年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本花街史

2007年07月02日 | 福神漬
日本花街史 加藤藤吉著
福神漬の歴史を調べていくと今の時代感覚に会わない風俗が次から次と出てくる。べったら市の記事の前後に花街のお披露目の写真があったりしていて朝日や読売・毎日新聞が芸者の写真を載せていたり、遊郭の無理心中事件を事細かく報道していたりしていた。一面では戦争の記事、三面では遊郭記事、それが明治の20年代から30年代の新聞であった。
日本花街史を図書館で借りて読むと『花街という世界は、何時の時代でも時の権力と密接な関係があり、社会問題上の焦点となり、事毎にクローズアップされるが、結果はいつも切り捨て御免となる所から、お互いに力をあわせて助け合い、どんな被害でも涙を呑んで忍び、生活を護ってきただけ、義理や人情に厚く、強い団結力を持ち、今時珍しいほど封建的な色彩の濃い所である。そうした世界で生きてきた女性には独特の雰囲気があり、一種の花街の良識とされていたが戦後は人権の問題から種々の制約を受け、遊郭や花街はすでに過去のものとなってしまった。』
明治の時代は女性が生きていくには選択の余地が少ない時代でもあった。華やかさの中に暗い面も同時に存在していた。福神漬の資料の隣にはそんな記事ばかりで思わず大変な時代であったと思う。
コメント
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