昨日の朝、前日の思いをブログ更新予定だった。
その後の大地震で、ネットがつながらなくなった。
「窓越しの闇の庭に」
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寒い北風の夜、カーテンを開ける。
暖かく明るい世界から、ガラス越しに、零下の闇の世界を見る。
オンザロックのウイスキーを手に、降り続く横殴りの雪をぼんやりと見つめた。
白くなったツバキの茂みが揺れ、暗闇に足下の雪が妙に明るい。
そんなとき、人生の一瞬間が止まって、生かされている自分を意識した。
ひととき、自然に囲まれる幸せを実感した。(2011.3.10)
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3月11日 午後2時46分、国内史上最高の巨大地震に襲われた。何と、マグニチュード8.8だった。
ラジオで警報音と共に「緊急地震情報」が知らされた。
妻と、幼稚園kら帰った場kりの窓と一緒にコタツに正座して数秒待った。
すぐに揺れが来た。大きい揺れだった。
はじめガラスの入った本箱をおさえていたが、そのうち本棚の上のものが落ち始めた。
かつて経験したことのない恐ろしい揺れだった。
孫を連れて表に出ると、近所からもみんながでていた。
その後、すっとテレビにくぎ付け、ときどきの余震も怖かった。
一晩、余震に何度も起こされて睡眠不足だった。
今朝もテレビに惨劇を見つめながら、涙が流れた。
その後、原発の冷却失敗からの事故が心配、不安でならなかった。
一時はチェリノブイリ原発事故を思い描き、気が気でなかったが、
夜分、総理談話で原子炉格納容器には損傷がないことを知って
ひとまず胸をなでおろすことができた。
我が家が皆無事でテレビを見る。申し訳ない気持だ。
沢山の死者、行方不明者が出ている被災地の状況を前に、
ただ運がよかった自分、何かすることがないだろうか。
一日も早い復興を願いたい。精一杯助け合って。

お見舞いありがとうございます。
先ずは、原発事故が心配です。
かつてのわたしの大テーマ「自然・人間を念頭に置いた工業技術教育」を思い出しました。
それ以上に不安なのは生活物資です。
買い物に出た娘、妻の話にびっくりです。楽観すぎだと、妻にしかられる始末。
ガソリンも灯油も、食料品はどこでも買えずに帰ってきました。
スーパーの冷凍食品も全くないと。恐ろしいことです。
ここでも、人間の弱さを思います。
大地震を機に、あらためていろいろ考えさせられています。本当の豊かさなどを。
他国で頻発する事故や災害を、他人事と見下していた自分がいます。
対策に完全無欠等あり得ないことを思い知りました。
便利さを当たり前に享受してきましたが、その代償の大きさに愕然としています。
正に地獄絵です。切なくなります。
いわきの知り合いの被害状況がわかり、改めてひどいことと落胆します。
原発は平和時とは見方が一変しました。
最悪の場合を想定しての備えが甘かったと思います。ともかく、被害を食い止め、収まることを祈るのみです。
長野の地震も三陸沖と無関係ではないでしょう。お気を付けてお過ごしください。
自信の混乱で、生活面でもいろいろ不安な状況が出ています。割と楽観的に見ていましたが、近くのスーパーなど、特に食料品などはほとんどありません。今後の入荷が心配なようです。また、灯油やガソリンもなくなりつつあり、今後どうなるか心配になります。
ともかくは、原発が心配です。
被害はありませんが、余震や原発が怖いです。
市内では道路の陥没、断水地区もあります。
スーパ等の品不足、買い占め等の心理も心配です。お元気でお過ごしですか。
またお会いしたいです。
御無事とのこと何よりでした。
神も仏もなき地獄絵図を見せられて心が痛みます。
余震も収まらないようですからくれぐれも身の安全にご留意されますよう祈念申し上げます。
原発の避難地区内に姪夫婦が住んでおりますが、たまたまご主人の定年退職記念に海外旅行に出かけておりました。帰国したら実家のある当地に直行するよう連絡をしたと実家の跡取りが連絡したそうです。
それにしても発電機の管理などの東電の不手際には腹立たしい限りです。
深夜にお伺いしたその日の午後の出来事でしたので心配していました。
原発が一番の心配ですが、これ以上の事が起きないようにお祈り致します。
被災者の方々に一刻も早い救援の手が届きますように。
こちらでもわずかに揺れました。
とにかく無事でよかったです。