年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治40年10月20日東京朝日新聞②

2007年07月23日 | べったら市
明治40年10月20日東京朝日新聞
べったら市の夜況
昼間は大した事もなかったがが夜に入りてよりの群集雑踏は芋を洗うが如く肩摩轂撃(けんまこくげき・人や車の往来が激しいこと)とはこの夜の景色を示すものならんかと想われたり。大伝馬町一、二丁目、小伝馬町、鉄炮町、人形町通り、この辺一帯諸種の露店にて占領し人多く立ち止まりたれど財布の紐難く締められば売れ行きは思わしからず、見渡した所、例の浅漬大根はボツボツながら掃けたるはさすがは売物の隋一なりと頷きぬ。売値も吹きも吹きたり太くして長き物は一本45銭の50銭のという。これを7~8銭よりつけても10銭位にて買う。小僧若者等は麹の付いた大根をベッタラベッタラと振り回して人を別けていく。鞍掛橋の通りは電車三両づつ繋ぎながら進行する。日本橋署より出張の巡査数十名と会社の監督数名と共に提灯を振りて辻辻を警戒するなどなんとも言えぬ混雑なり。売店の多くは植木、お宮,雑器、浅漬大根、切山椒等にてその他玩具、飲食物等に充満している。とにかく本年最初の市なれば露天商人の意気込みは甚だ盛んで、八時より十一時頃まで最も盛り、十二時過ぎには群集もやや疎らになった。
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