澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

国連親善大使・加藤登紀子を斬る!

2008年04月11日 12時19分27秒 | Weblog

若い世代の人は、「国連環境計画親善大使」加藤登紀子を、オバサン歌手で、黒柳徹子と同じ様なボランティア活動をしている人だと思うだろう。

今朝もNHKの「環境番組」に出演し、何やらもっともらしい「環境論」を喋ったあげく、「La Revolution」という自作の曲を唱っていた。歌詞の内容は、いつもの説教じみたものなので、ここで採り上げるまでもないだろう。


加藤の「思想遍歴」は、実にいい加減だ。’60年代末の全共闘時代には、「反体制」を気取り、学生との連帯をうたう。学生運動が下火になると、アンデスのフォルクローレを採り上げ、「第三世界」云々と言い出す。それが飽きるとロシアの流行歌などを採り上げる。服役後の夫(藤本)とともに、「大地に還る農業」を始める。

「新左翼」くずれであり、「市民運動」のシンパであるのは明らかなのだが、つねに「おいしい」部分だけをつまみ食いしてきた人なのである。一貫した思想を持つならば、「国連親善大使」などという「体制内」の「名誉職」を喜々として受けるはずもないだろうし、恥ずかしくてとても受けられないだろう。
自らの「思いこみ」だけで人に説教を続け、それが結構上手くいく、実に幸せな人だ。だが、不誠実な人であることも間違いない。


「革命」と名付ければいいものを、新曲を英語でもなく、フランス語で「La Revolution」と名付けるこの欺瞞! 「環境」を商売にして、善良な人々にお説教を続けるこの人、その根本にあるのは何か分かりますか? マルクス主義の概念に「前衛」という言葉がありますが、それですね。加藤は常に「指導する人」「説教をする人」であり、加藤の「市民運動」に参加する人は、指導される「大衆」なのだと言うことです。
「東大出」という肩書きのイヤらしさもふんぷんと伝わってくる。以前、衛藤瀋吉氏が加藤のことを「東大にいたけど、全然勉強しなかった」と言っていたのを思い出す。


加藤の歌を聴いて、「感動」したり「何かしなければ」とか思ってはいけません。彼女のペテンにはまるだけですから…。

 

 

 


善光寺の聖火リレー

2008年04月11日 10時14分05秒 | Weblog
4月26日、長野で北京オリンピックの聖火リレーが行われる。

チベット弾圧に抗議して、各国で聖火リレーに対する反対運動が行われているが、日本ではどうなるのだろうか。
福田首相は「まあ、なんといっても暴力で平和の祭典を妨害するのはよくないことでしょう」などとコメントしていたが、一国の首相の発言とはとても思えない軽さだ。

あるブログを見ると、第2次大戦当時、チベットは「大東亜戦争」を支持したが、1949年中共※が大陸を支配すると、それはチベット制圧の理由のひとつとされたそうだ。少なくとも当時のチベット政府は「大東亜共栄圏」の「理想」を信じたという歴史的事実があるのだ。

現在の中国のチベット政策は、アメリカの西部開拓史と同じ様なものだ。鉄道を引き、圧倒的な物量、人員を動員して、原住民の歴史、文化、生活のすべてを奪い去るというやり口だ。漢人女性はチベット人と結婚してもいいが、チベット人男性は漢人とは結婚できないという、にわかには信じがたい政策が採られているという。

このような差別施策、民族絶滅政策に反対して、僧侶までが立ち上がった「ラサ暴動」を「暴力は良くない」という一言で片づける、この愚昧さ、無神経さは何なのかと思う。
といっても、そういう自分自身が長野まで行ってデモに参加することはできないのだが…。

このところ、中国という国の本質、中華思想のイヤらしさがはっきりと見えてきた。隣国こそ、最も気を付けなければならない国なのだ。

※「中共」は中国共産党を指す。この言葉は、中国の蔑称だとして、ワープロソフトなどでは、変換出来ないようになっている。試しに、「ちゅうきょう」と打ってみてください。こんなことまで、中国に遠慮しているわけです。