団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
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「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
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「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
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「桜の木」
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「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「海苔巻き」について考える

2010-11-21 09:18:54 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

古くは紫菜(むらさきのり・あまのり)・小凝菜(いぎす・テングサ)・鹿角菜(ひじき)などをのりと称した。とくにヒジキなどは、粘りを利用し、紙と紙を接着する接着剤としても使用された。糊をのりというのは、奈良時代に於いて紙を貼り合わせる物が海苔だったことに由来すると考えられています。

古くは『常陸国風土記』(713年)に登場しており、ヤマトタケルに関して次のような記述が見られます。「古老の曰(い)へらく、倭武の天皇海辺に巡り幸(いでま)して 乗浜(のりのはま)に行き至りましき。時に浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔{俗(くにひと)、乃理と云ふ}を乾せりき。」

和銅3年(710年)に遷都された平城京には、海草類を売る「にぎめだな」、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場が存在ました。大宝2年(702年)26日に執行された大宝律令においても、海苔が租税として徴収されています(ここから26日が海苔の日となっている)。

こうして海苔は日本の食文化に定着し、987年頃に書かれた『宇津保物語』には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場しています。

Photo_2 現在のような板海苔は、江戸時代の1680年頃に生まれ、当時有名だった現在の東京・大森で、再生紙の紙漉きの技術を応用してつくられたのが始まり、と伝えられています。「浅草紙」に製法が似ているところから「浅草海苔」と呼ばれるようになったともいわれるのです。

また、当時はまだ浅草あたりは海で、隅田川は浅草川と呼ばれていました。その河口付近で自然に生えていた海苔を利用したことから、浅草海苔という名称が生まれたともいわれています。

現在、海産干し海苔の大半はアマノリからつくられているが、「浅草海苔」の名は、その代表的な品種名にもなっています。

巻きずしの最古文献は、寛延3年(1750年)の料理書『料理山海郷』だそうです。ただし、意外なことにこれは「ご飯料理」ではなかったのです。魚のおろし身と大根おろしを簀の子で巻くというものだそうです。それでいて「巻鮓」の名前がつけてあります。

安永5(1776)佐伯元明の料理書『献立部類集』を見ると「浅草海苔、ふぐのPhoto皮叉は紙をすだれに敷きて飯を重ね、魚をならべ、右のすだれ木口(簾の両端に付いている棒)よりかたく絞め巻きにして四角な内に入れよく重しかけ置くなり」とあるそうです。これはまさに巻きずしであります。

つまり、巻きずしの外側は海苔ばかりではなく、和紙やフグの皮の場合もあったのです。当然ながら「和紙の場合は、これをはがして食べる」という注釈があるそうです。このときはまだ「海苔巻き」ではなく「巻き寿司」だったのです。

1776年といえば、「アメリカ独立宣言」の年である。

天明7(1787)刊『七十五日』に江戸中のすし屋25,6軒出てくるが、その中志き嶋勝三郎の店で色々と商品名を挙げている笹巻きずし、玉子巻、ゆば巻と並べて海苔巻ずしの名が出て来るそうです。 

1 2 3 享和2 (1802)10月刊『名飯部類、付録』に「巻ずし、浅草海苔を板上にひろげて前の如きコケラすしの飯を置、加料かぐには鯛、鮑、椎茸、みつば、紫蘇芋めじその類を用ひ堅く巻く、布を水にてしめして、上に覆い、しばらくして切る。 紀州きしゅう和布わかめにて右のごとくして和布巻すしという」とあるそうです。

ここではっきりと巻すしと言っています。 この巻すしは明らかに1枚まきで、今日に続く関西型の巻すしです。 注目したいのは、海苔をいきなり板の上に広げておいて簾を使わないで手巻きにするてんであります。

その後、「巻き寿司」から「海苔巻き」になったのは時期不詳ですが、江戸時代末期から「恵方巻き」が盛んになったとされています。

海苔巻き年表

西暦

和暦

文献等

海苔巻き

702

大宝2

大宝律令

海苔租税

710

和銅3

にぎめだな

平城京

海苔販売

713

和銅6

『常陸国風土記』

海苔の記述

コメント (1)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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