年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の景気の良い頃

2007年07月06日 | べったら市
明治43年10月20日読売新聞
べったら市
今年は良い景気
新潟育ちで白山の祭りと盆踊りとより他に賑やかなものを知らぬ記者は東京一の人出だと言うべったら市を昨夜八時から見物に出かけた。小伝馬町人形町通りで電車を降りると四方はもう右往左往,クモの子を散らすような人だ。混雑の間を潜って本町通りに出ると大丸呉服店が電灯装飾をして飾り棚に呉服細工の巾着,打出の小槌等の宝物を飾ってあるのが目に付く。この往来がべったらの本道筋と見えて盆踊りや白山踊りにも見らぬ雑踏だ。往来の人は歩くのぢゃ無く自然に押されて前に出る。浅漬を下げた連中がべったらベッタラと怒鳴ってきて美しく着飾った女連れにはことさら浅漬を振り回し打ち付ける。女子供はキャキャと言って逃げる。着物は粕がベッタリ付く。江戸趣味の金棒がチャリンチャリンといかにも床しく音をしてその間を縫う。宮師、玩具、切山椒、その他色々の露店もたくさん出ている。ことに縁日利くが大分よく売れていたが何と言っても繁盛するのは浅漬屋に限られ市場の若い衆が白いシャツに紺の腹掛け、向こう鉢巻という威勢の良い格好をして『只のように安いぜ、サア買った買った』と叫ぶと店は絶えず黒山の人だかりとなる。記者も買いたくなって手ごろなのを4本より出して幾らだと聞くと56銭という。さすがに土一升金一升の東京だと恐れ入って逃げ出すと『オイ旦那旦那これから負かすのが旦那の腕だ』と気持ちよく引き止める。押し問答の末今年は景気が良いからと言って、4本28銭までは負けた。恐ろしい駆け引きだ。わずか2~3丁ところを一時間ほどかかって大伝馬町の恵比寿神社に参詣する。東京一の市を持てる本尊はさてもちっぽけな九尺間口の社に鎮座まします。もったいないがまるで裏店の便所のようだ。しかも賽銭は雨の如く降る。田舎と東京とは神様の功徳も大分違うと見える。随分不良学生も横行していて生娘連は混雑の中で大分傷められていた。警戒の巡査は案山子でもあるまいに。

ベッタラ市に出店している露天商は1200軒くらいでその内ベッタラを売っている所は600軒で平成の今は30軒くらいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする