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漢字では「臍を噬む(ほぞをかむ)」と書きます
ほぞとはおヘソのことです。
噬むは噛むと同じ。ニュアンスとして、噬は前歯でかぷっと、噛は奥歯でしっかりと・・・みたいな感じです。噬にはついばむという意味もあるのです。
この場合の臍(ほぞ)は自分のものです。自分のへそをかむなんて、いったいどうやったらそんなもん噛めるのか・・・。「噛めるわけないじゃん」、って話ですよね。
ですから、「ほぞをかむ」とは不可能なことのたとえです。なのですが、ちょっとニュアンスが違います。
おおもとは噬臍(ぜいせい)という熟語で、晋と楚の勢力争いを書いた『春秋左氏傅』(左伝)が出典です。へそには口が届かないから、いくら後悔しても間に合わないのだ、と。
ぜい‐せい【噬臍/噬斉】
《「春秋左伝」荘公六年から。「噬」はかむ、「臍」はへその意》取り返しのつかないことを後悔すること。ほぞをかむこと。 「十年を待たずして必ず―の悔あらん」〈露伴・運命〉
大辞泉
一般に「悔やむ」「後悔する」の意味で使われます。後悔はどのみち手の打ちようのないときにするものですが、「臍をかむ」は後悔の程度を上げて「激しく後悔する」が適当なようです。
臍(ほぞ)を噬(か)・む
《「春秋左伝」荘公六年から。自分のへそをかもうとしても及ばないところから》後悔する。すでにどうにもならなくなったことを悔やむ。「あとで―・んでも遅い」
大辞泉
でもどうしたら、自分の臍を噛もうなどという発想が浮かぶのか、そちらのほうが不思議です。
したっけ。