青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

伊勢志摩、風を集めて

2017年08月30日 21時58分52秒 | 近鉄

(待ち切れないよ@近鉄四日市駅駅名票)

今回の名古屋遠征、最終日は子供たちを鳥羽水族館に連れて行ってやる事にしたのですが、ただクルマで連れてってやるのでは面白くないと言う事で、近鉄の新型観光特急「しまかぜ」に乗るというサプライズを入れてみました。ってか近鉄の特急券予約するためにわざわざスマホにアプリまで入れてしまったよ(笑)。お盆の週だったんで念には念を入れて発売日(1か月前)の10時打ちで予約入れたんだけど、発売30分で売り切れちゃってたから繁忙期だとは言えまだまだプラチナチケットなんだねえ。

  

湯の山温泉から四日市の町に出て、駅近くのコインパーキングにクルマをデポ。ちょっと早かったんだけど、子供がせかすものだから発車の30分前から近鉄四日市のホームでしまかぜの到着を待つ事になったのですが、さすが私鉄最多の特急車両数を保有する近鉄だけはありますね。ちょっとの間でも色々な特急が見れる。アーバンライナーも伊勢志摩ライナーもいいけど、個人的には12200系のスナックカーとかいいですねえ~。我々のような団塊ジュニア世代にこのオレンジと紺色のカラーリングは実にしっくりくる。


夏季臨の湯の山特急に充当される22600系Ace。いつもは3両の普通電車が行き来するだけの湯の山線も、夏季は臨時扱いで名古屋から特急が走ります。開湯1300年の記念ステッカーを掲示し、「サマーライナー」として運転していますが、土曜日だった事もあってそこそこの乗車率。名古屋から1泊2日くらいで行くにはちょうどいい場所なのかもしれないね。


急行の近鉄名古屋行き。1440系の2連を先頭に、後ろにくっついてるのは2610系かな。名古屋線の6両急行はだいたい2+4の混結急行となっている事が多いですね。たぶん普通の近鉄ユーザーにとっちゃどうと言う事のない風景なんだろうけど、近鉄の車両のバリエーションの豊かさと細かい形式のマニアックな分け方と言うのは沼です。完全に沼(笑)。


さ、色々と見ていると時間の経つのは早いもの、次に入線するのが特急しまかぜ賢島行き。まあせっかく乗るのであれば出来れば近鉄名古屋から賢島まで乗り通したかったけど、特急料金に加えてしまかぜ特別料金(グリーン料金)が発生するので大人2人と子供2人で近鉄四日市~鳥羽が6,420円(乗車券抜き)ですから決して安くはないのです。


と言う訳で颯爽と近鉄四日市の駅に特急しまかぜが入線して参りました。正面の立体感ある六角形のフロントガラスとかにかつて北海道で走っていた「アルファリゾートトマム」感があってリゾートトレインっぽさは満々ですな。1編成6両の製造費用はおよそ18億円だそうで、伊勢志摩観光のフラッグシップトレインとして近鉄グループが総力を挙げて開発したこの50000系、ヨメさんも珍しくデンシャ関係でテンションが上がっている様子(笑)。鉄道ファンでなくとも、この外観を見れば伊勢志摩の旅への期待感は高まること間違いなしなのではないでしょうか。
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私的・いつまでも残したい鉄道風景

2017年08月28日 07時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(御在所岳を仰ぎ見て@湯の山温泉)

2日目の宿泊は湯の山温泉でした。湯の山温泉って名前だけはそこそこ有名ですけどどんなもんかいな、って感じでしたがまあ寂しいですね。ちょっとどころか結構寂しい。明確な「温泉街」というものが形成されてないのもあるけど、御在所岳から流れる川に沿って宿がポツンポツンとあるような感じで、浴衣着た湯客がそぞろ歩くような感じでもないし…宿の窓から山の頂上に向かう御在所ロープウェイが良く見えた。中間にある61mの白い大鉄塔は伊勢湾からも見えるという御在所のシンボルで、ロープウェイの支柱としては今でも日本一の高さを誇っています。


