エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

八幡神社 例大祭

2020-07-16 | 日々の生活

 町内にある八幡神社の例大祭があった。

  昨年、町内の仕事からは手を引き、長老としての参列した。

 お日市は、いつのころからか町内のお祭りの位置付けもあり、毎年7月第4土曜日に設定している。

 でも、今年はその一大行事もコロナ騒ぎで中止となった。

  

 例大祭には、わずか町内会役員数名の参列だった。

   静寂の中、神主の祝詞、小鳥のさえずりに、いろいろな思いが去来した。

  2年前の7/15早朝は、祭禮の準備中に救急車で運ばれた。大病から生かされて16年目の再発だった。

  また奇跡的に生かされたと思っている。

  

  八幡様は、我が戌年の守護神でもあり、常々こころの整理にお参りしている。

  久々に登った拝殿からの眺めには、いつもこころが落ち着く。

  家族の健康、こころ豊かな明るい日々をお祈りした。

   帰りに境内を歩いた。隣の旧滝沢観音堂もお参りした。

   旧滝沢観音堂

あらためてネットで検索してみた。

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  【一箕八幡神社】
  用明天皇年代(585~587)、京都/石清水八幡宮の分霊を勧請し、前方後円墳の頂に創建。 当初は小さな祠であったという。
 祭神は、品陀和気命ほんだわけのみこと (最初に仏名「八幡大菩薩」を持った神)。
 総本社は、大分/宇佐八幡宮。
 寛治年代(1087~1094)、源義家が出羽国/清原氏征伐の御礼として社殿を建立。その時に、動員した農民1万人に一箕ずつ土を運ばせて築いたことから、「一箕」の地名が生まれた。 
 寛永年間(1624~1644)、加藤嘉明公が修復。
 宝暦8(1758)年に奥殿、万延元(1860)年に拝殿が再建されたが、戊辰の役で焼失した。
 戊辰の役では、国産奉行/河原善左衛門の親子兄弟3人が境内で壮絶な戦死をしている。
 自然景観指定緑地の1つ (第4号)。
【旧滝沢観音堂】   
  元来は慶安三年(1650)に一箕八幡神社拝殿の西に建立された.しかし,明治の廃仏毀釈の影響をうけ,滝沢観音堂は,不動川上流の現在の位置に移動される.滝沢観音は,不動川上流に移動されたが,建物自体は,現在でも拝殿の西にある.

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あらためて神社の歴史を学んでみたいと思っている。