エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

シンポジウム《新島八重 その時代の女たち》 

2012-12-02 | 文芸

  来年のNHK大河ドラマは『八重の桜』、会津は今「山本八重」一色だ。
 会津大学の講堂で、シンポジウム 《新島八重 その時代の女たち》が開かれた。
 主催は福島民友新聞社、すぐに申し込みをして、入場券が届いた。
 早い昼食を済ませ、天気は良いが気温2℃、防寒して自転車出でかけた。
 午後1時に開演、聴衆は約200人くらいだろうか、ゆったりした気持ちで講演を聴くことができた。


 
基調講演
 直木賞作家・中村彰彦氏の『会津女性の精神史―戦国・江戸・幕末・近代』
 八重は力持ちで、強い女性と言うイメージだが、従来、歴史の中で強い女性か語られなかったという。
 弥生時代のリーダー的な卑弥呼に始まり、源平時代の女武者、たとえば巴御前や越後の板額御前、さらには信州高遠の諏訪はな、江戸時代の武芸に秀でる別式女などを話題に、たくましい、骨太な行動を取る女性を紹介した。
 また、八重が籠城し、最新鋭のスペンサー銃を使った訳や、弟の遺品を着て男装したが、男装の歴史についても触れた。
 この講演の中身は、今月末に発売の雑誌「オール読み物」に書いた内容とのこと。機会があれば読んでみたい。また、話題となった女性についても調べてみたいと思っている。

 ○トークショー『激動の時代を駆け抜けた会津の女性像』を聞いた。
 主席者は中村彰彦氏のほか、漫画家の松尾しよりさん、若松城天守閣学芸員の湯田祥子さん、末廣酒造の新城希子さん。司会は博物館学芸員の渡部綾子さん。
  それぞれの会津との関わり、会津の印象などについて話された。
中村さんは、綱淵謙錠著の「戊辰落日」を読んでいた時に、子供が生まれた。子供を殺めて自害する壮絶な描写に、書かなければと思った。会津人はシャイだ。文化レベルが高いと。会津出身の湯田さんは、会津を離れて初めて歴史の重みを知った。会津の人は頑固だと。
 湯田さんから八重の生涯が話された。
 山本八重さんは88歳でなくなるが、会津にいたのは20年、彼女の会津時代の生活が話された。会津時代が脚光を浴びるが、その後京都での別の人生を歩む。結婚生活は14年で襄に先立たれ、未亡人として40年近く力強く生きた。根底には「ならぬことはならぬ」があり、いろいろな誤解、非難を受けながらも信ずる道を進んだ。襄は「美しい行いをする人」と言った。ハンサム・ウーマンはそこから。
  激動の時代に活躍した女性は何人もいるが、湯田さんは山川捨松について話され、八重とのかかわりも知った。

  中村氏の会津の幕末史の別の視点に興味を持った。
 会津藩の樺太出兵、江戸、三浦半島の警備など、国防の第1線は会津藩との評価が、戊辰戦争につながった。困ったときには会津藩であった。また、会津藩の開城は正しかったと。辛いことだったが、その後の.山川健二郎、柴五郎、松江豊寿などの人物を輩出できた。 そして、会津の幕末史では、保守的と進歩的のせめぎ合いがみられたと。医者も、幕府では漢方医だったが、山本家、山川家は蘭学、たとえば天然痘の種痘をするなど新しい合理的、進歩的な考えだった。

  帰りに、孫に読ませたいと思い、松尾しよりさんのコミック
 【清らかに たかく ~ハンサム・ガール 八重の生き方~ 】を購入、サインを頂いた。

  4時をまわったが、薄暗いグランドサッカーの練習の声が聞こえてきた。すでに葉を落としたポプラ並木の向こうに、厳寒の磐梯が聳えていた。

  

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