夜半の雨も上がり、いい天気になりそうな最終日。相も変わらず朝食前にそっと宿を抜ける。朝焼けの湯の山温泉駅には夜間滞泊の列車が2本、社員さんが始発列車の準備を始めていました。ちなみに湯の山温泉は山の中、湯の山温泉駅は山の下という位置関係にあり、温泉街と駅はだいぶ離れていてその間をサンコーバス(三重交通バス)が結んでいます。近鉄の湯の山線は大正時代に軽便鉄道として四日市鉄道が敷設した路線。現在でも軌間762mmのナローとして存続している内部線・八王子線(現四日市あすなろう鉄道)と同じ出自を持っていて、近鉄と合併する前は三重交通でした。御在所ロープウェイも三重交通が作ったもので、湯の山・御在所周辺の観光開発には三重交通もかなり力を入れていたようです。


さて、湯の山温泉から朝早く出て来て何を撮りに行ったかと言うと、いなべ市内を走る三岐鉄道の貨物です。が、基本的に日中の3往復はだいたい走っていますが朝晩のそれぞれ1往復はその時の出荷状況次第という運任せのダイヤ。んで、その運転されるかどうかわからない朝5時台のセメント便(3710レ)を狙いに行ったんですが、まずは中間駅の保々へ。交換する炭カル便の電気機関車がパン上げして待機していたので、これは東藤原からのセメント1便が走るのではないかという事で丹生川の陸橋へ急ぎます。保々から丹生川の陸橋までは大安の神戸製鋼の裏を通って15分くらいでしょうか。


通称ミルクロードと呼ばれている県道140号線の丹生川の陸橋、三岐鉄道と言えばここ!という随一の撮影地で、陸橋の上には既にファンの方の姿。おそらく地元氏とお見掛けしますが、地元氏が張っていると言う事は運転確定の赤ランプでしょう。太陽に薄雲噛んでいるのがやや残念ながら、藤原岳と竜ヶ岳の稜線はクリアな見晴らし。鈴鹿山脈をバックにした定番の構図で陸橋の上でアングルを決めて待つ事5分。遠くから鼻の詰まったような独特の吊り掛け音が聞こえると、やがてジャガイモ畑の中を一直線に、ゆっくりゆっくり3710レが姿を現しました。


陸橋の逆サイから後追いで。朝もやの空気の中を、16両のタキを連ねて貨物列車が富田へ向かいます。かつては「3S(石油・セメント・石灰石)」と呼ばれ鉄道貨物の中でも重要な位置を占めていたセメント輸送ですが、平成22年に秩父鉄道のセメント輸送が終了し、それ以降はこの三岐の東藤原~四日市港間の運行が日本最後のセメント輸送になってしまいました。

いかにも私鉄電機らしい40トン級のED45(重連)と、あくまで無骨なタキ1900の渋い組合せは、私的ではありますが「いつまでも残したい鉄道風景」の一つでもあります。
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いつまでもあると思うなこの風景

2017年08月27日 07時00分00秒 | 関西本線

(橋が閉まります@末広橋梁)

「リニア・鉄道館」の後は四日市方面へ。宿へ行くにはちょっと早いので末広橋梁へ寄って行く事にします。午後3時前のセメント便の時間に合わせてちゃーんと橋が閉まるところから見せてあげるのはお約束。「鉄道橋ではこのような跳開橋は全国でもここだけ。めっちゃレア」と言う前説をしてあげたのにオンナと言うものは「ふーん」と生返事をするだけで後ろの席でピースカ寝ているのだから全く産業遺産に対するリスペクトがないね(笑)。というか脳みその構造的にこういうものに興奮するのってのは男脳ではあるのでしょうね。

 

