都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
現在でも弁当の代表的な形態として売られている「幕の内弁当」。
しかし、この起源が芝居見物にあるという事は余り知られていません。
「幕の内」という名称に注目してみると判りやすいのですが、芝居と芝居の間に幕が下りている時間があります。当時の芝居見物は一日がかりだったので、その間に食事を取る必要がありました。その時にお金持ちの人は「芝居茶屋」という芝居鑑賞に関する一切を請け負う店へ戻って食べます。
芝居茶屋を利用していない客や、小規模な芝居茶屋を利用している客の為に、芝居茶屋で食べていたような物を携帯可能な笹折に詰めた弁当という形にして販売され始めたのが、「幕の内弁当」でした。
会席料理の店である「万久」という店がこの名称の産みの親だと言われています。
これが次第に芝居を見た後の夕飯に持ち帰られるようになり、やがて現在のように弁当の一種として広く一般に食べられるようになっていき、名前だけが「幕の内」として、当時の面影を残すにのみ至ったということです。
当時の販売価格は100文程度で、現在の価格で言えば1000~2000円くらいの、ちょっと豪華なお弁当という感じでした。
また、一説には、役者が幕の内側で素早く食べられるよう工夫された食事が広まった、とも言われます。一口サイズのおかずや俵型に区切られたご飯は、手早く食べやすい形として工夫されていったのかもしれませんね。
別の説には相撲の「幕の内」の意味で、この弁当には小さなおむすびが付き物なので、相撲の三役の小結とかけてこの名前になったというのもあります。
どのようなものを「幕の内弁当」と呼ぶかについては諸説あるようです。
ご飯は、一般に白飯である(炊き込みご飯はNG)。ご飯は、俵型のおにぎりが並べて詰められ胡麻(主に黒胡麻)を散らし、梅干を載せたものが本来の幕の内とされる。
これは握り飯の名残であるといわれている。
おかずは、汁気のないものを少しずついろいろ詰め合わせるのが一般的である。特に焼き魚・玉子焼き・蒲鉾(以上の3つを総称して幕の内弁当三種の神器とも)・揚げ物・漬物・煮物は大半の幕の内弁当に入れられており、幕の内弁当の代表的なおかずといわれています。
現在は色々な「幕の内弁当」が出回っています。なかには「和風幕の内弁当」などと言うのもあります。江戸時代の中期に日本で生まれたお弁当に「和風」はいかがなものかと・・・。
負けちゃいましたよ。69連勝は凄い記録ですよ。
したっけ。