エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

帰る旅

2010-04-06 | エッセイ
                            【ミスミソウ満期】

   
何年も前、突然届いた「みちくさ新聞」に素晴らしい心をいただいた。
久しぶりに、お世話になった斉藤さんの心に響くコラムに接した。  


     
(みちくさ新聞 153号のコラム「あぜ道」から)
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「この旅は/自然へ帰る旅である/帰るところのある旅だから/楽しくなくてはならないのだ/もうじき土に戻れるのだ/おみやげを買わなくていいか」。高見順氏の詩「帰る旅」の一節だ。人はどこかでターンしている。折り返し点は、すべてが終わって、気がつくのだろうか。もう登りではない、下りである。幼い頃に原っぱで見たあの胸ふくらむ夢はない。十代の頃のあのせつない憧れはもうない。二十代の頃の上を向きっぱなしの首の疲れはもうない。下り坂は見えるものが違う。がむしゃらだった登りではなく、時々ゆっくり休み、景色を心に留めながら下りる。どこまで登れるだろうかという心配ではなく、どこまで下りればいいのだろうという心配になる。人は確かにいつかターンしている。華麗なターンなど、誰もしていない。詩人の佐々木幹郎氏がヒマラヤを苦労して下りた時に感じたこと。「なにか柔らかい感触に包まれて、体が自然にほどけていく。涙があふれてきて、いつのまにか子供のように大声をあげて泣きながら歩いた。山をのぼる時に考えたさまざまな思いや悩みが、山をくだる時にはすべて豆粒のようにみえ、いっさいが肯定されているということを全身で感じた」。お土産は下り坂にある。
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素直に受け入れた。ゆっくり景色を心に留めながら山を下って行きたい。
今日も平々凡々と一日が過ぎた。
今日、武琉君2年生、明日は萌香ちゃん年長組の新学期のスタートだ。 




【咲いたキクザキイチゲ】

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「帰る旅」 高見順

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ

おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと行った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩をかいて
はかない旅を楽しみたいのである
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