都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

今日はクリスマスイブ。ということで、クリスマスのお話を少し。
日本で、いつ頃からクリスマスが行われたかと言うと、記録には残っていませんが、おそらく、フランシスコ・ザビエルが来日した時にクリスマスを祝ったものと思われます。ザビエルが日本にやってきたのは1549年( 天文18年)。464年前のことです。
日本でクリスマスが祝われた記録で最も古いのは、1552年(天文21年)に、山口で祝われたクリスマスのようです。
ザビエルのあとを受け、山口で布教活動をしていたイエズス宣教師トルレスが、日本人信徒を招いて「クリスマス・ミサ」を催したという記録が残っているそうです。
当時の山口の大名、大内義隆はキリスト教の布教を公認しており、寺院の敷地内に教会が建設されていました。
その教会で、数回に渡りミサが開かれ、訓話や合唱、食事の振舞いなどを行い、教会に入れないほどの信者で賑わったといいます。
その後も、イエズス会の熱心な布教活動があり、キリスト教信者は増え続け、各地にキリスト教が広まっていきました。
この頃は、クリスマスという呼び方ではなくて、ラテン語の「ナタル(誕生)」という言葉から「ナタラのまつり」と呼ばれていたそうです。
又、クリスマスは、お祭り騒ぎをするのではなく、キリストの生誕を静粛に祝って、クリスマスの礼拝を行う日でした。
戦国時代には、キリシタン大名同士の合戦において「クリスマス休戦」が行われたという記録もあります。
1568年(永禄16年)堺付近で、三好三人衆と松永久秀の軍勢が合戦を行っていました。
その最中、イエズス会の司祭、ルイス・フロイスが、両陣営にクリスマスの休戦を呼びかけ、クリスマスの夜、彼ら約70人が、同じ1つの場所に集まってミサをささげたといいます。
フロイスの記述によれば、武士たちは、「自分たちが、どれほど仲が良く、互いに愛し合っているかを異教徒たちに示そう」と言い、敵同士にもかかわらず、家から料理を持ち寄ってもてなし合ったそうです。
又、この時、クリスマスの装飾などを見に来た群集があまりに多く、扉が壊れそうだった、とも記しています。
しかし、その後、秀吉の「伴天連追放令」、徳川のキリシタン弾圧、鎖国と徹底したキリスト教抑圧政策が続き、根づきかけた日本のキリスト教信仰は、跡形もないほどに消え失せました。
ばてれん-ついほうれい【伴天連追放令】
天正15年(1587)豊臣秀吉が九州平定後、博多で発した禁令。キリシタンを邪法として禁止し、バテレンを20日以内に国外追放することを命じた。
大辞泉
明治維新でキリスト教信仰が解禁され、明治・大正・昭和にかけて、クリスマスは一般化し、今は、年中行事のひとつになっています。
今の日本のクリスマスには、室町・戦国の頃のキリスト教信仰の伝統は残されていません。
キリスト教信者でもないのに、なぜクリスマス、ということもありますが、外国の文化を簡単に取り込み、すぐに吸収してしまうのは日本人の特性です。
クリスマスの飾りつけをして楽しみ、プレゼントを交換する、本来のクリスマスとは、少し違うかもしれませんが、今や、現代日本文化の一つとして、融けこんでいるのだと思います。
しかし、これほど盛んになったのは、60年代高度成長期になってからです。サラリーマンがキャバレーなどでクリスマスにかこつけてホステスたちと大騒ぎしたものが始まりとい言われています。忘年会の一部だったのかもしれません。
当時、クリスマスの夜にパーティー用のとんがり帽を頭に酔っ払ったサラリーマンが街に溢れていました。あれが「クリスマス=パーティー」となった走りだとか・・・。
私も少しだけ覚えていますが、当時は各お店が「クリスマスパーティー券」というのを販売していました。仕事の関係で、何枚もの「パーティー券」を買わされて、満員のお店をハシゴしていました。ほとんどの店は中に入れない状況でした。お酒も飲めないのに・・・。
その後、不景気で家での行事に移行したものという俗説があります。今ではほとんどの人が家でクリスマス楽しむようになりました。
クリスマスの色は、赤・緑・白が基本で、それぞれの色には意味があります。
●(赤色)・・・キリストの血の色、愛と寛大さ
○(白色)・・・純潔
●(緑色)・・・永遠の命・神の永遠の愛
12月25日はキリストの誕生日ということになっていますが、実際の誕生日は分りません。色々な記述から、この日ではないことは分っています。
この日に決めたのはローマで行われていた冬至の祭りと重ねたためです。
また、「イヴ(eve)」は「evening(夜、晩)」と同義の古語「even」の 語末音が消失したものだそうです。
冬至の日は日没から始まり、日没で終わりました、ですから当時の12月25日は、現在の24日の日没から25日の日没までを指します。
したっけ。