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小説「白い女」

2015-10-01 07:25:13 | 短編小説

作 都月満夫

 

オレの名は海木探(かいき・さぐる)。日本全国に伝わる数々の怪奇現象や心霊現象、妖怪のミイラなどを調査する三流ルポライターだ。週刊誌に記事を売るのが仕事だ。

普段は、マンションの自室を「海木探偵事務所」として、探偵の仕事もしている。

探偵は、オレにとっては繋ぎの仕事だ。浮気調査から家出人探しまで何でもいい。退屈な仕事だが生活のためには仕方がない。

そんなオレの事務所に、北海道糠平温泉の近く、幌加温泉のさらに奥だという、湯治場の女将から調査以来が来た。

湯治場を解体中に、祖父の覚書を見つけたと言う。その土地の伝承『白い女の伝説』の真実が、その中にあるかもしれないと言う。

糠平温泉郷一帯が北海道屈指の心霊スポットだ。開拓、ダムやトンネル工事の過酷な労働や事故で、かなりの犠牲者が出た。多数の亡骸が道路やトンネル内に埋められている。それだけ怨念が渦巻いているのだ。霊の存在を否定する人でも、昔から糠平はマジでやばいという。糠平のトンネルを車で通ると、後部座席に人が乗っているという話は有名だ。

オレは糠平温泉に興味があったが、なかなか行く機会がなかった。ついでに行ってみるかというつもりで引き受けた。

 

八時四五分、帯広空港に着いた。飛行機は、一面に緑が広がる、真っ平らな畑の中に降りていく。感動的な風景だ。空港からバスに乗り、四〇分ほどで帯広駅に着いた。八月の終わりだったが、思った以上に暑かった。

駅前の有名豚丼店は開店前だった。駅食で豚丼を食った。厚めの豚肉を焼いてタレを絡め、飯に乗せただけのものだが旨かった。

駅前で四WDのレンタカーを借りた。山道なのでその方がいいと女将に言われていた。

国道二四一を北に向かって走る。北海道の広い畑の中の一本道を走るのは爽快だ。

五〇分ほどで上士幌に着いた。糠平に左折するところで、ガソリンを満タンにした。

この先ガソリンスタンドはないと、女将に言われていた。ここからは上りの道が続く。

三〇分ほどで糠平に着いた。糠平から、幌加温泉入り口までは二〇分ほどだった。更に一〇分ほどの山道は確かに急な登りだった。

幌加温泉を通過し『熊の湯』と書かれたひなびた温泉に着いた。木造の小さな建物だ。

女将は四〇前後で色白の綺麗な人だった。こんな山奥の温泉には勿体ないほどだ。長い髪を後ろで束ね、渋い艾色の着物姿だった。

「海木さま、ようこそお出で下さいました。お疲れ様でした。どうぞお入り下さいませ」

 玄関は、土間にコンクリートでベタを打っただけの、素っ気ないものだった。

「この部屋に、お荷物を置いてください」

 帳場の隣の、八畳程の部屋に案内された。古い畳だが、丁寧に手入れがされていた。

「もう、入浴だけの営業なので、大広間以外は、どこでもご自由にお使いくださいませ」

「いや、ここで結構。寝るだけですから…」

 オレは荷物を置くと、直ぐに話が聞きたいと言った。女将は自分の住まいの部屋に、オレを案内した。そこには、大木を輪切りにして作った、見事なテーブルが置いてあった。

「今、お茶をいれますから…。それとも、ビールのほうがよろしいかしら…」

 オレは暑かったので、ビールを貰った。女将がビールをグラスに注いでくれた。冷えたビールを一気に飲み干し、女将に言った。

「早速、話を聞かせて下さい」

女将はビールを注ぎながら言った。

「そうですか。それでは、『レタル・カッケマッ・ウエペケレ(白い女の伝説)』からお話します。アイヌ伝説は口承で伝えられてきました。そのため、伝承者によって差異がありますが、概ねこのようなものです」

