・

若干拍子抜けしたような感じから気を取り直して参拝を済ませ、学問の神様ですから子供たちの学業のご利益を賜りたくお札なんかを授け、お守りをいただく。梅の花があしらわれた紙包みを恭しく仕舞って、心字池に架かる三つの橋を渡って参道を戻る。太宰府のみならず、天満宮・天神様と言ったら「梅の花」であるのだが、これは、菅原道真公が生涯に亘り梅の花を愛した故事にちなむ。道真公が太宰府に流される際、自宅の庭の梅に向かって詠んだ「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なきとて 春な忘れそ」の句はあまりにも有名ですよね。ようは「東の風(春風)が吹いたら、主人の私がいなくてもちゃんと花を咲かせて、その香りを(太宰府まで)届けておくれ」という別離の歌なのだが、梅の花は道真公を慕って京の都から一晩で飛んできて、太宰府に花を咲かせた・・・というのがその後に伝わる「飛梅」の伝説。さだまさしの「飛梅」という歌は、男女の別れ間際のすれ違いや心情の機微というものを太宰府と道真公のエピソードになぞらえて綴った切ない春の失恋ソングで、「あなたがもしも遠くへ行ってしまったら 私も一夜で飛んで行くと言った」という一節に、飛梅伝説のエピソードが織り込まれている。グレープを解散してソロとなったさだまさしの初期の名曲である。

駅までの帰り道、行きには開いていなかった梅ヶ枝餅のお店が開いていて、声をかけると一つ持ち帰りで焼いてくれた。さだまさしの「飛梅」では、「きみ(女)が一つ、ぼくが半分」を食べた梅ヶ枝餅。普通は逆だろう?と思うのだけど、そこらへんに二人の間に吹くすきま風というか、「ぼく」の方が関係が終わりに近いことに気付いていて、食べるものも喉を通らない感じが表現されていて繊細である。かくいう私は一緒に食べる相手もいないので、一人で一つ梅ヶ枝餅を頬張る女性側の立場でかぶりつくと、香ばしい焼き立ての餅の中から熱い餡子が飛び出てきて手も口の中も一緒に大火傷しそうになった。いやもうホント、熱いのは気温だけで十分だわ・・・

二日市へ戻る太宰府線の車内で冷房に当たって、やっと人心地着いた気になって振り返るのは暑くて熱い太宰府の夏、いずれにしても夏。

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