都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
昨日の帯広は-21.3℃と今季最低を記録しました。今朝も午前6時現在で-20.3℃でした。
本格的に寒くなりました。
日本列島は冷え込んでいるようですが、みなさんの地域はいかがですか?
インフルエンザも流行っています。どうぞお気を付け下さい。
「犬と人」。現代社会では、当たり前のように犬と共存しています。
いったいいつから犬と人間は、共生しているのか、諸説はあるが、少なくともそれは、およそ10000年以上前より始まったとされています。
首輪は、古くより、装飾・識別・繋留という3つの目的によって使われてきました。
海外では、古代エジプトの壁画等、日本においては平安時代の絵から「犬に首輪」という生活様式を見ることが出来ます。
古代エジプト/縄文時代
いまから3500年前。古代エジプトの壁画や石像には、犬がモチーフとされるものがいくつかあります。そこでみられる首輪は、豪華な装飾が施されているようにも見えます。一方、簡素な縄で繋がれているように見える犬も描かれている為、このころより豪華な首輪は、ステータスシンボルとして利用されていたのかもしれません。
日本では、縄文時代より犬と人は、共生していたとされています。
古代ギリシャ
古代ギリシャでは、家畜たちを外的から守る番犬として活躍しておりました。外的から急所である首を噛みつかれないように、首輪保護する目的でスパイク付(尖った鋲付)の革首輪が用いられたのです。
古代ローマ/弥生時代
近年映画テルマエロマエで注目を浴びる古代ローマです。映画にも描かれているように、この時代のローマ人は、本当に繊細だったようです。その繊細さは、建造物の繊細さからも伝わってきます。
きっと、古代ローマ人が現代のウォシュレットにであったならば、映画テルマエロマエのように、関心をもったに違いありません。
大衆が犬をかわいがるあまり、ローマの礎を築いたジュリアス・シーザーが大衆に「子供より犬を可愛がるとはなにごとだ!!」と叱責したといわれています。
いつの時代も犬バカは、犬バカなのです。
ポンペイの遺跡でみつかった赤い首輪の「犬の床絵」が有名です。
このころ、日本では、イヌは猟犬として活躍したとされています。
中世/平安時代
ようやくペットとしての概念が確立してゆきます。中世ヨーロッパにおいて、上流階級の貴婦人たちに飼われた犬たちは、宝石や貴金属で装飾された首輪をつけていたのです。
一方、猟犬としても重宝されており、猟犬は、野生のオオカミから守る為、スパイク付の首輪を付けていました。
発掘された埴輪を見ると、日本の飼犬は古墳時代から首輪をしていた様です。
平安時代の絵から「犬に首輪」という生活様式を見ることが出来ます。
江戸時代も、武家階級の猟犬などは首輪をしていました。
明治時代になって畜犬登録制度が整備されると、犬の首輪に住所札や鑑札を取り付けるようになります。
当時は革製と金属製があったそうですが、犬の首輪をどこで販売していたのかは不明です。
日本の犬
日本でもイヌがペットとして飼われるようになりますが、外来としてやってきた猫の方が上流階級を中心に可愛がられていたようです。紐につながれている絵の記録は、ありますが、首輪がどのような物だったのでしょうか?
日本最古の犬の骨は、神奈川県夏島貝塚で発見された約9500年前のもの、また愛媛県黒岩洞窟で埋葬された犬の骨で約8500年前のものなどがあります。これ以外にも、縄文時代に埋葬された犬の骨が出土しています。それくらい昔から、犬と人間は日本で一緒にいたということになります。
また、銅鐸のなかに、弓を射る人物と猪を囲む五頭の犬の狩猟図文が鋳出されたものがあります。銅鐸が共同の祭器で、農耕祭祀に関連すると考えると、犬は農業神へ献供すべき御饌の狩りをするための一員となったり、場合によっては犬が神に供えられたりということもあったのかもしれません。
境町剛志天神山古墳(6世紀後半)
広瀬川の右岸に形成された前方後円墳(昭和初年の記録によれば墳丘長127m)から出土したもので、これ以外にも多くの形象埴輪が発見された。
数ある動物の種類の中で、犬ほど人間と身近な関係にあるものはほかにいないであろう。犬と人間のつきあいを示す考古資料は縄文時代にまでさかのぼる。愛知県の吉胡(よしご))貝塚では、人間によってていねいに埋葬されたと思われる犬の骨が確認されている。おそらくこの犬は人間に飼われていたのであろう。
天神山古墳の犬形埴輪は首輪をしており、そこに鈴と思われるまるいものが付いていることから、人間に飼われていたことはまちがいない。口を半開きにして舌をのぞかせており、小さなしっぽはくるりと巻いている。飼い主に従順でかわいがられていた犬を思わせる。この犬は、下の猪(いのしし)形埴輪とセットの関係にあることから、猟犬であったことがわかります。
国指定重要文化財
『古事記』の長谷朝倉宮(雄略天皇)の段に、志幾大県主が天皇の怒りを恐れて、白犬に鈴を付けて天皇に献上したところ、天皇の怒りが解けた話が載っています。この話などから見ても、犬は人間側の動物として、神との間を行き来する動物というように思われていたようです。そして、大和朝廷になったのちも、犬は様々に役に立っていきます。
『日本書紀』の安閑天皇二年(535年)八月に「詔して国々に犬養部を置く」とあります。犬養部は飼養する犬を率い、または育てて朝廷に奉仕する「品部」、つまり朝廷に物を納める役職の場所です。この犬は、祭祀用の供肉を得るために使う猟犬を飼育したのではないかという「猟犬飼育説」と、番犬を飼育調教し、朝廷の安全を守る犬を育てた「番犬飼育説」があります。実際に大蔵や朱門の守衛のところには、番犬がいたとも言われています。
西洋では明らかに猟犬として犬の首を守るためのものと、装飾用に分かれます。
日本では首輪の理由はよく分かっていないようですが、一つは猟犬と他の犬との区別のためではないかと推測されます。
したっけ。
【かってにせんでん部】
minimarche
ハーブティーは下記のお店「雑貨(Tkuru&Nagomu)で取り扱っています
雑貨(Tukuru ・nagomu) 0155-67-5988
可愛い雑貨も、たくさんありますよ。
Cafe & Bsr Noix(ノワ) 0155-67-5955
落ち着いた雰囲気で、ゆっくり食事ができます.
080-0018 帯広市西8条南6丁目7番地
http://www.d-kyoya.com/minimarche/
☆ミニマルシェ アロマ加湿器☆ この時期特にオススメしたい素敵な商品のご紹介です!
![]() 雑貨(Tukuru ・nagomu) 0155-67-5988 |
株式会社ディステリア京屋
080-0018 帯広市西8条南6丁目7 ☎0155-22-2151
↑:友人がオーナーの店です
![]() |
絵手紙をかこう 日本絵手紙協会公式教本 |
クリエーター情報なし | |
学研プラス |
![]() |
絵手紙セット 葵+顔彩24色 |
クリエーター情報なし | |
オリジナル
|
![]() |
広辞苑 第七版(普通版) |
クリエーター情報なし | |
岩波書店 |