 女将は、お茶を一口飲んで、話を始めた。

 

「遠い昔のことでございます。私たちの先祖は、ここよりもっと山奥のコタン(集落)で暮らしていました。そこは、地熱で冬も雪が積もらない土地だったそうです。ポッケ・ニセウ(温かい渓谷)と呼ばれていました。

通常、コタンは五戸から七戸で構成され、五キロから七キロの間隔で点在しました。

しかし、そこは未開の地で、アイヌが偶然住み着いた特殊なコタンでした。三〇戸ほどのチセ(家)が孤立していました。そこに代々受け継がれたのが『白い女の伝説』です。

白い女は全身が白く、とても美しいメノコ(娘)だったそうです。コタンで一番の美男といわれたオッカイ(青年)と一緒になり、二人は幸せに暮らしていたそうです。

しかし、三年経っても子供を授かりませんでした。悩んでいた妻が、エカシ(長老)に相談し、エカシは答えました。

子ができない女は、人知れずコタン・コロクル(むらおさ/村長)のチセに行き、夜明け前に密かに帰れば子が授かると…。

翌年、男の子を産んだそうです。しかし、妻は年を追うごとに、口数が少なくなり、夫とも口を利かなくなってしまったそうです。

そして、五年後の夏、妻はピラ(崖)から身を投げて死んだそうです。以来、そのピラには誰も近付かず、ライ・ピラ(死の崖)と呼ばれるようになりました。妻の自殺は、白い女の祟りとして語り継がれてきました。

そこで、今回見つかった覚書です。

高祖父、つまり曾祖父の親の代に、白い女がいて、伝説の再来と騒がれたそうです。その女を高祖父は妻としました。しかし、伝説と同様に子が授かりませんでした。そこで、高祖母はコタン・コロクルのチセに行ったと思われます。そして子が授かり、伝説のように高祖母は、崖から飛び降りて死にました。

アイヌは文字を持ちません。この話は高祖父から曾祖父に受け継がれ、祖父が文字にして残したのだと思います。紙が悪いのと、カタカナばかりの文章は読み辛く、所々シミで読めないところもありました。

糠平温泉は旅館「湯元館」の初代館主が原生林の中に一九一九年(大正八年)に湧出する温泉を発見し、一九二四年(大正一三年)から温泉旅館の営業を開始、開湯したそうです。一九三四年(昭和九年)には一五軒の宿が営業していたそうです。その後温泉近くの三又は、木材の町として繁栄し、最盛期には二〇〇〇人もの住民が住んでいたそうです。

山奥のコタンにいたアイヌたちも、そこで働くようになり集落は自然消滅しました。その頃、祖父が文字を覚えたのだと思います。

もし、これが本当なら、私は白い女の子孫です。私にもその血が流れています。何故白い女は自殺したのか、理由がわからず、怖くなりました。理由が知りたくなりました。

そんな時、お客さんが置いていった週刊誌で海木さんの記事を読み、この人なら何か分かるかもしれないと思いました。もう、電話を差し上げずには居られませんでした」

話し終えた女将は、黒い大きな瞳に涙を湛え、長いまつ毛が震えていた。

「大体の話は分かりました。しかし、女将さんはアイヌには見えませんね」

「はい。糠平にシサム(和人)が開拓に入って以来、興味本位で見に行った青年から、このコタンのことが知れてしまいました。シサムの男たちにより強引に混血が進みました。そのために、今では純血のアイヌは少なくなりました。私もその中の一人なのでしょう」

「悪いことを聞いてしまいました。申し訳ありません。酷い話ですね。ところで、こちらは女将さん一人で管理しているのですか?」

「いいえ。時々手伝いの人に来てもらっています。今日からも、お願いしています」

 その晩、エゾシカ肉料理を食わせてもらって、風呂に入った。更衣室は男女別だが、風呂は一つしかない。ナトリウム塩化物泉の湯は、無色透明で少しぬるめだ。しかし、体はポカポカと温まった。それは長時間続いた。

