年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大正元年10月

2006年07月11日 | べったら市
大正元年10月20日東京朝日新聞
昨夜のべったら市
月明かりに加えるに好景気の宵なれば日本橋界隈はもちろん下谷・山の手辺より(路面)電車を利用して散歩がてらべったら市へ赴く人がおびただしく近来にない繁盛を極めたり。人ごみに押されて,本町通より小伝馬町に入れば浅漬大根の香り、まず鼻につき、ずらっと並ぶ露天商は縁起物・宮檀、包丁荒物を売る者、切山椒,切飴、おもちゃ、かんざし店、等北は九道橋より南は人形町・水天宮前の夜店まで続き東は横山町付近まで及び、中でも小伝馬町電車乗換え付近は最も混雑を極め「いらっしゃい・いらっしゃい」の呼び声は耳を聾せんとするばかりで中を青物市場辺りから来た若者が木切れの先に形ばかりの浅漬大根を吊り下げ面白半分にべったらを振り回せば若き女達は金きり声を上げて右往左往し逃げ惑い足を踏まれて怒る者あり、押し倒されてののしる者あり、雑踏はますます雑踏を加えたり。従って、露天商の商いも景気良くはかどり、名代の梅花亭の切山椒・四方(漬物商))の浅漬大根共に9時過ぎに売り切れを告げた。浅漬商にては本年のべったら大根は原産地の不作に加えコレラの為需要が激増し、小売値が2割から3割騰貴したにもかかわらず上物1本10銭より20銭の間で続々売れていったのを見た。(19日午後11時)

10月 9日東京市、各戸へ「コレラ予防の心得」を配布し、朝日新聞がこれを掲載

青物はコレラにかからない食物と考えられていた。サシミのツマも同じ。
明治44年(1911)東京市営電車が発足、大正2年にはほぼ今のJR山の手線内の路面電車網が完成。
四方商店は平成の今でも小伝馬町2丁目にある。大門通り。
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