大庭が自刃に使用した脇差。
切腹に当たり、使用者が明確で短刀類も現存している会津藩士は数少ない (福島民友新聞)
民友新聞(16日付)で「150年ぶり「帰郷」北海道で自刃した会津藩士の遺品」を読んだ。
http://www.minyu-net.com/news/news/1016/news1.html
関連して【編集日記】(17日付)には、会津若松の恵倫寺に眠る柴五郎についてふれ、いづれの遺品も共に歴史に向き合わせてくれる“血涙”の記録であるとあった。
すり減るほどに読んだ文庫本「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 」を再び手にした。
その扉には 「胸に詰まる思いで読了 懊悩流涕やむことなし」との読後感が認められていた。
そして、いつしか記憶してしまった血涙の辞の一節が口を衝いて出てきた。
「幾たびか筆とれども、胸塞がり涙先立ちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢すでに八十路を越えたり。
・・・故郷の山河を思い過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤すれど、懊悩流涕やむことなし」
当時の五郎少年の純真な心情、その後の斗南での餓死との戦い等など、折々の彼の悲痛な心情に涙が溢れた。まさに血涙にまみれた資料だ。
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