年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の最盛期

2007年07月27日 | べったら市
べったら市の最盛期
明治40年10月18日読売新聞
べったら市の前景気
明19日は日本橋区大伝馬町べったら市なるが本年は水害のため練馬大根は皆無の有様にて大抵は袋産の大根で上等一本13銭,下等8銭という相場、昨年に比してやや2割高でこの市で売り出す大根は品質悪くその上大根へ甘酒を着けて売るものあれば注意して買わねばとんだ食わせ物ありとまた昨日まで堀留分署に届けいでし商人の数は浅漬70余軒、飾り鯛、縁起物200余軒、植木商50余軒雑貨商400余軒、大伝馬2丁目、田所町、旅篭町等は浅漬、縁起物、小伝馬町,本石町4丁目鉄炮町等は植木商、小伝馬町祖師堂境内は見世物等出店するが日本橋署に於いては当日非番巡査総出にて小伝馬町祖師堂境内に出張所を設け厳重に警戒し、堀留町,本石町4丁目、大伝馬町1丁目、小伝馬上町等の四つ角より車馬の往来を止め電車線路は雑踏の場所を横切る危険があるより会社は監督数名出張させ警官と協力して線路の取締りをなす由

この当時の露天商の数は2000軒出ている記事がある。袋物の大根とは現北区岩淵町付近の産、会社とは電車会社のこと、今の都電の前身。

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