年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

旧岩崎邸記念公園

2008年03月03日 | 福神漬
旧岩崎邸記念公園
いまでこそ岩崎邸は湯島天神と少し離れているが三菱の岩崎家が邸宅として使用していたときは湯島天神と地図上では接していたようである。
 湯島天神の正門から御徒町駅に向かって坂を下り歩き始めると道の反対側に旧岩崎庭園の案内板が見える。池之端文化センターとなりにあるが岩崎庭園の案内図では池之端文化センターは敷地内ということになる。その文化センターは解体工事中で時代の変遷を感じる。
 岩崎家は明治11年にこの地を購入していて、浅田正文は三菱の岩崎家がここにあるから池之端に家を求めたのだろう。
 明治29年下谷区茅町に岩崎家本邸の洋館が建った。入場料を払って入ると二階の広間に大正6年8月の茅町本邸実測図があった。当時の広さは一万五千坪の広さがあった。地図上のことだが落語家の三遊亭円朝は岩崎家が購入する以前にこの地で生まれたことになる。円朝は湯島生まれ。
 洋館から和館に向かうと橋本雅邦の絵がある部屋にたどり着く。案内板を読むと三菱は橋本雅邦を支援していたようである。
 池之端に福神漬エピソードの関係者がすべて揃うのは偶然と言うことで終わらせるにはまだ早い。

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