年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

伊藤痴遊全集から

2008年03月24日 | 福神漬
伊藤痴遊全集から
明治大正昭和に活躍した講釈師。
伊藤痴遊全集 続第5巻より
池之端御前とか吾曹先生といわれていた福地桜痴は明治の20年代までは双福といわれていて福沢諭吉と同じように有名であった。
 さて福地の事跡として新聞業界に誇れるものが三つあげられる。
1 新聞の文章を作った。 江戸時代の読み物と違う新聞用の文章。
2 新聞業界の後進の育成、多くの新聞記者を育てた。
3 西南戦争時の従軍報道。実際に見聞した記事を書く。見もしない戯作者と違う報道姿勢。
しかし桜痴の名前のごとく福地は色を好み、深い仲となった桜路(さくらじ)という妓にちなんで号を桜痴としたといわれるくらいであった。晩年は没落し隣地に住んでいた浅田正分の火除け地として買収されたが、伊藤痴遊は明治10年代にあれだけの家に住むのは容易ではなかった。震災後も依然として福地の家は昔の面影がたもたれていた。
 現在の横山大観記念館は福地桜痴の住居後の一部と隣人の住居後を購入したようである。横山大観の縁者の話では福地の茶室があったという。池之端御前の茶会は鹿鳴館(明治16年から明治23年)と対抗して開かれていた。明治19年に創生された福神漬と池之端をめぐる人々の縁がここに繋がる。
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