イチョウが鮮やかに黄に輝き、サクラも大分葉を落とした。
病院への帰りに、暮れなずむお城を巡った。
若商前から
日中、久しぶりに風のない小春日和に恵まれたが、気温はそうは上がらなかったようだ。
昼過ぎから雲が出てきて、傾き始めた太陽がぼんやり天守閣を照らしていた。
橋
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いい光景に出会った。本丸に入ると静寂に、きれいな歌声が聞こえてきた。
「静かな静かな 里の秋~」 「兎追い しかの山~」
二十人ほどの団体が、荒城の月の歌碑のを囲んで、ギター、バイオリン、アコーディオンの演奏を前に歌っていた。皆お年を召した方々おようだった。
コーラスを聴きながら、堤に登り、茶壺櫓から遠く磐梯山を望んだ。色づいた木々の間に天守閣を撮った。
月見櫓
多分、「荒城の月」も歌ったのだろう。どれも秋のお城での心に響く歌声だった。
やがて解散して堤に上がってきた一団に聞いたら、福島からの日帰りの旅という。
手にしたパンフレットを見せていただいた。
「修学旅行 歌のふるさとめぐりと会津に歴史・自然探訪の旅」とあった。
なかなかの企画だと感心した。自分もこんな旅に参加して、コーラスを楽しむ、そんなゆったりした豊かな旅をしてみたいと思った。
明治31年に28歳の土井晩翠は東京音楽学校の求めに応じて「荒城の月」を作曲した。
その際、第二高等学校在学中に訪ねた会津若松城址を詩材とし、仙台青葉城でも稿を練ったという。その思いが石碑の裏面に刻されていた。
「荒城の月碑」は、鶴ヶ城、青葉城の他、作曲者滝廉太郎の故郷大分県竹田城址の三ヶ所にあると言う。
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照りそいし
昔の光いまいずこ
誰もいなくなった歌碑の前で、荒城の月を口ずさんだ。
急に切なくなって目が潤んだ。
陸上競技場の門を入ると、すっかり日の落ちたグランドに部活の高校生が走っていた。
遠くに麗しの磐梯が凛々しく聳えていた。
少し沈んだ気持ちが晴れ、明日への勇気を貰ったような気がした。 (2011.11.2)