ただ、アタクシとしても末広橋梁の開け閉めはそらもう何回も見てますし、改めての感想がある訳でもないし、まあ子供に見せてあげたかったというそれだけの理由ではある。東藤原からのセメント輸送が止まったらいつなくなってもおかしくない風景ですし、そもそもDD51がそう長くはない。今日のセメント担当は旋回窓の1146号機でした。


どんよりした雲の下でボラがピョンピョン跳ねている末広運河。受け渡し線での入替を終えて、これまたのんびりと軽くなった荷物を牽いてDDが橋を戻って行きます。臨港線内は操車の方が踏切を閉めて行くので非常に足が遅く、こっからクルマで追い掛けて臨港線でもう2、3発撮れますけどこの曇天では別に撮りたいカットもないので、という感じ。


前日は清州で撮った8072レの四日市発車を。891は朝にキリン踏切で撮影した時は名古屋貨タへの単引きでしたが、稲沢で1028と重連を組んで四日市まで8079レで下って来たようです。いつもの北浜踏切先ではなく丸池踏切でイン側からやってみました。紫煙を上げて速度を上げて行くDDはカッコいいですが、タキがフルの14Bではちょっとケツが切れてしまいました。


改めて広角に開いてもうワンカット。丸池踏切も最近になって絶妙なところに非常ボタンが立てられて非常に撮影しづらくなりましたね。この後5分で続行のセメント便が四日市を出発しますが、それはさっき臨港線で撮ったのでお宿へ向かうとしましょうか。
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名古屋の港の果ての果て

2017年08月26日 08時56分52秒 | JR

(SCMAGLEVって何ですか?@リニア・鉄道館)

雨の稲沢のお宿を出て、この日は金城ふ頭にある「リニア・鉄道館」へ。名古屋港の南の果ての果てにあるので、枇杷島から延々と庄内川の堤防道路を走って行ったんだけど、稲沢からだと結構遠かったねえ。ちなみに「SCMAGLEV」というのは「Superconducting Magnetic Levitation Railway」=超電導リニアの事らしい。スーパーコンダクティングマグネティックレビテーション=超電導と言う事ですか。この辺りいかにもクイズで出そうなので覚えておいて損はない知識かもね(笑)。


名古屋からあおなみ線で30分。そして車だと伊勢湾岸道の名港中央ICを降りてすぐ。「リニア・鉄道館」はポートメッセなごやだの、ファニチャードームだの、そして鳴り物入りで作ったものの「内容の割に高過ぎる」と評判が最悪なレゴランドなどのレジャー系施設が立ち並ぶ一角にあります。ちなみに日本の鉄道系博物館と言えばJREの鉄道博物館(大宮)、JRWの京都テッパク(梅小路)、そしてJRCのリニア・鉄道館ですから、これで3つともコンプリートした事になります(笑)。

   

エントランスホールにはC62に新幹線955型、そしてリニアMLX01-1が「日本の高速鉄道のシンボル」として展示されています。どれもその当時の「世界最速」を記録したスピードメーカー。C62は日立製作所製で名古屋機関区に籍を置いた地元のカマで、長らく東山動物園に展示されていたのをリニア・鉄道館の開館に伴い収蔵されたそうな。新幹線の試験用車両である955型は平成8年に時速440.3kmを記録した車両ですが、これと同じのって米原の鉄道総研に置いてあって新幹線から見えますよね。リニアは…山梨のリニア実験線で走ってるのってこの形でしたっけ?(リニアに興味ない勢)。

 

メインホールの落ち着く展示物(笑)。やっぱこういうのが鉄道博物館っぽさあるよね。リニア・鉄道館の建設以前にはJR東海は飯田線の佐久間駅に「佐久間レールパーク」という鉄道公園を持ってたんだけど、ここの収蔵物はそこで保存されていたものも多い。佐久間時代には飯田線ゆかりのED62とか保存されてたらしいけど、こっちには持って来なかったみたいね。EF58157号機は「イゴナナ」の愛称で親しまれ、一線を引いた後は浜松所属のイベント機として様々な記念列車の先頭に立っていたのは旧型電機に疎い私でも知っています。

  

案外こんなところがグッとくる特急しなの381系。先代のしなのに使われていたキハ181系と並べての展示。我々世代の「振り子特急」と言えば特急くろしお・特急しなのに投入された381系ですよね。現在でも伯備線の特急やくもで活躍中。そう言えば大学時代に「信州ワイド周遊券」を買って、川崎の実家から名古屋(笠松競馬)と高崎(高崎競馬)を長野回りで巡った事がありましたねえ。ワイド周遊券では行きを名古屋経由の中央西線回りに出来たので物凄いお得でした。周遊券区間では特急の自由席に乗れたので、わざわざ中津川まで普通電車で行って特急しなのの自由席に乗車した記憶がある。翌日は特急あさまで高崎へ出たのだから今思えば楽しい鉄道の旅であった。

  

流線形の車体が美しいクモハ52。これも佐久間保存車。東海道線京阪神地区の快速ランナーとして戦前から活躍、晩年は飯田線でローカル輸送に徹し切った根っからの通勤型車両。このマルーンとベージュの塗り分けは後に117系に引き継がれ、新快速色の起源となる訳ですね。湘南色の113系は関東圏でもポピュラーだった東海道線の車両、貫通路に出された「322M」の表記は、JR発足時だと静岡5:30発の東京行き始発電車だったようで、そんなところも芸が細かい。まだ当時は東京から浜松行の普通列車が出ていて、あまりJR同士の境界みたいなものはありませんでしたね。

  

保存フロアの一番奥に並べられた面々。165系と381系のクロ381(パノラマシート)の並びがいかにも「神領電車区」っぽさあるよね。165系で言えば急行赤倉、急行伊那路、急行ふじかわで活躍していた印象もありますが、個人的には晩年の中央西線のローカル輸送のイメージが強いですね。中津川から塩尻までの普通電車はだいたい165系だった記憶がある。キハ82特急ひだ、合掌造りのHMが懐かしいですね。個人的にはこのキハ82系に準じた名鉄のキハ8000系で運転されていた特急北アルプス、昭和62年のダイヤでは新名古屋を11:15に発車し、鵜沼から高山本線に入って4時間半かけて富山着15:41という長距離特急でしたが、さらにシーズンは富山地鉄に乗り入れて立山まで行っていました。名鉄が中部地方の雄として君臨していた栄華の時期であります。犬山橋を渡る北アルプスとか今だったら間違いなく撮りに行く案件でしょうな。

  

新幹線100系。新幹線になると途端に喋る事が少なくなるのは興味の多寡の問題ですが、それでも100系は真ん中に組まれたサロとサシの2階建て車両な!ここの2階の食堂車でメシ食うのが子供の頃の夢だったんだけど、自分のカネで新幹線に乗れるようになった時には2階建て新幹線なくなってたからな。100系はサシ抜かれて最後は4連とかで西の果ての末端運用に就いていたのは一抹の寂しさがあった。

  

「THE SHINKANSEN」の嚆矢たる0系新幹線。車内にも入れますが、椅子に座ったりしてみるとまあ今のN700なんかと比べるべくもない貧弱なシートだったんですねえ。車内は整備されているのだろうけど、どことなくスモークフリーだった時代を思わせるヤニ臭さがあるようなないような…何回か0系にも乗ったと思うんだけど、ここまで貧弱なシートだった記憶がないので既に改造済みだったのだろうか。300系新幹線ね。アンビシャスジャパーンな感じだよね。この300系デビューってのぞみと同時スタートだった記憶がありますが、名古屋の黒歴史こと「名古屋飛ばし」については一言も触れられていなかった(笑)。

 

子供が大好き鉄道ジオラマは、ナガシマスパーランドに名駅に新幹線に富士山という「ザ・JR東海」な組み合わせ。展示物に占める新幹線車両の割合が多いのがこの博物館の特徴ですが、「新幹線=東海道新幹線」であるというJRCの強烈な自意識とある意味アッパーな態度は、こーいうとこのなんとない展示にも現れているような気がします。