 覚書を貸してもらい、夜遅くまで苦戦して読んでいた。いつ眠ったのか覚えていない。

 

 翌朝四時半ころ、障子の隙間から射し込んだ朝陽の矢に、目を直撃されて目覚めた。オレは、覚書を確認した。全部読んでから寝たようだ。気になった言葉を、ノートに書き出し、ノートパソコンで検索しながら考えた。

 このコタンは、他のコタンとの繋がりがなかった。ということは、次第に婚姻関係の血が濃くなり、血族婚のような状態になったのではないか? そのため虚弱な子どもばかりが誕生するようになり、人口が増えなかったのではないか? また、精神薄弱や神経症状を起こす割合も増加する。「先天性メラニン欠乏症」が発症した可能性もある。黒いメラニン色素が欠乏し、全身が真っ白になる、俗に「白子」と呼ばれる病気だ。

 「白い女」の正体は、この白子ではなかったのか? また、血族同士では妊娠が難しいこともあるという。

 アイヌは他のコタンから女性を連れてきて結婚するのが一般的だった。

 帯広のチョマトー(赤い血の沼)の伝説では、日高アイヌが美しい女性をさらおうと、十勝アイヌのコタンを攻めにきて、戦場になり血で染まったという。

 問題はコタン・コロクルのチセで何があったのかということだ。

 朝食を食いながら、オレは推測を女将に報告した。女将も納得してくれたようだ。それから、わからないアイヌ語の意味を聞いた。

「ポン・アイヌ」とは小さい人。「ライ・カッケマッ」とは死ぬ夫人。「エランペテク・メノコ」は知らない娘だと教えられた。

 小さい人は、血族婚で説明がつく。死ぬ夫人は白い女の他にも、自ら命を絶ったものがいたということだ。知らない娘とは、コタン・コロクルの息子の嫁だという。この家系だけが血族婚をしていなかった。何故そんなことが出来たのか、-今となっては分からない。

 やっぱり、すべての謎はここにある。

「女将さん。現在、そのコタン・コロクルの子孫は、どこにいるか分かりますか?」

「ええ、今は糠平で、アイヌの木彫りなどを売る、土産店をしています」

「それでは、午後からそこに行きましょう」

 

店主は六〇代半ばの太い眉毛で、白髪交じりの髭をはやしていた。一見してアイヌとわかる、独特な文様の民族衣装を着ていた。思いを込めて一針一針模様を入れる作り手の気持ちが、魔物を寄せつけないといわれる。

オレは自己紹介をして、すぐに質問した。

「こちらの家系には子の授からない女性に、子を孕ませる、何らかの方法があったと聞いています。本当ですか?」

「そったらこと、本当かどうかは分からん。だけど、その話だけは聞いてるわ」

 店主は単刀直入な質問に、一瞬ひるみながらも、反射的に答えた。

「それは、今でもできますか?」

「知らん。だけど、親から絶対に開けるなといわれた箱がある。親も開けたことがないと言ってたべ。この際だから開けてみるか…」

 私たちは奥の部屋に案内され、店主はアイヌ模様が施された木箱を持ってきた。

箱は二段になり、一段目には紙があった。「ワリウネクル(人間を生み出した神)、チエ(男性器)、サマンペ(女性器)コポイケ(交る)をカムイ・シンリツ(神の根)が燃え尽きるまで唱えよ」とカタカナで書いていた。字を覚えた近い先祖が書いたのだろう。

二段目には、葬儀の焼香に使うような灰が入った木箱と炭団のようなもの、一対の木の根が入っていた。これがカムイ・シンリツなのだろう。片方は二股、もう片方は三又になっていた。根の組み方や燻し方の図入りの説明書があった。それによると、炭団に火を点け灰に埋め、その上に二股の根に三又の真ん中のところを組んで立てかける。二股が女で三又が男ということなのだろう。

