年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治36年10月20日東京朝日新聞

2007年07月20日 | べったら市
明治36年10月20日東京朝日新聞
ベッタラ市と戎講
既記の如く昨日は日本橋大伝馬町のベッタラ市の当日であるが生憎曇天であるので諸商人は正午頃より定めの場所に出店し、大伝馬町、通旅篭町、小伝馬町等の通り筋は呼び物なる浅漬大根を初めとして切山椒その他売物ずらりと陳列していたが中にも小伝馬町辺りへ出店した植木商の菊花は美を添えて床しく見受けられた。されど昼間は人出少なく夜に入る雑踏を見るようになった。さて浅漬大根はまず七八銭のものが売れ行きの良い模様である。次に本日は戎講なるが大伝馬町等の大店向きは今も尚恵比寿講を催す由ならば日本橋魚市場にては昨朝既に鯛その他頭付きの魚類は幾分景気ついていて、五寸より尺位のものにて近海物の大鯛一貫目3円内外にて五寸以下即ち俗に花鯛と称する物は1円50銭位なるがこの花鯛と称する品はすべて水戸産のものなるがよし、又刺身物にては十貫目に付きカジキ18円、キワダ11円、メバチマグロ10円、カツオは7円位の見当であるし、また格安の切り身物のマグロは目下青森より日々四五車づつ入荷があり、上6円次物3円50銭位にて近海物は更に入荷がなく海老は尾州三州物多く大樽1個に付き10円位小樽5円50銭より6円位なるが蒲鉾はんぺん等も幾分か高値を示したがこの恵比寿講を見込んだ故という。

東北本線は明治24(1891)年には上野~青森間が全通、尾州三州物とは今の愛知県のこと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする