澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

金美齢 「不満の春」にも花は咲く

2008年04月04日 11時38分59秒 | 台湾

評論家 金美齢氏が「産経新聞」(4/4)に「”不満の春”にも花は咲く」という一文を寄せている。

人の世に何が起ころうが、花は咲く。満開の桜を前に、傷心の身は呆然と立ち尽くし、上野の花見に招かれていたのをすっかり忘れ、失礼してしまった。

金さんが「傷心の身」と言うのは、先の台湾総統選挙において、民進党の謝長廷氏が国民党の馬英九氏に大敗したからである。彼女は、台湾が日本の植民地統治から逃れ、国民党が支配するようになって以来ずっと、台湾独立運動を続けてきた闘士として有名であり、国民党政府と北京政府の両方から要注意人物として抑圧を受けてきた人物である。

台湾の民主化以降、李登輝総統のもとでは政策顧問として活躍し、日本と台湾の関係に心血を注いできた。時流になびく日本のマスコミが、北京に媚びを売り続けても、彼女のスタンスは一切変わらなかった。
その彼女が台湾総統選挙の結果を「傷心の身」と表現して悲しんでいるのだ。選挙戦は、国民党の馬候補が優勢と伝えられてきたが、選挙の終盤にいたってチベット騒乱が起こり、「今日のチベットは明日の台湾」という危機感が、民進党に有利に作用するのではないかと伝えられた。

「国民党の独裁と白色テロに苦しんだ台湾人が、中国のチベット制圧に危機感を募らせるのは理の当然。これで「勝った」と断言した雑誌編集長もいた」のだそうだ
だが「チベットは遠く、台湾人は無関心だった。50年の長きにわたって中国人に抑圧された苦難の記憶もすっかり消えたのか、連帯の気配はない」
という状況だった。

結果は、民進党の大敗。金さんは東京へ帰る機中で、スタインベックの「われらが不満の冬」を思い出したという。そして次のように記す。

「半世紀にわたる台湾独立への道も、怒り、たたかい、連帯、希望、そして”われらが不満の春”を迎えた。一体全体誰が敵なのか。”怒りの葡萄”にも同じような慨嘆があったと記憶している。」

「それでも花は咲く。…今日4月4日は日台交流サロンのお花見。8階の優先席からワイン片手に御苑を見下ろし、この世の憂さを吹き飛ばそう。」

台湾独立運動の先知先覚である金さんは、「民主的」に行われた今回の総統選挙に異を唱えるわけではない。だが、「民主化」された祖国の「大衆」とは、このようなものなのかという慨嘆がつきまとうのだろう。それは、かつて三島由紀夫が戦後日本の「民主主義」体制に抱いた違和感と共通するものがあるに違いない。

この金さんの名文をぜひ多くの人が読んでほしいものだ。「朝日新聞」だけが新聞ではない…。


映画「靖国」のゆくえ

2008年04月04日 10時08分07秒 | 音楽・映画
映画「靖国」の上映拒否が話題になっている。

この騒動で「世界はどう日本を見ているか」という、いつものマスコミ論調が登場している。すぐに「南京大虐殺」報道を思い浮かべるのだが、「反省すべきところは反省して、まあまあ仲良く…」といった、日本特有のいい加減な報道姿勢が、今日の中国の強圧的な態度を招いたことを忘れるべきではない。

自民党議員がこの映画の試写会を要求したことから今回の「事件」は始まった。自民党→靖国参拝派→改憲派→反動的勢力という、ステレオタイプの分類しかできないマスコミにとっては、これは格好のネタだったのだ。「第4の権力」であるマスコミは、「報道の自由」という建前が「メシの種」になっている。何かあればすぐに「報道の自由」を持ち出して、権力を正すようなポーズをとるのだが、現実のマスコミ報道は、正義や真実の追究とはほど遠い記事で溢れている。「靖国」問題についても、現代国家における宗教と政治という観点から論議した番組、紙面は皆無である。

このようにいい加減な日本のマスコミが、上映中止を騒ぎ立てるとどうなるか。中国や韓国にすぐに伝わり、「反日」宣伝の格好の材料とされることは間違いない。
騒がず、静かに上映させておけば、見に行く人などいなかっただろうに…。「反日」どころか、映画そのものの宣伝にもなってしまったわけだ。