店主はイナウ(削りかけ)が並んだ祭壇に木箱を置いた。オレは木箱と紙と祭壇を写真に撮った。それから、オレたちは並んで店主の後ろに座った。これが、最後の一組だ。

 店主が呪文を唱え始めた。根のヒゲがチリチリと燃え、甘ったるい香りが広がった。心地良くはない。むしろ不快だった。三〇分ほどで、根は炎を上げることなく灰となった。

「これで終わりだ」

 店主が振り向いて言った。

 何事もなく終わった。ただ、女将さんの顔が上気したように、ほのかに赤い気がした。

「ありがとうございました。その箱を一晩借りることはできますか?」

「ああ…、持ってけ。もう、用はないべ」

 

 宿に帰って木箱を調べたが、別にどうってことはない。オレは灰を少しと、木箱の底に残った木の根のクズをサンプル袋に入れた。帰って調べれば、何か分かるかもしれない。

 夕食は、オオモミタケという松茸に似た大きなキノコなどを、七輪で焼いてくれた。

「手伝いの人は、夕食の片付けが済んだら、帰ってもらいます。明日はお帰りになるのでしょうから…」

「はい。帰ってから、サンプルを調べて貰います。女将さんも一緒に飲みませんか?」

「そうですか。じゃあ、少しだけ…」

 糠平の幽霊話などを聞いてから、オレは風呂に入り、浴槽の腰かけ部分で考えていた。

あの呪文には意味がなさそうだが、あの木の根の香りには、何の効果があるのか…。

 突然、ドアの開く音がした。振り向くと、女将さんが、前も隠さず入ってきた。白くて艶のある肌は眩しいほどに若々しかった。

 オレは慌てて、腰かけ部分から深い方へと移動した。女将は何の躊躇いもなく、掛け湯をし、オレの左側に滑るように入ってきた。

「あ、女将さん。どうも…」

 オレは、視線をそらし、狼狽えていた。

 女将の左手が、オレの右手を掴み、乳房へと誘導した。勃起した乳首に指が触れた。

「うっ」と声が漏れ、女将はのけ反った。

女将はさらに強く、オレの手を乳房に押し付けた。女将の顔は能面のようで、目は死んだ魚のようだ。尋常ではない。

「女将さん!」

 オレは女将の手を払い大声を出した。それでも、女将はオレに抱き付こうとする。オレは立ちあがり、女将の頬を平手打ちにした。

「きゃー!」

 正気に戻った女将は、目の前で仁王立ちするオレを見て叫び、両手で顔を覆った。オレは慌てて湯船に沈んだ。

 女将は逃げるように、更衣室に消えた。

 

 部屋に戻ると、女将は沈んだ顔で聞いた。

「私、何をしたんでしょう」

「女将さんは、何もしません。あの木の根の香り、あれがコタン・コロクルの秘密だったんです。女性の理性を失わせ、性欲を高める媚薬の一種なのでしょう。しかも、その間の記憶がない。『死ぬ夫人』は、それに気づいた女性たち。『白い女の伝説』は、目立つ存在だったために語り継がれたのでしょう」

「そうですか…。恥ずかしいことをしてしまいましたが、これで安心しました。私も、いつか自殺するのではないかという恐怖から、逃れられました。ありがとうございました」

「女将さん、この話は記事にはしません」

 

 翌朝、ボリボリの味噌汁の朝飯を食って、女将と別れた。土産店の店主には、何も分からなかったと言って、木箱を返した。

 その時、女将と店主の顔が、どこか似ていると思ったのは、オレの思い込みだろうか。

 オレは、サンプル袋の中身を、車の窓から振り撒いて、糠平温泉郷を後にした。

 

 

 

 

 

 

お断り

この小説はフィクションです。特定の人種や特定の病気を差別する意図はまったくありません。

誤解のないように、お願いいたします。

 

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