明治35年10月読売新聞
江戸っ子は知っているが10月19日はべったら市というときっと雨か風に決まっているが、近年稀な上天気で人出が多いと同時に露天商は軒を並べいて商店(住人)の門を出入りに難渋しているほどだった。
べったら市という名称のごとく浅漬大根を麹のついたままの振り回すという縁起からして名付けたものであるからいうまでもなく浅漬店が露天商の三文の二を占めていた。ついでに翌朝即ち恵比寿講の日に知りえた内情を浅漬屋訪問記として話そう。
浅漬屋先生が言うには「どれもどれも、昨夜は見たこともない人出があったが、その割には浅漬大根が総体に売れなかったとね。私の仕込みは樽4本だった。記者は知らないだろうが今年はめっぽう大根が高いときている。一樽3両2分という所さ〆て10円80銭で仕入を、どうにかして15両に増やして帰ろうと思ったのさ。
ところが記者さん、すべてが計算通りうまくいくとは限りません。お客様もべったら大根の値段を知っていてどんなことをしていても一本800文位に売りたいと思っていても客のほうが4百~五百に値段を付けてくる。縁起物だからと言って売りたいからもう少し愛嬌を付けてくださいと言うとそれじゃ二本一貫200よなんていう。昨夜の売れた価格では2本で一貫200が最高値だったね。私は大伝馬2丁目で一寸目立った所だったからそう売れない方でなかったが神田の方から一人ともう一人家人を連れてきていたので11時頃にはすっかり売り切って家に帰って一杯やって寝込んだね。地代50銭を差し引けば儲けは一割くらいがやっとこささ。」
江戸っ子は知っているが10月19日はべったら市というときっと雨か風に決まっているが、近年稀な上天気で人出が多いと同時に露天商は軒を並べいて商店(住人)の門を出入りに難渋しているほどだった。
べったら市という名称のごとく浅漬大根を麹のついたままの振り回すという縁起からして名付けたものであるからいうまでもなく浅漬店が露天商の三文の二を占めていた。ついでに翌朝即ち恵比寿講の日に知りえた内情を浅漬屋訪問記として話そう。
浅漬屋先生が言うには「どれもどれも、昨夜は見たこともない人出があったが、その割には浅漬大根が総体に売れなかったとね。私の仕込みは樽4本だった。記者は知らないだろうが今年はめっぽう大根が高いときている。一樽3両2分という所さ〆て10円80銭で仕入を、どうにかして15両に増やして帰ろうと思ったのさ。
ところが記者さん、すべてが計算通りうまくいくとは限りません。お客様もべったら大根の値段を知っていてどんなことをしていても一本800文位に売りたいと思っていても客のほうが4百~五百に値段を付けてくる。縁起物だからと言って売りたいからもう少し愛嬌を付けてくださいと言うとそれじゃ二本一貫200よなんていう。昨夜の売れた価格では2本で一貫200が最高値だったね。私は大伝馬2丁目で一寸目立った所だったからそう売れない方でなかったが神田の方から一人ともう一人家人を連れてきていたので11時頃にはすっかり売り切って家に帰って一杯やって寝込んだね。地代50銭を差し引けば儲けは一割くらいがやっとこささ。」