団塊オヤジの短編小説goo

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帽子について考える

2010-11-13 09:08:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

最近、帽子は女性にとってはオシャレの一部として愛用されています。男の中にもしゃれた帽子をかぶりこなしている若者も結構見受けられます。

しかし帽子と言うものはただかぶっていればいいというものではなく、そのかぶり方、脱ぎ方、持ち方などにもそれなりのマナーがあり、それをうまく守り、使いこなすしぐさを含めてオシャレといえるのではないだろうか。

ひと口に帽子といっても、男の帽子女の帽子とがあります。そして本来男の帽子と女の帽子はまったく別のものなのです。

女性は食事の場合でも原則として帽子を脱ぎません。理由は後で記述します。

Photo_2 では、逆にどうして男は時と場合によって帽子を脱ぐのでしょうか。それは男の帽子の源流はヘルメット(兜)だと考えられているからです。

つまり帽子を脱がないということは、相手を警戒している、という意味に受取られかねないからです。

たとえば公共のエレベーターにひとりで乗る。この時には脱ぎません。しかし、誰か面識のある男性がいたなら、脱ぎます。これは警戒していませんよ、ということなのです。

女性が乗り合わせた場合には面識のない人にも、帽子を脱ぎます。これはレディ・ファーストの精神なのです。つまり女性に敬意を払って脱ぐのです。

ところで、私の住んでいる田舎町にはありませんが、オープンテラスのカフェで帽子はどうすれば良いのでしょうか。

カフェというのは珈琲を飲む、本を読む、手紙を書く場所です。この場合に脱ぐ必要はありません。仮にランチを食べる時でも被っていて良いのです。

ただし相手がいる時は別問題です。もしその相手が親友であるような場合には、脱ぐ必要はないかもしれません。でも、あなたが敬意を表わすべき相手と一緒であるなら、帽子を脱ぐべきでしょう。

1さて、脱いだ帽子をどうするか。これは本当に困ることがありますね。テーブルの脇になにか小さなフックでもあれば良いのですが…。ない場合は、店に言って、預かってもらえば良いでしょう。ふつうカフェにクロークはありませんが、「置く場所がないので・・・」と言えば、預かってくれないことはないでしょう。

2 男性が室内で帽子を取るのがマナーなのに対して、女性の場合は前途のように室内でも帽子を取らずに入るのがマナーです。

女性の場合、「帽子を脱ぐ」という言い方をする通り、着衣の一部として考える場合、女性が着衣を人前で脱ぐというのはマナーに反するということらしいのです。帽子は服装の一部と見做されるのでかぶったままでいいということなのです。小さな帽子などは髪飾りの一種とみなされるようです。

しかし、それはあくまでも、いわゆる貴婦人がオシャレをして社交をするときの話であり、日本のような国で、しかも、普段着の場面では当てはまらないと思います。ましてつばの広い帽子をかぶったまま映画を見ている女性については品格というより人格を疑いたくなります。日本では、挨拶をする時、部屋に入ったら帽子を脱ぐのがマナーだということを忘れないようにしましょう。

Photo_3 紳士の国と言われるイギリスには古くから帽子に関するきちんとしたルールがあります。

たとえば、「もしその人物が家の中に入って来て、帽子を脱ぐようなら真の紳士。帽子を脱がないのなら紳士のふりをしている男。そして帽子をかぶっていない人物は、紳士のふりをすることさえあきらめている男だ」といわれています。

あるいは遠くから知人を見かけたら帽子を軽く持ち上げて会釈する。近くで会ったときは帽子を脱いで挨拶するのが基本であるそうです。

最近よく見かける光景は、レストランでもニットやキャップの帽子をかぶったまま食事をしている若者、テレビのトークショーで、帽子をかぶったままのタレント、会議や講演会場や映画館でも帽子をかぶったまま座っている中年男性など。

もちろん昔とは生活スタイルもかなり変わっては来ているかもしれませんが、いずれもマナーに反することですし、周りに迷惑、不快感を与えていることは否めません。などと言っていると、オヤジだな・・・などと言われるかもしれません。

しかし、室内では帽子を脱ぐというのは日本に限らず、どこの国でも守るべきエチケットだと思います。だった、と言ったほうがいいのかもしれませんが・・・。

 人類が裸で野山を駆けていた頃は、もちろん無帽だったでしょうが、帽子の起源は古く、すでに原始時代には、帽子の類似品やその前身と見られる被り物があったと言われています。

Photo_4 紀元前4千年頃にエジプトでは、王が王冠をかぶり庶民が頭巾をかぶるようになっていたことは、遺跡からも知ることが出来ます。それらの帽子は階級を表すものだったり、防暑・防寒・防塵、または戦闘防御用として頭を保護するために用いられたりしたようです。

その後文化の発展に伴い装飾の役目を兼ねるようになりシルエットもいろいろと変化してきました。

Photo_5 ヨーロッパ諸国においてはその国の風土、国民性、気候、時勢、精神文化、生活様式、芸術などと総合され融合して、その時代の社会情勢にきわめて敏感に反応しつつ移り変っています。

その流行の多くは、十九世紀に入るまでは指導的立場にある上流階級の人々によって定められ、発展した国において創りだされたものがそれぞれの国の間でたがいに影響しあい、進展するにつれて移動していきました。

そしてその中で帽子はいつもドレスと一体となってあらわれています。時代背景とドレスを切り離して単独で帽子を知ることはむずかしいのです。

帽子の実物は、十六、七世紀にいたるまでヨーロッパにおいても特珠のものを除いては保存されていないようですが、墳墓の壁画や彫刻、あるいは絵画などにより推測できます。

Photo 日本では、神代紀の作笠(かさぬい)がその始めといわれています。「古事記」等には早く(かんむり)やの語があります

聖徳太子も冠をかぶっていますが、これは仏教の伝来とともに、中国から入ってきたものとされています。中国の古書にも王冠や被り物が見られます。しかし、それらの帽子は前途のように、階級の象徴、防暑・防寒・防塵、戦闘防御用として用いられていたのです。何処の国でも同じです。

Photo_6 鎌倉、室町、戦国時代になると、帽子は戦争の必需品となってきます。です。それは鎧とともに、まさに階級の象徴となりました。安土桃山時代になると、笠は簑とともに庶民に着用されました。頭巾は帽子に近いものと言えますが、笠は微妙です。防暑・防寒・防塵の用途では帽子と言えるのかもしれません。

またこの時代にヨーロッパから帽子が伝来し、南蛮笠、南蛮頭巾などと呼ばれました。

本格的に我が国でいわゆる帽子がかぶられるようになったのは明治になってからで、欧米の文化の導入に伴う洋装化と共に普及してきました。上流階級の人々がオシャレとして帽子を愛用しだしたのです。

Photo_7 帽子は、はじめは日光の直射を避ける、寒さを防ぐ、頭部を守ったり髪の乱れを防いだりという実用的な理由であったものが、集団で生活するようになると、自分をより美しく見せようとする気持も出ていろいろ考案され、次第に複雑な豪華なものへと発展して、やがて身分や階級を示すようにもなりました。

それが今は、単なるオシャレとして、オシャレの意味合いさえも変化し、男女の区別がなくなってきているのかも知れません。

「草食系男子」なるものがあらわれた現代において、男らしさの意味も変わってきたのかもしれません。

「ボギー・・・、あんたの時代は良かった・・・♪」

Sawada2

したっけ。

コメント (2)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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