年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

東武鉄道百年史より

2008年03月08日 | 福神漬
東武鉄道百年史より
東武鉄道百年史を台東区中央図書館にて借りようとしたら保管室にあって出てくるのにかなり時間が経った。よほどの貴重書と思っていたら新本でした。まだ誰も借りて読んだことがなさそうで紙が離れず苦労しました。
 東武鉄道の創業時に浅田正文が参加していたので社史ではどんな評価をしているのか調べることが目的でした。創立者12人の中で浅田は取締役にもならず、さらに一番出資金も少なくどうして検索すると東武鉄道創立者の上位に出るのでしょうか。
 後に浅田はかなり経ってから東武鉄道の取締役になりますがどんな理由があったのでしょうか。第三代日本銀行総裁の川田小一郎が産業振興のため国家的事業のため株券を担保として資金を融通する金融機関の設立を企画し、横浜正金銀行で手腕を発揮していた原六郎を帝国商業銀行の頭取として迎えるようにしました。また川田は元日本郵船におり、浅田は郵船の経理を担当する部下であった。従って東武鉄道が創業時丸の内三菱ビルの一画の中に事務所を置いた理由は理解できる。
 浅田正文は明治22年4月日本郵船理事、明治26年12月専務取締役、翌明治27年3月取締役に退いた。明治29年6月東武鉄道の創立願いの書類の署名した12名のうち一人。そこには浅田正文の住所として下谷区茅町2-16となっている。
 明治31年7月の萬朝報のスキャンダル報道のとき浅田は帝国商業銀行取締役兼支配人とだった。浅田は郵船の取締役は22年の長きにわたるという。
 どうやら福神漬は上野池之端・横浜の地域を結び船と鉄道を歴史も関係してきた。
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