さてこの「リニア・鉄道館」。感想としては新幹線の実車を中心にした展示中心で、実車に思い出のある人はそこそこ楽しめるのではないかと。あと「リニア」と謳ってる割にはリニア部分の展示が少ないですね。いや、別に構わないんだけどリニアに興味があるなら山梨のリニア見学センターに行った方がいいと思う。あとこの手の博物館のお楽しみであるシュミレータみたいなのは僅かな人数だけが体験出来る抽選制になってしまっていて、ほとんどの人にやるチャンスがないのはケチくせーなーと思いましたね。それと大宮・京都と比べると圧倒的にスペースが少ないので一日遊べるというほどでもない。午前か午後で十分のような気がしましたな。周りにメシを食うようなところもないしね。うん、ちょっとネガティブな反応に終始しているのは、車両なんて313系とN700系だけあれば十分でしょ?と思っている会社の作った施設っぽさが随所にみられるからなのでありましたw
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雨の多い夏

2017年08月23日 07時00分00秒 | JR(貨物)

(夜明けの2083レ@キリン踏切)

夜更けから雨が降り始め、2日目は暗い朝でした。時折激しく道路を叩くように大粒の雨が降って来るし、そもそもが関東よりも西の国で夏至からこちらだいぶ日の出も遅くなっていますので、全くもって露出が出ない悪条件…もう出るの止めちまおうかとも思ったんだけど、せっかくここまで来たのに勿体ないという貧乏根性だけで枇杷島駅北の通称キリン踏切に行ってみました。朝5時過ぎの2083レはとても止めて撮れる状況じゃなく流すのみ。


朝の5時台は、主に四日市方面へ下って行くDDを中心に。冬場ならここにロクヨン重連の南松本行き6883レが混じるんだけどさすがに運転はないと思われる。塩浜までタキを戻す返空5263レ。スノープロウ付きの1801号機を先頭にやって来ました。露出が厳しいのでいつもなら使わない感度まで上げて撮ってるんだけど、さすがにノイズ厳しいですね。


新座発名古屋貨物ターミナル行き99レ。稲沢で折り返して名古屋貨タまでがDD51のエスコート。DD51891は今年の2月に南四日市で撮影したカマだな。割と私が訪問する際には会う事の多いカマだと思う。


札幌発名古屋貨物ターミナル行きの4084レ。富山機関区のEF510が青森からはるばる日本海縦貫線を牽引して名古屋までやって来ます。日本海縦貫線と言うと敦賀で機関車交換しているイメージがあったんだけど、最近は新鶴見とか名古屋あたりのターミナルまで直通する事でスピードアップを図っているようですね。EF510と言えば、貨物運用に就く前は田端で北斗星やカシオペアの本務機を務めていた最後のブルトレロコでもあります。


5580レは衣浦臨海鉄道の碧南市行きフライアッシュ便ホキ。真ん中の稲沢線を通って来るのかと思ったら一番手前の東海道線を走って来た。まあまだ朝の早い時間なので、旅客列車に支障しない時間帯ならそのまま東海道線を走る貨物もいるのだろうと思われる。思わず近い位置での撮影となってしまったため被写体ブレの大失敗w


西からEF66の再若番である27号機が接近しているとの事で、宿に帰りがけ清州の駅近くで待ったのだがここで突如の大雨…手元のスマホに「土砂災害警戒情報」だの「避難準備情報」だのエリアメールがバンバンに入ってくる中、ビニール傘で我慢しながら待っていたのだがさすがにここまでの天気になるとは…撮るには撮ったけど、もうカマ番も何だか分かりゃしないし(笑)。

さすがに撮影が続行不可能となり、消化不良のまま宿に戻る事になりました。
びしょ濡れになってしまったのだけど、ビジネス旅館だからコインランドリーがあったのは助かったw
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